イギリス南部のソールズベリーから北西約13kmに位置するストーンヘンジ

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●揺らぐストーンヘンジの評価?

 昨今、公的機関による情報公開の重要性が話題に上っている。代替科学や古代文明に関心を抱いてきた筆者にとって、公開のタイミングを逸してしまった例として最近思い当たるのが、イギリスのストーンヘンジである。

 エジプトの三大ピラミッドに続いて、誰もが最初に思い浮かべる古代遺跡のひとつだと思われる。古代の人々はどのように巨石を運び、環状列石を組み上げ、何に利用してきたのだろうか。ストーンヘンジにロマンを感じる人々はあとを絶たず、年間訪問者数は800万人にも及ぶ。

 だが、そんなストーンヘンジの歴史的・文化的な価値と評価に対して、近年、疑惑の目が向けられている。現在のストーンヘンジは、過去に行われてきた大規模な復元作業によって完全に作り直された近代のモニュメントにすぎないという声が上がっているのだ。なかには、初めからストーンヘンジなど存在せず、観光目的の作り物だと考える人々すら現れている。ストーンヘンジの管理主体であるイングリッシュ・ヘリテッジは、英国政府が設立した組織だが、疑惑の元凶を生み出した張本人でもあり、近い将来、説明を求められるようになるのではないかと関係者の間で囁かれている。

 いったい、どういうことなのか。

 ストーンヘンジを囲む土塁と堀の起源は紀元前3100年頃に、松の柱が立てられていたとされる穴の起源は紀元前8000年頃にも遡り、ストーンヘンジは歴史ある遺跡であることは間違いない。だが、こんな歴史的遺産を管理する一部の人々が、不都合な真実を隠してきたことが次第に明らかとなってきたのである。

 すなわち、遺跡には繰り返し大規模な復元作業が行われてきたにもかかわらず、その詳細の公表は意図的に差し控えられてきたのだ。イングリッシュ・ヘリテッジで上級考古学者を務めるデイヴ・バッチェラー氏によると、公式ガイドブックに記されてきた復元の歴史に関しては、1960年代に省かれるようになったという。その背後にどんな意図があったのだろうか。

 内情を知る人々のなかには、ストーンヘンジのことを「20世紀の遺産業界の産物」と称する考古学者もいる。英ケンブリッジ大学の考古学記録の保管人で作家のクリストファー・チッペンデール氏は、ストーンヘンジで我々が目にするもののほとんどがなんらかの形で手が加えられていると言う。特に、30kmほど離れたエーヴベリーのストーンヘンジに関しては、1920年代にほぼすべてが立て直されたという。

 また、歴史研究家のブライアン・エドワーズ氏は「あまりにも長い間、ストーンヘンジの復元作業に関しては伏せられてきた。それについてほとんどの人が知らないことに驚いている。将来、ガイドブックがすべてのことを伝えるようになればいい」と語っている。

●知られざる調査と発掘の歴史

 記録にある最初の調査は1798年、大規模な調査は1900年に行われ、発掘作業は国有化されたあとの1919年から26年まで行われたとされる。だが、一般的に使用されている「調査」や「発掘」という言葉は現実的には不適切で、「復元」が相応しいと思われる。

 というのも、19世紀末までは、ストーンヘンジを構成する巨大な組み石(トリリトン)や立石(メンヒル)は崩れかかっていたが、1900年からの「調査」や19年からの「発掘」によって、それらの多くが垂直に立て直されたからである。すなわち、巨石は一度取り除かれ、穴が掘り直され、垂直に立てて戻される際、巨石の足下は頑丈なコンクリート基礎で固められたのだ。

 そんな復元計画に関して、当時の英国の新聞「タイムズ」には反対の声が多数寄せられたという。おそらく、遺跡にどのくらい手を加えるべきか議論されたのだと思われるが、調査や発掘という言葉の意味を超えて復元作業は強行されることになった。

 当時の調査・発掘の詳細はほとんど公表されていないが、わずかに写真資料は残されている。例えば、1901年の写真を見ると、「調査」においてすでに大規模な復元作業が行われていたことがわかる。

 その後、1919年、20年、58年、59年、そして64年にも復元作業は行われた。20年には6つの巨石が起こされ、コンクリートで固定された。58年にはアルターストーン(祭壇石)の穴が掘られ、トリリトンが再建された。また、59年には3つの巨石が、64年には4つの巨石が起こされ、コンクリートで固定された。チッペンデール氏によると、1964年の時点でほぼすべての石は動かされ、コンクリートで固定されたという。

 これまでほとんどの人はその事実を知らずにきたが、2012年になり、あるロシアの情報サイトが暴露するかのように、1950年代に行われたストーンヘンジ復元作業の様子を詳細に捉えた写真108枚を公表し、衝撃を与えた。

 それらの写真を見ると、巨石が完全に取り除かれ、穴を掘り直し、再設置の際にコンクリートが流し込まれた様子がわかる。巨石が据え置かれていた地面は掘り返され、土はまとめて横に盛られているが、たとえば巨石の直下は砂利敷きだったのかなど、十分な土壌調査と詳細な記録を経て行われていたのか疑問は残る。

 また、いくつかの石には裸の状態でロープが巻かれて吊り上げられていたことや、子供を含めた見物人もいたこともわかり、国家プロジェクトによるプロフェッショナルな作業というよりも、むしろ民間ボランティアが週末に行ってきた作業のような印象すら与えるものである。

●疑惑を呼ぶ巨石

 ところで、ストーンヘンジに利用されている石は、火成岩のドレライトと堆積岩の砂岩が主体だが、奇妙な巨石がある。それが次の写真に写っているものだ。完璧な直方体のコンクリートの塊が巨石の芯を構成しているようにみえる。良心的にみれば、巨石の内部をくり抜いてからコンクリートの基礎(芯)の上に被せるように載せられたのだと考えられるだろう。

 だが、一部の人々は、石自体が完全に作り物であり、予め用意しておいたコンクリートの芯の周りにそれらしく加工したコンクリートを被せたのではないかと疑っている。つまり、セメントに混ぜ込む砂や小石などを厳選し、巧く加工すれば、天然石のように加工できるのではないかというのである。

 確かに、この点は説明されるべきだろう。それがないために、ストーンヘンジという古代人による神秘的な遺産は、20世紀に国家ぐるみで脚色して作り上げられたものだという極論まで生まれているのである。

 ただ、ひと昔前までは、絵画のような美術品の修復においてすら、元の状態を想像して、修復師が上から新たに絵具で描き足すという作業が続けられてきた。そのため、オリジナルとの乖離は珍しいことではなかった。同様にして当時、ストーンヘンジの復元にかかわった人々も、現代の感覚からすると違和感を伴うかもしれないが、さまざまな復元方法はあり得、自分たちの活動に誇りをもって取り組んできたものと思われる。そのような意味では、おそらく、復元作業において特別深い意図はなかったものと想像される。

 問題は、やはりイングリッシュ・ヘリテッジが1964年の修復を最後に、その詳細を故意に伏せてきたことにあるだろう。70年代には上からの指示で隠蔽体制が確立されたといわれている。その背景には、観光収入への期待感があったのだと想像されるが、説明不足は否めない。後ろめたいことが何もなかったとしても、今となっては、復元を大胆にやり過ぎた印象は拭えない。

 1986年、ストーンヘンジはエーヴベリーの遺跡群と合わせて、ユネスコの世界遺産に登録された。そして、世界で最も有名な先史時代の遺跡として輝かしき地位を獲得している。それは、皮肉にも早期に大胆な復元作業を行い、余計なことは語らない体制を強化してきた成果だったといえるのかもしれない。

 一方、日本の富士山が世界遺産に登録される際、ゴミ問題(環境管理)が障害となった。世界遺産への登録には、そのものの価値以外にも要求される要素は多く、厳しい基準があった。また昨今、日本においては情報公開のやり方とタイミングを失敗して、とても大きな問題に発展するケースが目立つ。

 単に日本人は粗探し好きにもかかわらず、情報公開が下手である可能性もあるのかもしれないが、時代とともに我々の価値観も変わり、イギリスにおいても情報公開の必要性がもっと叫ばれるようになるのではなかろうか。
(文=水守啓/サイエンスライター)