『母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出 (中公文庫)』工藤 美代子 中央公論新社

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 先月10月27日に、100歳で薨去(こうきょ)された三笠宮崇仁親王殿下。戦時中は、お印の"若杉"にちなんだコードネーム「若杉参謀」の名で中国の南京へ赴任。戦後は歴史学者として活躍し、『古代オリエント史と私』(学生社刊)などの著書も出版。東京女子大などの教壇に立ち"オリエントの宮さま"とも呼ばれました。

 書籍『母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出』は、そんな三笠宮さまと同妃百合子さまご夫妻に、ノンフィクション作家の工藤美代子さんが12時間以上にもおよぶインタビューを実施してまとめた貴重な証言集。

 大正天皇と貞明(節子)皇后の第4子として1915年に誕生し、幼少期は澄宮(すみのみや)の称号で知られた三笠宮さま。本書の中では、三笠宮さまご自身の生い立ち、母・貞明皇后の人柄、そして弟の立場から見た昭和天皇の苦悩を語っていますが、その中で、"三笠宮双子説"について言及しているのも見逃せません。

 当時の週刊誌やTVが大騒ぎした双子説ですが、事の発端は、皇室ジャーナリスト・河原敏明さんが1984年に執筆した「三笠宮さまは双子だった」というスクープ記事によるもの。

 記事の内容は、のちに『昭和天皇の妹君―謎につつまれた悲劇の皇女』(文春文庫刊)に詳述されていますが、同書によれば、実は三笠宮さまには双子の妹が存在。しかし当時の宮中では双子を忌む因習があったため、妹の方は生後間もなく極秘裏に里子に出されたのであり、奈良市にある円照寺の門跡・山本静山尼(本名・山本絲子)こそが、その双子の妹だと主張する内容でした。

 この内容を踏まえ、インタビュー時に双子説の真偽について質問した工藤さん。すると、三笠宮さまご自身は「あれはもう週刊誌に書かれたりして、宮内庁からも正式に抗議をしているんです」(本書より)と、はっきりと否定。三笠宮さま出生時の体重は930匁(約3500グラム)と標準体重よりも重く、医学的見地からも双子の事実はなく、また記録の改竄の余地もないことから、双子説はまったくの事実無根であると結論付けています。

 ご夫妻の言葉を通じて語られる、終戦前後の皇室の暮らしぶりや、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮の4人兄弟の母・貞明皇后の実像。皇族自身が自らの言葉で激動の昭和史を語った記録である本書は、天皇の「生前退位」をはじめ、女性天皇・女系天皇の是非など、皇室の在り方について関心が高まっている昨今、ぜひ一読しておきたい内容となっています。