日本語の「青春」という言葉は夢や希望に満ち、活力のみなぎる若い時代を「人生の春」に例えた言葉だ。中国でもこの概念を表現するうえで、この日本語とまったく同じ漢字が用いられている。しかし、中国メディアの捜狐はこのほど、日本の若者たちには謳歌する「青春」があっても、中国の若者たちには「存在しない」と説明する記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 日本語の「青春」という言葉は夢や希望に満ち、活力のみなぎる若い時代を「人生の春」に例えた言葉だ。中国でもこの概念を表現するうえで、この日本語とまったく同じ漢字が用いられている。しかし、中国メディアの捜狐はこのほど、日本の若者たちには謳歌する「青春」があっても、中国の若者たちには「存在しない」と説明する記事を掲載した。

 記事は、日本の青少年たちには「熱い青春」があり、その代表例の1つが「夏の甲子園」であると指摘。夏の甲子園で見られる、選手の力いっぱいのスイングやスタンドからの大声援、勝利して抱き合う姿や悔し涙を流す姿は、まさに「青春そのもの」だと説明した。

 もちろん野球だけが青春の対象ではなく、サッカーや陸上のようなスポーツ、音楽や美術のような文化活動も青春をかける対象であり、日本には青春をかける対象が勉強以外にも存在することを非常に高く評価し、「こうした日々は大人になってから振り返っても、他人の経験を聞くにしても、間違いなく熱い涙がこみ上げるものだ」と絶賛。日本の青少年たちは中国と違って、「若い時代を謳歌する方法や対象がある」と羨望の気持ちを吐露した。

 一方で記事は、中国の青少年には恋愛を楽しむなどの青春はあるにしても、熱い気持ちで何かに打ち込むような青春は存在しないと指摘。記事はその原因について、中庸を好む中華民族の性格と関係があるかもしれないと説明しているが、中国では学校で体育の授業が日本に比べて少なく、中学校や高校での部活動もほとんど存在しない。従って、中国では高校生を対象としたスポーツの全国大会もほとんどなく、スポーツに青春をかけることができないというのが現状だ。

 中国人から見ると、青春の時期に何かに打ち込む日本の青少年たちの姿が、光輝いているように感じるのだろう。若さや夢や希望にあふれた貴重な時期において、日本の若者たちがそれぞれに目標を持ち、またその目標を達成できるできないにかかわらずに全力で打ち込む姿に、熱い青春の美しさを感じるのかもしれない。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)