中央タクシー会長 宇都宮恒久氏

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仕事を進めるうえで最も大切なのは、取引先や顧客、あるいは上司や部下、同僚との信頼関係を築くことだ。信頼をつくり上げるもの、そしてそれを壊すものは何なのか……それぞれの道で認められた「仕事の神様」に聞いた。

お客さまのうち約9割が電話予約で占められ、基本的に流しの営業はしない。それでいて売上高で長野県内トップなのが中央タクシーだ。創業経営者である宇都宮恒久会長は、タクシーをサービス業ととらえ、接客の徹底に努めてきた。そうした10年以上にもわたる取り組みに学ぶ。

東京の五輪招致活動の成功で、俄然注目されているのが「OMOTENASHI(おもてなし)」。おもてなしをビジネスに取り入れようという話題もよく耳にする。世間では当社のことをおもてなしの模範的企業と考えているらしく、「定着のノウハウを教えてほしい」というリクエストをいただく。しかし、秘策などない。長い年月が必要になってくる。

当社では「お客さまが乗降するときにドアを手動で開閉する」「お客さまに自己紹介する」「雨や雪の日にはお客さまに傘を差す」ということ以外、接客についてのマニュアルはない。お客さまからいただいた礼状やメールを社内に張り出したり、社員の間で成功事例についての情報共有をしている程度だ。

最も重要なのは、社内の人間関係を良好に保つことである。人間関係がよければ、社風も明るくなり、それがお客さまに対する態度にも表れる。おもてなしとは、そうした社風のなかで、自然に社員の身につくものだと考えている。

たとえば、当社では感謝の気持ちをメッセージにした「ありがとうカード」を同僚に渡す仕組みがある。そのカードを配った数を競うキャンペーンを毎年3カ月間行っているが、トップクラスの社員は5000枚以上配る。それだけ社員の仲がよく、互いに助け合う社風になっている。

介護タクシーを導入した際、2級ヘルパーの資格を取った約20人の社員が、ほかの社員に介助の方法を教え、今では大半の社員が介助できるようになった。通常のタクシー会社は人の出入りが激しいが、当社の離職率は2%程度にとどまる。

■未経験者採用で純粋培養

私は大学を中退して、父が経営していた宇都宮乗用自動車商会に入社。その後、再建のため父とともに長野タクシーに移った。当時の社内は労使紛争が絶えず、朝礼では挨拶どころか、「この馬鹿野郎」と怒号が飛び交っていた。新入社員が入ってきても、すぐにヤル気を失ってしまう。「腐ったりんごは、周りのりんごまで腐らせる」という状態だった。

頭にきて「こんな会社、潰したほうが世の中のためだ」と父に言い放ったこともあった。父も見かねたのか、「再建に10年はかかるから付き合うことはない。自分の好きなようにやってみろ」と独立を勧めてくれた。それで1975年に中央タクシーを創業したのだ。

私は、「単なる運送業ではなく、サービス業としてのタクシー会社をつくろう」と考えていた。ところが、なかなかうまくいかない。慢性的な人手不足で、経験者の中途採用に頼らざるをえず、乗務員に染み付いたタクシー業界の悪弊を取り除くことが難しかったからである。

それでも「諦めないうちは失敗ではない」と自分に言い聞かせ、粘り強く社員教育に取り組んだ。まず人間関係をよくしようと、私が率先して「おはようございます」「お疲れさまでした」といった挨拶を社内で徹底させた。社員同士が一緒に仕事をしたときには、必ず「ありがとう」という言葉を相手に伝えさせた。

ドアの手動開閉、自己紹介のサービスを取り入れたのは創業4年目くらいから。乗務員は抵抗したが、私が助手席に乗り込んで、できるようになるまで指導した。一方、創業3年目から業務員の採用は未経験者に限定し、経営理念に沿った人材を純粋培養で育てることにした。

コップのなかの濁り水に、スポイトで少しずつ真水を入れて、透明度を高めていくようなものだったが、社員の態度は徐々に変わっていった。半信半疑だった社員たちも、実際にお客さまから褒められたりするうちに、私の言っていることを納得したのだろう。風向きが変わり始めたのは10年目くらいからだ。

今では、おもてなしをするサービス業から一歩進めて、「お客さまの人生に触れ、安全を守る仕事である」との使命感を持って取り組んでいる。病院から自宅まで300メートルしか離れていなくても、歩いて帰れずに困っているお年寄りがいる。そうしたお客さまにも寄り添うべきなのだ。

■サービスは乗務員が判断

こんなこともあった。98年に地元の長野で開催された冬季五輪では、マスコミが長野のタクシーの大半を借り上げたのだが、当社は借り上げをできるだけ辞退した。現場の乗務員たちが「借り上げに応じると、病院に通っている高齢のお客さまが使えなくなる。どうするんですか」と反対の声を上げたからだ。五輪特需を逃すことになったが、常連のお客さまを優先すべきと判断した。

99年からは「空港便」を始めた。長野から羽田、成田などの空港まで、予約制の乗り合いの大型タクシーでお客さまを送迎するサービスだ。お客さまの自宅まで行くので、荷物の持ち運びも必要ない。早朝や深夜なら寝ていける。特に高齢の方からは好評で、主力事業に成長している。保有しているタクシー約120台のうち、約70台が空港用だ。

乗務員が自分の判断でお客さまにきめ細かく対応できるのも強みで、高速道路が大渋滞したために途中で鉄道に乗り換えたが、お客さまが迷わないようにタクシーを駐車場に入れ、乗務員が空港まで付き添ったこともあった。東日本大震災のときは、予約していたお客さまが12時間遅れで空港に到着したが、乗務員がずっと待っていたケースもある。

6年前、空港便が予想外の大雪で立ち往生し、予定のフライトにお客さまが乗り遅れ、1泊せざるをえなくなったことがあった。私の判断で空港近くの一流ホテルに部屋を用意し、最高級の料理を出して、おもてなしをした。代替の航空運賃も含めて経費は150万円かかった。しかし「お客さまが先、利益は後」という経営理念をトップが実践したことで、社内に示しがついたように思う。

乗務員には、売り上げのノルマを課していない。それでも2013年9月期の売上高は15億1200万円で、長野県のタクシー会社ではダントツのトップだ。また、地方タクシーは赤字経営が珍しくないが、当社は黒字経営を続けている。お客さまに尽くせば、結果がついてくることを実証できていると思う。

▼おもてなしで信頼されるには?

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【×】接客マニュアルを作る――「マニュアルで決まっています」
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【○】お客様からの「お礼」は共有する――「昨日、お客さまからこんなお礼の電話がありました」

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【×】】まずお客さまとの関係をよくする――「お客さまへのあいさつを忘れないように」
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【○】まず社員同士の関係をよくする――「一緒に仕事をした社員へ『ありがとう』の言葉を忘れない」

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【×】】効率を重視する――「自動ドアにしましょう」
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【○】非効率を残して「利用」する――「ドアを開けて差し上げましょう」

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中央タクシー会長 宇都宮恒久
1947年、長野県生まれ。大学中退後、父親が経営する宇都宮乗用自動車商会に入社。その後、再建のため父とともに長野タクシーへ移る。75年に独立して中央タクシーを設立。乗務員の手動によるドア開けなどのサービス向上を徹底させる。2008年、会長に就任。

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(野澤正毅=構成 南雲一男=撮影)