日本ではあまり知られていなくても…アメリカでは高い人気のペレス(撮影:GettyImages)

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OHLクラシック・アット・マヤコバで、“あの”パット・ペレスが通算2勝目を挙げ、7年ぶりに勝利の美酒を味わった。
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“あのペレス”と書いたワケは、彼がそれだけ印象的な選手だからだ。日本ではほとんど知られていない選手だが、米ゴルフ界では、なかなかの人気者。名門アリゾナ州立大学を経て、プロ転向は1997年。ハイスクール時代はボクシングも本格的にやっていたとか、米ツアーのQスクールに兄弟揃って挑んだ等々、以前から何かと話題にのぼることが多い選手だった。
ミニツアーや下部ツアーで腕を磨いた後、2002年に米ツアーに辿りついた。ドライバーのヘッドカバーは真っ赤なボクシングのグローブ。
「ムカついたら、これでブッ飛ばす」
過激な発言が問題視されたことが何度かあった。思い通りのプレーができていないと感じ始めると、すぐにブチ切れ、構えた瞬間に打って歩き出す“超ハイスピード・プレー”が大いに問題視されたこともあった。
だが、その一方で、社会貢献やチャリティには誰よりも積極的で、しかも、どうしてだかミドルエイジの女性たちばかりを集めてチャリティ活動を展開。米ツアーの試合会場には、お揃いのTシャツを着た妖艶な女性たちが何十人も集まり、ペレスのラウンドにぞろぞろと付いて歩きながらギャラリーにチャリティを訴えかけていた。そんなペレスの姿を見て、「それなら私も」という具合に、ひっそりと彼を応援するファンは決して少なくなかった。
しかし、成績はなかなか上がらず、初優勝は米ツアーデビューから7年後の2009年のキャリアビルダー選手権。そして、その優勝賞金をペレスはすぐさま社会的弱者のためのチャリティへ回した。
以後、再び勝てない日々を過ごし、昨季は2月のホンダクラシック出場後に肩の手術を受け、長期欠場を余儀なくされた。今季は石川遼と同様、米ツアーの公傷制度に助けられて復帰したばかりだが、今大会の優勝で向こう2年のシード権が安泰になった。
「40歳になってから大きな手術を受けることになり、それからは一体どれほど眠れぬ夜を過ごしたことか。これから先、自分のプロゴルファーとしてのキャリアはどうなってしまうのか。妻や家族、僕の人生は、生活は、収入は、どうなってしまうのか。そんな不安や心配が次々に頭に浮かんできて、ベッドに横になっても、ちっとも眠れない夜が続いた。でも、これでやっと安心して眠れる」
そんな喜びの言葉に、昨季のペレスの苦悩が垣間見えた。
初優勝の賞金をチャリティに回し、障害者や差別被害者、社会的弱者に救いの手をさしのべてきたペレスが、自ら生活の不安を直に味わい、そして復活優勝。彼の今後のチャリティ活動が、さらに積極的、精力的になることは間違いない。
米ツアーデビュー以来、7年目、182試合目でようやく初優勝を挙げ、それからさらに7年、通算379勝目でやっと2勝目という歩みは、勝率と速度からすれば、実にスローだ。しかし、その勝利を、まるで自分たちにとっての“スーパーマンの勝利”、いやいや“足長おじさんの勝利”のごとく、心の底から喜んでくれる人々が社会にたくさんいるのだから、ペレスの優勝は社会の喜びと言っても過言ではない。
米国以外では無名なペレスが米国では結構な人気者であるワケはそこにある。
「“あのペレス”が勝ったね」
 そう言って喜んでいる人々の声は、想像以上に大きい。
文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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