中国でも台湾でも「国父」ともたたえられる「辛亥革命」の指導者・孫文をめぐり、中国と台湾が継承者の座を争っている。中国が「一つの中国」の切り札に使えば、台湾は「中華民国が存在」と主張している。写真は南京市にある孫中山(孫文)の陵墓中山陵。

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2016年11月18日、中国で王朝体制に終止符を打った「辛亥革命」の指導者・孫文。民族の英雄として中国でも台湾でも「国父」ともたたえられる。孫文の生誕150年に当たり、中国共産党の習近平総書記(国家主席)が台湾の独立を許さない「一つの中国」の切り札に使えば、台湾は「中華民国が客観的に存在」と主張、継承者の座を争っている。

清朝時代に広東省の農家に生まれて医師となった孫文は革命運動に入り、日清戦争後の1895年10月、広州で武装蜂起を企てたが、失敗。日本に亡命した。1905年8月には東京で清朝打倒を目指す「中国同盟会」を結成。11年10月の武昌蜂起が中国各地に連鎖的に広がり、「辛亥革命」に発展すると帰国して翌12年1月、南京で「中華民国」の成立を宣言するとともに、初代臨時大総統に就任した。

その後、袁世凱臨時大統領による革命派弾圧や帝政復活、日本への再亡命などを経て、19年10月、「国民党」を結成して党総理に就任。各地の軍閥に対抗して中国の統一を目指し、中国共産党との「第一次国共合作」を成立させたが、25年3月、道半ばで死去した。国民党の主導権は蒋介石主席に移ったが、第2次世界大戦後の国共内戦で共産党に敗れ、中華民国政府は台湾に逃れた。

流れからは台湾が後継レースで先行しているかにも見えるが、中国も負けてはいない。孫文夫人の宋慶齢女史は夫の死後、蒋主席とは一線を画し、国共内戦終結後も中国に残り、中国人民共和国の中央人民政府副主席などを歴任。81年5月の死の直前には「中華人民共和国名誉主席」の称号を贈られた。

中国は2011年10月に北京で「辛亥革命100周年記念大会」を開催。当時の胡錦濤・共産党総書記は孫文が唱えた「中華振興」を力説、中台を結ぶ「中華民族」を前面に出しながら、中国の統一を呼び掛けた。

中国メディアなどによると、習総書記は11日に北京の人民大会堂で開かれた孫文の生誕150周年記念大会で演説し、「中国共産党は孫中山(孫文)先生の革命事業の最も忠実な継承者だ」と前置きし、「一つの中国」原則に関する「92年合意」に言及。「過去にいかなる主張をしていても、合意を受け入れ、大陸と台湾が一つの中国に属すると認めれば、交流したいと思う」と語り、合意受け入れを拒む台湾の蔡英文政権に「一つの中国」原則の承認を改めて迫った。

これに対し、台湾で対中政策を主管する行政院(内閣に相当)大陸委員会は習演説に対し、「孫先生は中華民国を創建した」との報道文を発表。台湾当局が名乗る「中華民国が客観的に存在する事実に向き合うべきだ」とクギを刺した。

台湾メディアによると、今月初めに大陸を訪問し、習総書記と会談したばかりの野党・国民党の洪秀柱主席も「真の継承者は国民党だ」と指摘。馬英九・前総統も台湾の憲法には孫文が提唱した三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)が組み込まれているとして、継承者としての正当性を強調した。(編集/日向)