15期連続増益、シスメックス家次会長のシンプルな哲学

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「世界トップシェア」「16期連続増収」「15期連続増益」「超優良世界企業」。そんなシスメックス【社長力ランキング2016 5位】の快進撃の根底には、経営者の”わかりやすい経営哲学”がある。

主要事業であるヘマトロジー(血球計数検査)の分野では世界シェアトップ。その世界企業への道は、家次恒の社長就任から始まった。2016年3月期の連結売上高2,500億円超、営業利益は569億円、16期連続増収、15期連続増益(営業利益)という快進撃を続け、世界的優良企業に変貌を遂げた。その変革を牽引した家次の経営手法に迫る。

特別な手法があるわけではない。原点は、企業は成長しなければダメだということ。では、成長するためにはどうするか。売り上げを上げること。売り上げを上げるためにはお客様の価値を最大化する以外にない。

もともと私たちの会社はヘマトロジー(血球計数検査)機器に特化した会社。社員の意識も、機器をいかに多く売るかにあった。機器は高価なので、機器を購入してもらうために、それに付随する修理などのサービスはタダにするということも多かった。しかし、機器の値段は毎年のように下がり、性能があがれば買い替えサイクルも長くなる。この方法では毎年ある程度の業績は残せても成長はできない。

しかし、効率的に、安全に、迅速に、かつ正確に検査ができることこそが顧客の価値だ。その価値の実現を追求することを第一に考えれば、おのずと新しいビジネスの方法が見えてくる。

現在、当社の売り上げ構成は、機器販売約34%、試薬約46%、サービス&サポート・その他約20%だ。お客様の価値を追求すれば、機器の性能だけでなく、試薬の品質、検査プロセスにかかわるすべてのサービスが大切だということは誰でもわかる。あとはそれを実現する手段を考えればいい。

試薬に関していえば、神戸の試薬メーカー・国際試薬を買収することで試薬の開発力強化を実現した。これをビジネスモデルという観点でいえば、機器を売って収益を上げるのではなく、試薬という毎日使う製品を売って収益を上げるという仕組みへの転換だ。

その結果、売り切りだった機器が、日々の収益をも生むようになった。同様に、コストセンターだったサービス部門もプロフィットセンターとなった。コールセンターのIT化から始まり、機器をネットワーク化してお客様の要望にすぐに応えられるように変えていった。

また、当社は検査室全体の品質向上や効率化を目指したトータルソリューションを提供している。その際、すべて我々の商品を提供しようとは考えていない。顧客の価値を最大化するために他社製品のほうがよければ、それを提案する。私たちの持つ技術も製品も、お客様の価値を最大化するための道具の一つだということだ。

ー売上高構成比を見ると、国内が15.7%、海外が84.3%。社長就任直前の海外売上比率は約45%。この急速なグローバル化が増収増益を支えているもう一つの要因だ。特筆すべきは、1995年にすでに中国に進出したことだ。

これもビジネスモデルの転換と同じ発想だ。成長しようと思ったら世界に出ていくしかない。1人1検体、つまり人口が我々のビジネスのポテンシャルになる。人口の減る日本に安住していては先細りすることは誰でもわかる。

ーそれにしても、当時の中国はまだ「世界の工場」にもなっていない。ましてマーケットとして可能性に着目した経営者は少ない。次々と先手を打てた理由は?

大きな潮目を読むことだ。社長に就任したときの目標は、グローバルでトップ10入りを果たすこと。そのためには当時300億円ほどの売り上げを倍の600億円近くに伸ばさなくてはならない。社員たちの中には「私たちを倍働かせるのですか?」と言う者もいたので、「あなた方はそのままやればいい。これは経営の仕事である」と答えた。

シスメックスという船をどの潮目に乗せるかを考えるのが私の仕事だ。社員がどんなに一所懸命船を漕いでも、経営者が下手な潮目に乗せたら逆走する。いい潮目なら普通に漕いでも大きく前進できる。

ミクロで見れば中国市場はリスクばかりに見えるかもしれないが、マクロで見れば大きな人口ポテンシャルを持ち、経済成長の過程にある。この潮目に乗せようと決めたら、あとはチャレンジだ。

ーシスメックスにとっての次の潮目は何か?

大きな潮目は、遺伝子解析技術の進化。それによって個別化医療の時代が来る。先手を打って00年に中央研究所を設立している。遺伝子検査や、リキッド・バイオプシー(血液や体液によるがんなどの疾病検査)の分野で個別化医療に貢献したい。

家次恒(いえつぐ・ひさし)◎1949年生まれ。73年京都大学経済学部卒業後、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。86年、東亞医用電子(現シスメックス)に入社、取締役に就任。90年常務取締役、96年専務取締役を経て、同年6月より現職。