白夜のアラスカ、北米最高峰を目指して/写真家・石川直樹

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出発直前まで家で慌てふためいていた。遠征前はいつもこうなのだが、いつにも増してギリギリまで準備が終わらなかった。すでに装備リストはできているからそれに従ってパッキングしていけばいいのだが、ヒマラヤ遠征と北米最高峰デナリへの遠征とでは装備が少々異なるので、自宅の居間に道具や服などを並べて、パズルを解くように整理していかなければならない。

ヒマラヤでは、テントやコンロ・鍋や食料などは団体装備として、あらかじめベースキャンプに持ち込まれている。しかし、デナリにそうしたシステムはなく、必要なものは基本的にすべて自分で持っていくことになる。持っていかなくていいのは、ソリとガソリンくらいだろうか。

また、荷物を運んでくれるヤクやポーターもいないので、余分に何かを持っていくということもできない。重量は苦しさとなってすべて自分に降りかかってくるからだ。紙の本はもちろん、キンドルやPCも持っていかないし、シャンプーや石鹸も不要だろう。そういうことを考えながらパッキングしているうちに、時間だけがいたずらに過ぎていく。
 
食料は現地で買えるけれど、ある程度は日本から持ち込む必要がある。2011年から毎年ヒマラヤ遠征に出かけていたので、その都度食料などを買い込み、毎回少しずつ余る。それを家の食料箱に入れてあるのだが、よく見ると賞味期限が大幅に切れているものもたくさんあった。なかには溶けてどろどろになった飴や、粉末なのにかちこちに固まっているスープ類などもあって、げんなりした。

ぼくは賞味期限が切れてから1年半以内なら食べるというルールを自分に課し、2015年以降の賞味期限のものをピックアップしてダッフルバッグに詰めていった。

ようやく荷物を詰め終わったものの、何か忘れ物をしているような気がしてならない。しかし、そんなことを悠長に考えている時間はなかった。定年で会社を引退している父親が、成田空港まで車で送ってくれるので、急いで大きなダッフルバッグ2個を車のトランクに詰め込んだ。

父は会社を辞めてから何もすることがなくなり、家でテレビを見たり、犬の散歩などに行って一日を過ごしている。ぼくが空港に行くとき、最近はいつも車で送ってくれる。
 
国際線は出発時刻の2時間前に空港に着くのが普通だと思うのだが、そんなこんなで家を出るのが遅れて、空港に着いたのは出発の1時間前だった。ほとんどの人がチェックインをすでに済ませているため、カウンターはガラガラだった。

コンチネンタル航空でシカゴを経由し、アラスカのアンカレジへ向かう。実に19時間ものフライトで、乗り継ぎを入れたら一日がかりだ。飛行中はいつも機内で映画を見ているのだが、今回は書かなければならない原稿が終わらず、パソコンを開いて仕事をし、うたた寝してまたパソコンと向かい合うということを繰り返していた。
 
アンカレジに到着したのは16年5月26日の21時をまわっていた。重い荷物を持ってバスでダウンタウンまで行くのは億劫になり、アンカレジ空港からタクシーでホテルへと向かった。

ホテルに到着したのは22時を過ぎていたが、あたりはまだ昼間のように明るい。この時期、アラスカは夏の白夜が続く。深夜になっても日暮れ時のような状態で、闇は訪れない。体内時計はすでに狂い始めていた。
 
ホテルの部屋のなかで新調したテントを組み立ててみた。通常のキャンプでは、ぼくは2人〜3人用のテントを使っている。ゆったりできる割に、そんなに重くないからだ。しかし、今回のデナリは一人で登るため、さらに重量を軽くする必要があり、ゴアテックス生地を使った1人〜2人用のテントを新しく買った。

2本のポールを交差させるタイプで、目をつぶってでも立てられる。ちょうどシングルベッドくらいの大きさで軽い。これなら負担にならないだろう。他の道具に関してもあらためてベッドの上にすべてを並べて再チェックした。
 
夜中の3時ごろ、装備の点検を終えて、再び窓の外を見た。まだ明るい。日本との時差は17時間あり、アンカレジの夜中の3時は、日本の夜8時だ。朦朧とする頭でベッドに横たわった。白夜の夕暮れの向こうに、目指すデナリがある。
 
たった一人の登山のはじまりは、もうすぐだ。

石川直樹◎1977年、東京都生まれ。写真家。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。最新刊の写真集『DenalI』が9月16日に発売。