小松政夫と石倉三郎―映画『オケ老人!』で共演した仲良し喜劇人の笑いと出会い

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いつの間にかイ笑い芸人イ覆鵑童討喨が幅を利かせるようになった今日この頃。ゴ邨狄諭淵灰瓮妊アン)イ噺討屬砲佞気錣靴ど格を持ったベテラン、小松政夫と石倉三郎が映画『オケ老人!』で共演。ひょんなことからアマチュア・オーケストラの指揮をすることになった高校教師、小山千鶴(杏)の奮闘ぶりを描いた本作で、2人は最強のボケ、じゃなくて、オケ老人として笑いを振りまいている。その磨き抜かれた軽妙さは、まさにいぶし銀の面白さだ。プライベートでも仲が良いという2人に、出会いやそれぞれのルーツ、そして映画について話を聞いた。

―お2人はプライベートでも仲が良いそうですね。

石倉:そうなんですよ。仲が良いっていう次元じゃなくてですね、私がこの人の管理人みたいなもの(笑)。この人はほっとくと何するかわからないからね。

小松:イΔ襪気ぁイ箸いろんなこと言われてます(笑)。


Photo by Tsukasa Kubota

―最初の出会いって憶えていらっしゃいます?

小松:(坂本)九ちゃんの時かな?

石倉:その前にあるじゃない。ほら。

小松:あ! まだプロになる前の?

石倉:あたしがね、東京に出て来て(高倉)健さんと会って東映に入れてもらって、それだけじゃ食えないからスーパーでバイトしてたんです。その店にこの人が買い物に来たんですよ。

小松:深夜までやってる店でしてね。僕らは仕事が遅くなった時は朝の2時とか3時とかに行って、ちょっと生意気なのを買ってたんです。贅沢なものを(笑)。

石倉:この人はスターだからね。

小松:いやまあね(笑)。それでレジに商品を持っていったら、この人がいてイ呂ぁ△い蕕辰靴磴ぁイ辰謄織奪織奪織奪織辰肇譽犬鯊任辰討諭それでイ海譟∋っていってください。サービスですイ辰禿垢里發里髻幣弌法

―店長でもないのに勝手にオマケしちゃった(笑)。

小松:そう。こっちはイ─ え? 良いんですか?イ辰童世辰燭蕁非常に柔和な顔でイいい鵑任后△いい鵑任骨イ辰董それが初めての出会い。

石倉:今から46年前ですよ。

―石倉さんは、その時、どういう気持ちだったんですか?

石倉:その店はねえ、それこそ三船敏郎をはじめスターの集まるところなんですよ。だからスターは見慣れてるんです、こっちは。だけど、僕はこの人(小松)には格別な想いがありますから。だから、イ錣叩⊂松さんだよ!イ辰討覆發鵑任后

―小松さんは特別な存在だったんですね。

石倉:ざっくばらんに言うとファンだった。遡れば私が16、17の頃、クレイジーキャッツが世の中を席巻した。私は植木(等)さんの大ファンで、絶対、弟子になろうと思っていたんです。最初は三木のり平が好きだったんですけど、植木さんが出て来たら植木さんに乗り換えちゃった(笑)。それで毎週『シャボン玉ホリデー』を見てたんですけど、そこにタ¬ 等の一番弟子イ辰討い小松政夫という男が出てて、これがまたハンパじゃないんです。イ海鵑淵好瓦い里いたんじゃ、俺は出る幕ねえやイ辰董△箸辰箸反尾を巻いちゃった。


(C)2016荒木源・小学館/「オケ老人!」製作委員会

―諦めちゃった?

石倉:うん、諦めがいいんですよ、あたしゃ(笑)。あっさりしてんの。パッと諦めちゃう。

―それで高倉 健さんとの出会いを通じて役者の道に入られて。その後、お笑いをやられるようになったのは、やっぱり三木さんとか植木さんに憧れていたから?

石倉:いやいや、役者を続けられなかったんですよ、仕事がなくて。くだらない事務所だったんでね、仕事とってこれないでしょ。とってきたところで通行人とかそんなのばっかりよ。そりゃ腐りますよね、ゲ診やったって通行人かい!イ澆燭い覆諭それで1年ぐらい辞めてね。借金も重なってるし、友達とイ覆鵑やろうやイ辰鴇η笋任辰曽紊欧討笋辰燭蠅靴董その商売がダメになった時に坂本 九から電話があってセ焚颪笋辰討れないか?イ辰童世錣譴燭鵑任后で、イ◆▲レ、まだ芸能界にいるんだ。辞めたつもりでいたんだけどなあイ辰道廚辰討諭でもまあ、イ△◆△いい任垢蕣イ辰2年の契約でやって、終わった時に坂本 九がイ前、ちょっとオレのマネージャーやってくれないか?イ辰童世辰討たんですけど、イい筺▲レは性格的に裏方は出来ません。だったらもう、いっそのこと足を洗いますわイ辰討海箸砲覆辰董⊆鬚个辰り飲んでたら、オレとイ舛腓辰肇灰鵐啻箸發Δ糶イ辰討里いてね。イ笑いやらないか?イ辰董こっちはイ前よう、お笑いやるんだったら、オレは大阪にいたんだから吉本行ってるよイ辰董幣弌法ゥレは吉本とか漫才とか、そういうことは一切興味ないんだイ函

―興味なかったんですか?

石倉:全然なかったですよ。オレは映画にコメディアンとして出たかったんです。お笑いなんて出来ると思ってないし、好きじゃない。漫才なんて中田ダイマル・ラケット、ミヤコ蝶々・南都雄二だけで十分。ただ、クレイジーキャッツは違うんですよね。

―どういうところが?

石倉:音楽とお笑いを一緒にやったりしてね。モダンで、たまんないくらい格好良かったんだ。大阪のコマ(劇場)で植木さんを見た時、もう鳥肌が立っちゃって。ただ、ひとつネックだったのは、俺には楽器の教養がないってこと。まあ、なくてもなんとかなるだろうと思ってはいたけど、この人(小松)がコメディアンとしてやってるのを見て、もう、俺の夢は断たれたね。

小松:あはは。


Photo by Tsukasa Kubota

―小松さんも石倉さんと同じように、植木さんに憧れてこの世界に入られたんですよね。それまでは高給取りのセールスマンだったのに。

小松:僕は九州、博多出身ですけどね、役者としてやってやろうと思って上京して、劇団の試験を受けて受かったのはいいんですけど、入学金が払えなくて。こっちは家で同然で出てきているからね。それで役者は諦めて、いろんな仕事をやってた時に妙に車が売れましてね。ノルマが月6台のところ22台売れた。そこは報償制度があって、22台売ると200万くらいもらえるんですよ。

―月200万! すごいですね。

小松:当時、カラーテレビがビアホールにしか置いてなくて、そこで『シャボン玉ホリデー』を毎週見てたんです。お金は持ってるからね、店の支配人にチップを渡して、テ曜日の6時から7時まではオレの席だからイ辰謄謄譽咾料阿里い舛个麥匹だ覆魏,気┐討燭鵑任后幣弌法それでイΔ錣◆⊃¬ 等、良いなあイ辰謄謄譽咾鮓てたたら、まわりからはイ前、道を誤ったな。役者になれば良かったのにイ辰童世錣譴董1祺饐綣蠅任靴燭らね、私は。それで、イ茵爾掘△笋辰僂蠅修Δ!イ隼廚辰董⊃¬ 等が運転手募集しているのを知って応募したんです。

―それで小松さんは芸能界で見事ブレイクされて。スーパーで石倉さんと初めて会った後、お互いプロとして再会されたのはいつ頃だったんですか?

石倉:オレが漫才をやめて、また役者に戻った頃ですね。

小松:一番印象に残ってるのは、『月曜ドラマランド』に一緒に出たんですよ。

―『月曜ドラマランド』ということは80年代ですね。

小松:そうそう。オレは車を運転してスタジオに行ってたから、イΔ舛亡鵑辰討ない? 一杯飲んで行きなよイ辰突兇辰燭鵑任后その時の話がもう面白くて、うちの女房と一緒に腹抱えて笑ったんです。もう何を聞いても驚くほどの面白さで。巧みな話術で自分の人生の体験談みたいなのを言うんだけど、苦しい時代の話を笑い飛ばすんです。それで、うちで飲んだ後、サブちゃんはイ海譴ら新宿でもう一杯やって来ますわイ箸言ってね。元気だなあって。それ以来ですね、サブちゃんが好きになったのは。一緒に仕事をする機会もどんどん増えてきて。

石倉:オレもいいとこ来てるなあって思いましたよ(笑)。

小松:この人はほんとに面白いんです。苦労しているだけにいろんなことをよく知ってるし、それが芝居やなんかに反映されている。この人の受けたネタって、ほとんど人にもっていかれちゃっているけど、ゥ船腑鵐泪戒イ覆鵑討發Α△い鎚垢い討眈个辰舛磴い泙垢茵


Photo by Tsukasa Kubota

―それはどういう話なんですか?

小松:食えなかった頃、ヤクザさんの宴会に行ってね。そしたら、この人、ゥΕ韻佑┐放イ辰童世辰謄好奪櫂鵐櫂鵑砲覆辰舛磴辰董▲張襯張襪凌栃の頭の上にイ舛腓鵑泙押イ辰童世辰董淵Xコを)乗せちゃった(一同爆笑)。よくやるよねえ、そんなこと。

石倉:ウケないから頭に来たんだよ。

小松:そしたら、あとで他の連中もやり出したんだよね。

―チンマゲを(笑)。石倉さん、その後、大丈夫だったんですか?

石倉:いや、全然。若頭はイ△譴呂舛腓辰抜弁してくれイ辰童世辰討燭韻匹諭幣弌法三下とかはみんないきり立っちゃって。

小松:いい根性でしょ?。

石倉:あの頃は食うのも必死、ウケるのにも必死だったから。ウケるためなら何だってする。

―そんな石倉さんが今や由緒ある日本喜劇人協会の副会長ですもんね。そして、会長が小松さん。

小松:彼はこれまでにも大村 崑さんとか、いろんな人から誘われて断ってきたんですよ。イ△鵑覆發痢イ辰討諭それで僕が会長になった時、ゥレのところに言ってくるなイ隼廚辰燭蕕靴ぁ幣弌法そりゃ、言いますよ。ネ蠅爐ら来てくれない? 側にいてもらいたいイ辰董

―そしたら、ふたつ返事だった?

石倉:しょうがないですよね(笑)。大体そういう組織に入るの、オレは嫌なんですよ。好きじゃない。

小松:だからね。2人でやるべきことをやったら、とっとと引き上げようって言ってるんです。いろいろ改革してね。ちゃんと責任を果たしたら出て行こうって。


(C)2016荒木源・小学館/「オケ老人!」製作委員会

―最強のタッグだと思います。そんなお2人から見て、今のお笑いの状況はどう思われますか?

石倉:いやあ、つまらないというかね。みんな仲良しこよしでね。ネタがないもんだから、自分達の日常のことを、要するに楽屋オチばっかりテレビを使ってやってるわけでしょ。イ覆法△修譟イ辰道廚Δ茲諭

小松:みんなで飲み会やって、誰が一番飲んだとか。そんなのは喜劇じゃない。

石倉:イ修鵑覆海函△前のFacebookでやっとけよ!イ辰届辰任后テレビでやるなって。イ前ら芸をやれ! 芸を!イ辰討諭また、そういうのをやらせるディレクターがいるでしょ。今は芸をやっても視聴率がとれないんだろうね。もう、我々とは似て異なる世界ですよ。

―ベテラン芸人の活躍の場が少ないのも寂しい限りです。

小松:時代というものがあるということは間違いないですけどね。例えば植木 等っていう人は、年間に4本も映画の主役をやってたのが3本になり、2本になり、1本になり、とうとうゼロになった。映画が斜陽になったとか、いろんな条件はあるかもしれませんけど、そういう時期に植木 等がどれぐらい忸怩たる思いをしたか・・・。人気というのはどんどん新しい時代につれて変わって行くから、それは仕方がないって言いますけどね。ァ淵戰謄薀鵑髻砲發辰搬膸にしてやったらどうなんだ?イ辰道笋六廚Α

―小松さんは、そういう時期の植木さんを側で見ていたわけですよね。

小松:ええ。私のことで恐縮なんだけど、年に2回、盆暮れはイ修个鯆未蠅かったんでイ覆鵑童世辰突靴咾帽圓わけですよ。それでハ討覆鵑任垢韻鼻△いぬ鬚覆鵑任后どうですか?イ辰童世辰燭蕁イ笋蠅燭ねえイ辰徳漢海笋蕕覆ぁそれはわかりますよ。これまで主役をやってたのに、なんでこんなヤツの脇に回らなきゃいけないかって、そういう気持ちがどこかにあったんじゃないかと思うんですよ。はっきりとはわかりませんけどね。私はそんな気がした。ある時、ズ廼瓮劵泙世らな、テレビをいつも見てるんだよ。テレビばっかりだよ。ただ、お前が活躍してるのを見て嬉しいよ。それ見たら、オレももう一回、なんとか頑張らなきゃいけねえなって思うよイ覆鵑童世Δ鵑任垢茵∋笋料阿如私、その場でいられなくなって、トイレ行って号泣しましたよ。天下の植木 等がそんなことになっちゃって・・・。でも、ある時、バーンと自分で切り替えたのか舞台やなんかに出るようになって。『スーダラ伝説』というのレコードが出て、若い人たちがイ海鵑別滅鬚ぅヤジがいるイ辰独見して、それでまたドーン!と行った。

石倉:大滝詠一みたいなね、ああいう力がある若い人が、時代時代にひとりいれば有り難いんだけどね(大滝詠一はクレイジーキャッツのベスト盤の監修や『スーダラ伝説』のプロデュースを手掛けるなど、再評価に尽力した)。


(C)2016荒木源・小学館/「オケ老人!」製作委員会

―今回、お2人が出演された『オケ老人!』は、人生のベテラン達がオーケストラを通じて奮起する物語です。お2人に加えて左とん平さんも出演されて喜劇ファンにとってはたまらないものがありますが、映画に出演されていかがでした?

小松:老人達が頑張ってるっていうのは、いい話じゃないかな。で、そこに混じって杏ちゃんがすごく頑張って、最後まで頑張ってオーケストラに仕上げていくっていう話ですからね。痛快というか爽快というか。


(C)2016荒木源・小学館/「オケ老人!」製作委員会

―小松さんが演じるトミーこと花田富雄がチェロを弾いている時の表情が最高でした。それはもう、恍惚とした表情で(笑)。

小松:あれはね、そういう人がいたんですよ。女の人なんだけど、もう陶酔してる人が(笑)。イ覆鵑妊船Д蹐任修鵑粉蕕砲覆襪痢イ辰討いΔらい。僕らはそういのを見て盗んじゃう。それで監督にゼ己陶酔型でいいですかね?イ段垢い燭蕁イ匹鵑壁になりますか?イ辰童世Δら・・・(陶酔した表情でチェロを弾く仕草をして、一同爆笑)。

石倉:こういうのをやらせたら、小松政夫の右に出る者はいませんよ。

―そうですね(笑)。日頃の観察力の賜物なんでしょうね。

小松:これまで私が流行らせた言葉っていろいろありましたけど、全部、私が会った人のマネですから。私がこさえたものはないですよ。デフォルメはしてますけどね。

―まさにシ沮イ任垢諭石倉さんは映画に出演されていかがでした?

石倉:まずね、現場に行くのが楽しいなんて久しぶりの経験でしたよ。親分とか殿様(左とん平)もいて、ほんと楽しかったな。それに杏ちゃんが偉そうにしない子でね。非常に行儀のいい子なんですよ。そういう子が座長をしてくれたんで、最後まで楽しくやれた。その雰囲気が映画から出てると思うんですよ。

―石倉さんが演じる棟梁こと戸山のティンパニの叩きっぷりも良かったです。

小松:あれはねえ、一番難しいと思うんですよ。チェロは弾いたふりできるけどティンパニは実際に音を出すからね。

石倉:最初に東宝のスタジオで練習したんですよ、2日間。タイコが4つあるでしょ。素人は、ト、ト、ト、ト、とこういやるわけですよ(普通に叩く)。オレの場合はトッとやったわけ(手を交差して叩く)。そしたらプロがイ─ それできるんですか?イ辰董オレはそのほうがラクでさ。もう、天才じゃないかと思ったよ(笑)。絵としてみても、オレとティンパニはよく合うんだ。親分とチェロも合うし、殿様とクラリネットも合ってたしね。いいオヤジ達が、みんな必死こいて楽器やってたよ。


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小松:パートごとにプロの人がついてくれるわけですよ、ひとりひとり。その人たちが一所懸命に教えてくれる。撮影をしていると、そういうプロの人たちが自分の教え子を見守ってる感じがするのね。だから、ワンカット撮って終ると、普通役者は自分がどんな風に録られたか、みんなモニターに観に行くんですよ。今回は私達よりも先に、そのプロの人達がドーッと行って(笑)、真剣な顔で教え子の弾き方を観てる。私なんかも楽器の持ち方とか、手の動かし方とかいろいろ難しくてね。

石倉:顔はどうなの、顔は?

小松:(恍惚の表情を浮かべてチェロを弾くふりをして、一同爆笑)


(C)2016荒木源・小学館/「オケ老人!」製作委員会

―名コンビ!

石倉:管理人だからね!

小松:管理人がうるさいんですよ。でね、チェロを弾く時、手がこうなるのが素人なんです。真っ直ぐこういかなきゃ。それを練習させられて・・・。

石倉:そら神経使うわな。で、顔はどうなの?

小松:顔はこう(先程とは違う表情)。

―2発目! しかも表情が違う(笑)。こんなに間近で小松さんの芸が見られるなんて光栄です。

石倉:あ、あそこに監督来てるよ。だったら言うけどさ、オレ達のカット、ちょっと短いんだよなあ。

小松:うん、まあ。

石倉:イ泙イ犬磴覆て、はっきり言いなさいよ。カット短かったよな、オレ達。

小松:うん。短かったね。

石倉:『オケ老人!』なんだから、もっと老人出さないと。若い子の恋愛も入れないと客が来ないのはわかるけどさあ。オレとしては、そんなものいらないんだよ(笑)。

小松:でも、ゥ僉璽2イあるんじゃないの。

石倉:あるかよ!(笑)。いや、そういうのができるように『ローリングストーン』に宣伝してもらわないと。ジなきゃ損だよ!イ辰討機お願いしますよ。

小松:ゥ僉璽2イ蕨型佑もっと活躍しますから(笑)。


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MASAO KOMATSU
1942年1月10日、福岡県生まれ。役者を目指して上京、植木 等のつき人兼運転手を経験後、バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』で芸能界デビュー。以降コメディアンとして活躍。90年代以降は多数の映画、ドラマ、舞台に出演し、俳優としての地位を確立。近年の主な映画出演作は『ちんちろまい』(2000年)、『笑の大学』(04年)、『アリア』(07年)、『ハーメルン』(13年)、『トワイライト ささらさや』(14年)、『振り子』『岸辺の旅』(ともに15年)など。現在、日本喜劇人協会会長。

SABURO ISHIKURA
1946年12月16日、香川県生まれ。1967年に東映に入社、大部屋俳優として活動。72年に退社、商業演劇に活動の場を広げ、多数の映画、ドラマ、舞台にも出演。近年の主な映画出演作は『オルゴール』(89年)、『四十七人の刺客』(94年)、『岸和田少年愚連隊』(96年)、『どら平太』(2000年)、『座頭市』(03年)、『犬神家の一族』(06年)、『相棒劇場版供戞10年)、『あなたへ』(12年)など。また『つむぐもの』(16年)では映画初主演を務めている。現在、日本喜劇人協会副会長。

『オケ老人!』
監督/細川 徹
出演/杏、笹野高史、黒島結菜、坂口健太郎、小松政夫、石倉三郎ほか
11月11日(金)より、全国ロードショー
http://oke-rojin.com/

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