森ビル社長 辻 慎吾(つじ・しんご)1960年、広島県生まれ。85年横浜国立大学大学院工学研究科修了。同年森ビル入社。2001年タウンマネジメント準備室担当部長。05年六本木ヒルズ運営室長兼タウンマネジメント室長。06年取締役、六本木ヒルズ運営室長兼タウンマネジメント室長。09年取締役副社長。11年6月から現職。

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■カリスマオーナーのDNAを引き継ぐ

【弘兼】東京の街並みを再現したジオラマは圧巻です。六本木ヒルズから東京タワー、建物の窓や看板などの細部まで精緻にできていますね。

【辻】東京の中心部を1000分の1のスケールで再現しています。

【弘兼】私の描いている「島耕作シリーズ」は森ビルと縁があります。島耕作が上海に赴任する際、オフィスをどこにおこうかと考えていたとき、一つのビルが目に付きました。それが、森ビルが開発したビルでした。

【辻】上海の恒生銀行大厦(HangSeng Bank Tower)ですね。

【弘兼】そうです。その後、島耕作が社長となった初芝五洋ホールディングスのオフィスを置いたのが、港区の愛宕グリーンヒルズでした。当初、このビルも森ビルだとは知らなかったんです。

【辻】ありがとうございます。

【弘兼】辻さんは森ビルの3代目社長にあたります。初めての創業家以外出身の社長でした。社長になったとき、それまでのやり方を引き継ぐのか、あるいはがらっと変えてしまうのか、どう考えていましたか?

【辻】森ビルは都市づくりの思想がしっかりしている会社です。前社長の森稔はカリスマオーナーでした。会社を引き継ぐ中で、そのDNAを大切に残していこうという考えが強かったですね。

1955年、横浜市立大学教授だった森泰吉郎は港区虎ノ門に森不動産を設立。もともと森家は港区で米屋を経営していたという。泰吉郎は大学を退官後、本格的に賃貸ビル建設を始めた。

森ビルを実質的に成長させたのは、泰吉郎の息子、森稔である。59年、稔は東京大学を卒業後、森ビルに入った。稔が考えたのは、自社で土地のすべてを所有せず、複数の土地所有者に声をかけて表通りと裏通りの地権者と共同でビルを建てるというものだった。

このビルの名前には数字が割り振られ、通称「ナンバービル」と呼ばれた。そして、森ビルは86年に新たな道に踏み出した。赤坂に「アークヒルズ」を建設したのだ。

【弘兼】先代の森稔さんとは付き合いがあり、対談したこともあります。もともと、小説家志望で、思ったものが書けなかった。そこで父親から家業を手伝えと言われて不動産業に入ったと聞きました。ナンバービルは、複数の地権者による共同ビル建築のビジネスモデルの先駆けでした。そして、赤坂アークヒルズを嚆矢とする「ヒルズ」では、都市の中に「ヴァーティカル・ガーデンシティ(立体緑園都市)」という理念に基づく“街”をつくるという、今までになかったコンセプトを打ち出した。

【辻】ええ。単純に土地を買って建物を建てて、売って、というのではなく、都市とは何か、都市はどうあるべきか、この東京に何が必要なのかということを考えて街づくりをしてきた会社だと言えます。

■400人の地権者とどう向き合うべきか

【弘兼】辻さんの経歴を見ると、最終学歴が横浜国立大学大学院工学研究科となっています。

【辻】都市計画を勉強していました。横浜市の大学でしたので、市から委託を受けるようなこともありました。就職先には役所も考えていたのですが、役所は絵を描くだけ。実際にやるのは民間企業。僕が森ビルに会社訪問したときは、建設中のアークヒルズの形が見えてきていた頃でした。それを見て「開発がしたい」と思って森ビルに入ろうと決めました。

【弘兼】入社後、その後のヒルズシリーズの象徴ともなる六本木ヒルズに関わるようになりました。

【辻】入社15年目に六本木ヒルズ開発を担当する部署に配属されました。

【弘兼】開発というのは、具体的にどういう仕事ですか?

【辻】いくらぐらいの事業にするのか、容積をどれぐらいとるのか、どのような用途で使うのか。また、地権者と交渉したり、どこの設計事務所に依頼したりするかといったすべての骨格を組む仕事です。まずは開発部隊が主導して、設計部隊などと一緒に計画を進め、営業部隊、管理部隊が加わっていきます。

【弘兼】ということは、地権者の説得もやられたのでしょうか? アークヒルズの開発では「再開発反対!」「インベーダー森ビルは出ていけ」といった手書きのビラが貼られていたとか。相当な反発があったとも聞きました。六本木ヒルズの再開発はどのようなものだったのでしょうか。

【辻】六本木ヒルズの再開発の際には、アークヒルズという先例があったとはいえ400人の地権者がいましたので、「400人の合意形成なんてできるはずがない、この再開発は絶対に無理だ」と言われました。

【弘兼】やはり先祖代々の土地に強い愛着を持っている人もいるでしょう。

【辻】この土地は命の次に大事なものだと言われたこともありますよ。ただ、(東京ミッドタウンとなった六本木の)防衛庁の跡地などのケースを除けば、東京の中心地で大規模な開発をしようとすれば、地権者と向き合って理解してもらうしかない。

【弘兼】交渉のとき、どんなことを心がけていたんですか?

【辻】まずは相手に信用してもらうことです。森ビルという会社の信用よりも、交渉に行っている人間の信用が先にないと話もしてもらえません。若い社員であっても会社を代表して行っているわけです。その人間が街づくりをしたい、完成させたいという気持ちがないと絶対にできません。

【弘兼】反対する方から、厳しい言葉をかけられれば、落ち込みますよね。

【辻】ええ。たとえば、マンションの一室を販売するとします。弘兼先生に営業へ行って「いらない」と言われたら、「あっ、わかりました」と次の人に行ける。しかし、権利者の場合は、その人を外して次に行けない。

再開発における地権者との交渉の複雑さは、先代社長・森稔が著書『ヒルズ 挑戦する都市』でアークヒルズの開発についてこう書いている。

〈赤坂地区と六本木地区を一体的に再開発しようとしたことも、猛反発を食った。(中略)榎坂、霊南坂を上がった赤坂地区は江戸時代からの由緒あるお屋敷町。一方、崖下の六本木地区は路地裏に棟割長屋がひしめく下町。昔から住民同士の交流はない。互いに「一緒になど住めるか」というわけだ〉

担当者は地権者との対話のきっかけを掴むために月2回のペースで手づくりのコミュニティ誌「赤坂・六本木地区だより」を発刊し、これを持って、一軒一軒訪ね歩いたという。

【辻】アークヒルズや六本木ヒルズといった街づくりを通して、再開発をすればみなさんのためになるというのが次第にわかってもらえるようになっていきました。

■「逃げ出す」よりも「逃げ込む」場所へ

【弘兼】結果として、六本木ヒルズは、旧来の地区を再構成し、新しい街として価値を高めることになりました。いわば地域の活性化です。

【辻】六本木ヒルズには、住居、オフィスのほか、店もあって、映画館も美術館もあります。これを一つの街としてブランディングしていこうと「タウンマネジメント」が生まれました。「都市をつくり、都市を育む」ことを通じて、世界中から人、モノなどを引き付ける「磁力ある都市づくり」をしていこうというものです。

タウンマネジメントの効果の一つとして防災という面もあります。

【弘兼】防災?

【辻】これまでは地震が起きたら、外に出ろと言われていましたよね。東日本大震災のとき、この“街”の人はほとんど外に出なかった。外に出ると何が降ってくるかわからない。建物の中にいたほうが安全だとわかっていたんです。六本木ヒルズの場合、「逃げ出す」よりも「逃げ込む」場所になっていたのです。さらに震災で家に帰れないという帰宅難民の方も受け入れました。

【弘兼】ビルの中に発電所があり、停電しないとか。耐震性にも優れていると聞きました。

【辻】六本木ヒルズの51階にある会員制クラブのワイングラスが一つも割れませんでしたから。

【弘兼】食料の備蓄はどうなっているんですか?

【辻】六本木ヒルズだけで10万食、森ビルの施設全体で27万食の備蓄があります。建物の中にある備蓄用の倉庫に入れています。この六本木ヒルズという“街”を中心に、六本木エリア全体に波及していく。備蓄食料の共有、電力の供給などもすればいい。タウンマネジメントというのは単なる地域の活性化やブランディングではなくて、災害対策やインフラ整備でもあるんです。

【弘兼】森ビルは、六本木ヒルズのほか、新しくできた虎ノ門ヒルズなど、港区を中心として東京都の開発に特化しています。辻さんは4年後の東京オリンピックが東京にどのような影響を及ぼすと見ていますか?

【辻】森記念財団の都市戦略研究所で「世界の都市総合力ランキング」というのを出しています。今、1位はロンドン。ロンドンは2012年にニューヨークを逆転してから首位を守っている。その要因を分析すると、やはり12年のロンドンオリンピックなんです。

「世界の都市総合力ランキング」は主要40都市を選定し、「経済」「研究・開発」「文化・交流」「居住」「環境」「交通・アクセス」における70の指標に基づいた評価である。最新の15年度はロンドン、ニューヨーク、パリ、東京、シンガポールという順位。東京については、個別の評価として〈トップ3の都市と比べると文化・交流や交通・アクセスが弱みとなっている〉と但し書きが付け加えられている。

【辻】前回の東京オリンピックでは新幹線や高速道路などのインフラが整備された。今回、日本はインフラについては成熟している。それ以外の部分がオリンピックを契機に進むのではないかと思っています。具体的には文化・交流面です。

【弘兼】街をつくることとオリンピックが開催されることは、どのような関係があるのでしょうか。

【辻】虎ノ門ヒルズは、いわゆる「マッカーサー道路」と言われていた環状2号線とともに14年に誕生しました。環状2号線は選手村と新国立競技場を繋ぐ幹線道路で、いわば「オリンピック・ロード」とも言えます。オリンピックに向けて、ここに、東京メトロ日比谷線の新駅やBRT(バス高速輸送システム)のターミナルも整備されていきます。

【弘兼】虎ノ門ヒルズの開発はオリンピック開催を見越したものだったのでしょうか?

【辻】いえ。もともと、虎ノ門エリアは森ビル創業の地で、ナンバービルをいくつも持っていたのです。それらが何十年か経って、再々開発の必要が出てきた。ただ、オリンピックの開催決定が、都市づくりや再開発の追い風になっているのは確かです。

【弘兼】今後、国と国ではなく、それぞれの都市同士の競争になると見ています。オリンピックは東京を後押しする力になるのではないですか。

【辻】はい。これからは都市間競争になるというのは、我々が20年ほど前からずっと言っていることでした。昔は、どの外資系企業もアジアのヘッドクオーターを東京に置いていました。しかし、今では、シンガポールと香港に移っている。加えて上海もある。こうした都市との競争に勝てなければ、東京はアジアの中の地方都市になってしまう。

■規制と法人税が東京の発展を妨げる

【弘兼】ようやく羽田空港が国際線を充実させるようになりましたが、かつては成田国際空港が主でした。成田からだと都心まで行くのに2時間以上かかる。それを嫌って、多国籍企業のアジアの責任者が集まる会議は、東京で行われなくなったと聞いたことがあります。

【辻】では、東京に国際競争力がないかというと、そんなことはない。都市で比較すると、GDP規模は世界最大。ニューヨークの1.5倍ぐらいあります。東京の中心市街地のオフィス面積はニューヨークのマンハッタンの倍、上海の20倍ほどある。

【弘兼】まだ伸びしろはあると。

【辻】東京の人口は約1300万人。巨大なうえに、ポテンシャルがある。あとはそのポテンシャルをどう生かすか、なんです。世界中の目が東京に集まる20年には、世界に類のない都市づくりによって東京の、日本の底力を世界に見せつけたい。まさに今は「勝負」のときです。

僕が知る限り、エグゼクティブの方はみな東京が好きです。食べ物がうまいし、水も空気も綺麗で安全である。しかし、ビジネスがやりにくい規制がある。一つのビジネスを立ち上げるのに、いくつも判子をもらいにいかなければならない。安倍政権がやろうとしている、国家戦略特区の中で規制緩和していくのも一つの手段でしょう。あるいは法人税の減税。日本はアジア主要諸国と比較するとコストがすごく高い。それを同じレベルまでにすれば、東京を選ぶ企業はたくさん出てきます。

【弘兼】さて、森ビルの16年3月期売上高は2591億円、連結営業利益は688億円。3年連続で過去最高を記録しています。

【辻】賃貸でオフィス・住宅ともに高い稼働率を維持したことに加え、虎ノ門ヒルズなどの住宅分譲が好調に推移しました。

【弘兼】将来的に株式上場は考えておられますか?

【辻】上場というのは資金調達の手段になりますが、現時点では具体的に考えていません。上場していないのは、街づくりという独特な仕事による面も大きい。六本木ヒルズを完成させるまで、17年間かかりました。もし上場していれば、「なんでこれほど長い時間、遊んでいる土地があるんだ、売却するなり利益を出せ」という話になったかもしれない。

【弘兼】六本木ヒルズのようなこれだけの大規模、かつ長期的な開発はできなかったかもしれませんね。

【辻】資金調達が必要であれば、REIT(不動産投資信託)を活用することもできますし、個々のプロジェクトで森ビルの開発理念を共有してもらえる投資家を集めることもできる。また、一方で、地方や海外のコンサルティング業務のお話もいただいています。ヒルズなどの成功によって、森ビルの開発力が評価されていることは、大変ありがたいことです。

■弘兼憲史の着眼点

▼非創業家社長の内に秘めた情熱

創業家と企業の関係はついてまわるものです。たとえばトヨタ自動車では、豊田家以外の社長が3代続いた後、創業者の孫にあたる章男さんが11代目の社長に就きました。「大政奉還」などといわれたのも記憶に新しいでしょう。

辻さんの前任者、森稔さんはあの森ビルを築き上げたカリスマです。私がお会いしたときは、都市論を熱心に話されました。人を巻きこむパワーに溢れた人でした。

一方、辻さんは冷静で、内に情熱を秘めたタイプ。森さんは自分とタイプの違う、理系出身の辻さんに任せたのでしょう。

六本木ヒルズの防災機能の高さは耳にしていました。東日本大震災のとき、周囲に住む知人たちは六本木ヒルズに駆け込み、臨時事務所にしていたそうです。

街にはそれぞれ個性、味があり、すべてを再開発すべきだとは思いません。ただ、辻さんのおっしゃるように耐震機能に加えて、電気、食料などのライフラインとなるヒルズのような再開発は、東京という街を強くすることでしょう。

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弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。

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(田崎健太=構成 門間新弥=撮影)