ローマ教皇とマザー・テレサの怒りに触れたクリントン夫妻――国論を二分する中絶問題

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 米国大統領選は、11月8日の投票日間際になって、急展開を見せています。10月はドナルド・トランプ共和党候補のわいせつ発言スキャンダルに始まり、3度のテレビ討論会はすべてヒラリー・クリントン民主党候補が優勢、勝敗の行方を占うクッキー・コンテストでも、メラニア・トランプ夫人にビル・クリントン元大統領が勝利するなど、クリントン陣営は楽観ムードに湧いていました。ところが、10月末にヒラリーの私用メール問題がまたもやFBIの捜査を受けることになり、ヒラリーのリードは急激に縮小してしまいました。一部の世論調査では既にトランプの支持率が逆転したとの報道もあり、民主党支持層は焦りをつのらせています。

 はじめは泡沫候補扱いだったトランプが、大本命視されてきたヒラリーを追い詰めることができた背景には、強い反クリントン勢力の存在があります。その一派が、「pro-lifer(生命尊重主義者)」、人工中絶に反対する人々です。

 人工中絶は米国世論を二分するデリケートな問題であり、過去の大統領候補たちはこの問題に触れることに慎重な姿勢を取ってきました。しかしヒラリーは「pro-choicer(選択尊重主義者)」として、人工中絶の権利を擁護する立場を明確に打ち出しています。そのために「『子どもの擁護者』を自称しておいて、『未出生の子ども』の人権は無視するのか」との激しい批判を受けているのです。

 なぜ米国では人工中絶が大きな争点となるのでしょうか。最大の理由は、アメリカの「見えざる国教」と呼ばれるキリスト教が、堕胎を否定していることです。アメリカ合衆国憲法は信教の自由を保障していますが、歴代の大統領はほとんどがキリスト教徒です。無宗教だったとも噂されるジェファーソンとリンカーンの2人も、出自はキリスト教家庭でした。そして大統領選の帰趨を握る激戦州は、キリスト教徒の人口が多いことが特徴です。すなわち、キリスト教徒の票を獲得できるかどうかが、当落の鍵となるのです。

◆クリントンとキリスト教会の対立

 米国では、女性に中絶の権利を認めた最高裁判決「ロー対ウェイド事件」(1973年)まで、大多数の州で人工中絶が禁止されていました。これまでの大統領の中で、中絶擁護政策を最も積極的に推進したのが、ヒラリーの夫、ビル・クリントンです。クリントンは大統領就任後間もなく、中絶可能な医療施設の増設や、中絶ピル「RU-486」の合法化などに着手しました。そのことが、当時キリスト教界で最も大きな影響力を持っていた2人の人物の逆鱗に触れました。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世、そしてマザー・テレサです。

 1990年代、ローマ教皇は渡米する度にクリントン政権の中絶擁護政策を強く非難しました。冷戦の終結後、世界平和を脅かすのは、「最も弱き者」の殺戮を許す「死の文化」であると教皇は繰り返し訴え、アメリカとバチカン市国は深刻な対立状態に陥りました。

 また1994年にクリントン大統領によって米国に招かれたマザー・テレサは、多宗教の信者たちを集めた全国祈祷朝食会の場で、「イエス・キリストは『幼な子を受け入れることは私を受け入れることだ』と語っています。ですから人工中絶とはキリストに対する冒涜にほかなりません」と断言し、大統領夫妻を凍りつかせました。3000人近い聴衆が総立ちで長い拍手を送る中、ビルもヒラリーも微動だにしなかったといいます。

 人工中絶への見解は相容れなかったマザー・テレサとヒラリーですが、「養子縁組の促進によって人工中絶を防ぐ」という共通の目標を見つけました。インドで何千人もの孤児たちの養子縁組を成立させてきたマザー・テレサは、ワシントンD.C.にも孤児院を建てて欲しいとヒラリーに懇願したのです。ヒラリーは願いに応じ、翌1995年には首都での「マザー・テレサ子どもの家」の設立にこぎつけました。マザー・テレサの夢の結晶だった「子どもの家」はしかし、2002年には閉所を余儀なくされています。