『万華鏡 (ブラッドベリ自選傑作集) (創元SF文庫)』レイ・ブラッドベリ 東京創元社

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 ブラッドベリが九十余年の生涯で執筆した短篇・中篇は、四百篇とも五百篇ともいわれる。過去の作品を改稿して別な題名で発表したり、いったん独立した短篇として送りだしたものを長篇に組みこんだり(『火星年代記』や『たんぽぽのお酒』)、そのために新しくつなぎのエピソードを加えたり(それを一篇の作品とみなすこともできる)などの出し入れがあり、どう数えるかがむずかしい。また、こんにちでは文壇的にも一般的にも評価がさだまっている作家であり、遺稿の管理・整理も進んでいるため、埋もれていた断片的な文章が発掘されもする。それらを短篇として扱うべきかという問題もある。

 まあ、そうした書誌的な子細は、多くの読者にとってどうでもよいことだ。重要なのは膨大なブラッドベリ作品のうち、何から読むかである。私の偏愛で選ぶとしたら、暗い童心と煌めく幻想がつまった短篇集『10月はたそがれの国』(創元SF文庫)だが、収録が初期作に偏っており「ブラッドベリを代表する一冊」とは言いがたい。ヤングアダルト向けに企画された二冊の精華集、『ウは宇宙船のウ』と『スは宇宙(スペース)のス』(ともに創元SF文庫)は収録作の傾向にもう少し幅があるので、これを薦めるという手もある。

 もうひとつのチョイスが『万華鏡』だ。ブラッドベリ自身が収録作品を決め、1945年発表の怪奇小説から63年発表の主流文学作品まで、さまざまな種類の短篇が並んでいる。全二十六篇、ブラッドベリが読者に「これを読んでほしい」と思う傑作集だ。ちなみに本書はかつて川本三郎訳でサンリオSF文庫に収められたが、こんかいはブラッドベリ作品を読みこんだ中村融の手による新訳だ。

 それにしても不思議なのは、この傑作集の作品配列である。発表年代順でも傾向別でもない。短い作品を前に、読みでのある長い作品を後に、ということでもない。犯罪小説のあとに『火星年代記』の一篇がきて、日常を切りとった主流文学につづいてニューロティックな恐怖小説、さらにアイルランドもの、そしてディストピアSF......。まるで気まぐれに詰めあわされたアソート・クッキーのようだ。次に何がくるかは読んでみてのお楽しみ。

 しかし、そんなごちゃまぜだからこそ、かえってブラッドベリらしさが伝わってくるともいえる。独特の情緒を湛えた素朴で大胆な修辞、ここぞという場面で急峻にテンポを変えるリズミカルな文章、日常のなにげないものに宿る神秘の気配。それらは技巧というよりも息づかいのように作品に染みついている。

 中村さんが「ブラッドベリ世界のショーケース」と題した訳者あとがきで、いみじくもこう指摘する。

ブラッドベリはホラーやミステリといったジャンル小説の熱心な読者であり、その定型を愛しているのだが、いざ書く段になると、かならず定型からはみ出してしまう。というか、その強烈な個性が定型におさまりきらないのだ。したがって、なにを書いても「ブラッドベリ印」の作品になってしまう。とすれば、ジャンルの壁を乗り越えたのではなく、「ブラッドベリというジャンル」を創りあげたのかもしれない。

 私がブラッドベリに惹かれるのは、世の中のひとがあたりまえとして見すごしていることがらに驚異・畏怖・違和を感じ、その一点からまたたくうちに世界全体をまったく別な色に染め替えてしまう想像力だ。たとえば、本書に収められたもっとも古い作品である「骨」は、自分のなかに骨という異物があると気づいた男が主人公だ。私たちは幼いころから挿絵や漫画などで骸骨のかたちに見慣れている。自分のからだをさわれば、皮膚の下に固いものがあるともわかる。しかし、骸骨というあのまとまった姿が自分のなかにすっかり収まっているというのは、考えてみるとずいぶん奇妙ではないか。あれは本当に自分なのか? いったんそんな思いが取り憑つくと、もう頭から離れない。

 自分が自分であることの違和、あるいは自分が一定の自分であることへの疑問。それは社会のなかでの生きにくさなどの水準ではなく、ほとんど本源的な不安だ。その感覚は、やはり初期作品である「熱にうかされて」でも繰り返される。病気で発熱したとき、身体が自分のものでないように思える。細胞ひとつひとつが脈打ち、よるべのない小さな自分を押さえこでくる。

「草原」と「小さな暗殺者」では、幼い子どもが得体の知れぬ存在として描かれる。怪物が子どもに憑依しているのではなく、大人の理屈では計れない子どもそのものの不透明性だ。ブラッドベリは少年の目で世界を眺めつづけた作家で、そのみずみずしい情感は本書にも収録されている『たんぽぽのお酒』の各エピソード(「イルミネーション」「たんぽぽのお酒」「彫像」「夢見るための緑のお酒」の四篇が選ばれている)や、成長をしない身体でずっと男の子として生きつづけるウィリーの遍歴を描いた「歓迎と別離」に横溢しているが、同時にイノセントゆえの非情や残酷も知っていた。

 いっぽうで、ブラッドベリは市井に生きるひとたちへの共感を貫いた作家で、本書にはマイノリティの問題を背景にした作品や、人種差別への怒りをあらわした作品がいくつも収録されている。「小ねずみ夫婦」「すると岩が叫んだ」「日と影」「すばらしき白服」などだ。このうち「すると岩が叫んだ」は戦争によって北米と欧州が滅亡し、メキシコを旅行中のアメリカ人夫婦が行き場を失ってしまう。シチュエーションはSFだが、物語のなりゆきは過酷なサスペンスだ。「すばらしき白服」は、ロサンゼルスに暮らすメキシコ系市民の物語で、貧乏な青年たちが金を出しあって一着の上等なスーツをシェアする。「白いアイスクリーム・スーツ」がマジックワードで、服の白さと彼らが笑ったときの歯の白さが印象的だ。

 SFの有名作では、大破した宇宙船からさまざまな方向へと放りだされた乗員たちが宇宙服の通信装置を介してそれぞれの運命を伝えあう「万華鏡」と、深海に棲む恐竜の生き残りが灯台の霧笛に呼応してゆっくり浮上してくる「霧笛」が収録。宇宙船の事故も恐竜の末裔も題材としてはありふれているが、それぞれブラッドベリならでは視点と展開でユニークな物語にしあげている。クライマックスのイメージが素晴らしい。『火星年代記』からは三篇、「イラ」「夜の邂逅」「やさしく雨ぞ降りしきる」が取られている。どれも静謐でもの悲しいタッチだ。

(牧眞司)