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バルセロナはスペインにあるマドリッドに次ぐ大都市である。プロサッカーチーム、オリンピック開催などのスポーツでも知られているが、その歴史的かつ美しい街並みも世界に名高い。数ある文化遺産の中でも特に有名なのはアント二・ガウディが残した未完のサグラダ・ファミリアであろう。

という前置きで始めると、何かロマンチックな物語がこれから展開すると思うかもしれないが、この話はスペインの美しい都市バルセロナとは全く関係がない。大変残念なことに筆者も未だに訪れたことはない。バルセロナは前回話したデュアルコアOpteronの後継機種クアッド・コア(4コア)Opteronの開発コードネームであったというだけだ。私も含めて、当時このプロジェクトに関わっていたAMDの人間には、バルセロナロはそのマンチックな響きとは相反して苦い思い出を想起させるかもしれない。

○技術の高度さが裏目に

K8コアベースのOpteronでサーバー市場に打って出たAMDは、デュアルコア(2コア)までは非常に順調に製品投入が行われ、さすがの王者インテルも前述のコア・アーキテクチャベースデュアルコアWoodcrestの投入まではAMDに押されっぱなしの状態であった。2003年のOpteron登場から少なくとも3-4年はAMDのサーバー市場、ハイエンドPC市場への進撃が続いた。AMD始まって以来、競合インテルへの技術的優位性を印象付けた素晴らしい時期であったに違いない。インテルがWoodcrestで逆襲を試みる中でも、この3-4年で築いたAMDのサーバー市場での優位性はしばらく続いたのである。とりわけ番外編で紹介した東京工業大学(東工大)のスパコンプロジェクトTSUBAMEは業界に大きなインパクトを与え、その後の他の大学のスパコンプロジェクトでAMD CPUの採用が真剣に検討され、遂には東京大学(東大)、筑波大学(筑波大)、京都大学(京大)、の3大学のスパコンにAMD Opteronが使われることとなった(我々はこれらの大学の頭文字をとってT2Kプロジェクトと呼んでいた)。東工大のTSUBAMEと大きく異なる点はメインのCPUにデュアル(2コア)ではなく クアッド・コア(4コア)のOpteron(コードネーム、バルセロナ)を採用したことだ。

デュアルコアの時もそうであったように、4コアのバルセロナは非常に野心的なプロジェクトであった。45nm/SOIの最先端プロセスで、4/8 Wayのハイエンドサーバー向けに、単一シリコンチップに4つのCPUコアを集積するという高度な技術であり、文字通りインテルの猛追を一気に振り切るポテンシャルがあった。そこで、大学スパコンの中心的存在であった東大、筑波大、京大 -T2Kは早々にバルセロナの採用を決定し、実際に大規模スパコンの構築プロジェクトを立ち上げた。T2Kのプロジェクトはそれぞれが東工大のTSUBAMEと同等、あるいはそれ以上の規模だったため、3大学のトータルの規模は非常に大きく、日本市場を預かる我々だけでなくAMD全社から注目された。しかし、バルセロナはその技術の高度さ故、最終的に出荷されるまで以下のような遅延が発生した。

1. 2007年3月、AMDはバルセロナは同年8月から出荷開始と発表。
2. 2007年8月、AMDはバルセロナは9月から出荷開始と訂正、少量出荷が9月から開始。
3. 2007年11月、AMDはB2(B1シリコンの改訂版)にバグが発見されたという理由でバルセロナの出荷を停止。
4. 2008年4月、AMDはB3(B2シリコンの改訂版)にてバルセロナの出荷再開。

この時のバグの内容について詳しくは覚えていないが、(ごく稀なケースではあるが)システムがロックアップを起こすというかなり厄介な問題で、当初はBIOSの変更などで回避しようとしたが、何しろ使われるシステムがハイエンドの高性能システムであるから、シリコンのスピン(半導体業界で増産用のシリコンのマスクに手を加えることをスピンという、一回やるごとに最低でも3-4か月の遅延が生じる)を今一度やることになりバルセロナは最終出荷までに3版のマスクが作られたわけだ。

バルセロナを待っていた世界中のお客さんは非常に困った。特に、T2Kは国家予算に裏付けられた公共プロジェクトであるから遅延は許されない。本社デザインチームも必死に頑張ったのだが、B3が出てくるまでの我々前線営業は相当なプレッシャーにさらされた。

バルセロナの遅延が大きな問題となった2007年の営業会議では、世界から集まった500人の営業を前に、当時COOのマリオ・リヴァスがステージに突然バスケットボール選手のユニフォームで現れ(マリオはプロバスケットボールの大ファン)、“ビジネスはチームワークだ!!"と叫びながら、本物のバスケットボールを営業の聴衆に次々と投げ入れ、営業が投げ返すのをしっかり受け止めるというパフォーマンスを披露して、開発、製造、マーケティング、営業の全社的結束を訴えた。

すったもんだの挙句、度重なる遅延ののちバルセロナはやっと出荷され、東大、筑波大、京大のスパコンは稼働したのだが、当時のお客様には大変な心労をかけたし、私を含めAMDの担当者にはバルセロナと聞くとこの苦い思い出が付きまとう。

バルセロナの遅延で競合インテルに挽回の機会を与えてしまったことは、その後のAMDのサーバー戦略への大きなインパクトとなったのは言うまでもない。

著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Device)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ

(吉川明日論)