2年に一度、ユース世代のアジア王者を決めるアジアU−19選手権。日本は決勝でサウジアラビアを0−0からのPK戦(5−3)の末に下し、初優勝を果たした。

 日本が決勝に進むこと、実に過去6度。それでも一度として到達できなかった頂点に、「東京五輪世代」がとうとうたどり着いた。

 1973年大会決勝は2点差で敗れた。

 1994年、1998年大会決勝は1点差で敗れた。

 2000年大会決勝は延長にもつれこんだが、ゴールデンゴールで敗れた(当時のルールは、延長でゴールが決まった時点で試合終了)。

 2002年大会決勝は延長120分間を戦って敗れた。

 2006年大会決勝は延長でも決着がつかず、PK戦で敗れた。

 そして、今大会決勝もまた、2006年大会と同じPK戦決着。今度は日本に勝利の女神が微笑んだ。

 一段ずつ階段を上るように、7度目の決勝進出にして、ようやく手にした初優勝だった。

 小さな体で優勝カップを精一杯頭上高くに掲げた、キャプテンのMF坂井大将(大分トリニータ)が語る。

「今日のゲームは、自分たちが意図した展開ではなかった。相手にロングボールを蹴られてセカンドボールを拾えず、ズルズル下がってしまった。でも、こういう我慢しなければいけない時間は絶対にある。みんな我慢して、チームのために走ってくれた。それが結果につながった。今日は結果(が重要)だったので、すごくよかった」

 坂井の言葉にも含まれているように、試合内容に目を向ければ、優勢だったのは明らかにサウジアラビアのほうだ。日本はほとんど攻撃の形を作れず、90分間で見ても、120分間で見ても、終始防戦を強いられた。

 今大会、攻撃の中心として前線で奮闘したFW小川航基(ジュビロ磐田)も「押し込まれる時間が相当続いた。2トップが一回ボールを収めて、自分たちの時間を作ることが必要だったが、それができず、相手に押し込まれる時間が増えてしまった」と振り返る。

 それでも、日本が盤石の守備でサウジアラビアの攻撃をはね返し続けていたのなら、大きな問題はない。今回のチームの持ち味は、ふたりのセンターバック、DF中山雄太(柏レイソル)、DF冨安健洋(アビスパ福岡)を中心とした堅守。本来であれば、攻められながらも、日本が特徴を生かして試合を進めていた、と言ってもいいだろう。

 だが、実際はそうではなかった。日本の守備はかなり後手を踏むことが多かった。試合開始2分にして相手のシュートがポストに当たったのをはじめ、サウジアラビアには少なくとも4度は決定機と呼べるチャンスがあった。

 チームを率いる内山篤監督も「正直なところ、うまくいかなかった」と試合を振り返り、こう続ける。

「サウジの前線の選手は、今までの中東の選手とは違って身体能力が高く、少しアフリカがかっている。あれくらいの能力があると、一回ではボールが奪えないので、連続して奪いにいかなければいけないが、一発で飛び込んでかわされたり、入れ替わられたりした。しっかり対応しなきゃいけないところでやられていた」

 ところが、サウジアラビアがビッグチャンスをことごとく外してくれるのだから、サッカーは面白く、そして難しい。

 最後のPK戦にしてもそうだった。勝敗を分けたサウジアラビアのPK失敗は、GKがセーブしたものではなく、相手のキックが大きく枠外に外れたものだ。

 ちょっと神がかっていた。下手をすれば、0−3くらいで負けていてもおかしくない内容である。日本がもっと勝利に値する内容の試合をした決勝は、過去にいくつもあった。

 にもかかわらず、最終的にPK戦決着とはいえ、勝利にまでつながるのだから、勝負とはわからないものだ。どうやっても手にできなかった初優勝が、こんな形で転がり込んでこようとは。

 もちろん、決勝を見れば明らかなように、課題は多い。

「守備はゼロで抑えてくれたので、課題は攻撃。自分も含めて、今日の試合はフィニッシュのところまでもいけなかった。その前の精度が低かった。そこは改善しないと、世界ではやっていけない。今日は攻撃としては何もできてないなと思う」

 MF三好康児(川崎フロンターレ)がそう語っていたように、確かに得点ができないまでも、もう少し攻撃でリズムを作れていれば、ここまで一方的な展開になることはなかったはずだ。セットプレーで点が取れていた準決勝までは目立たなかったが、大会全体を通じて攻撃の組み立ては物足りなかった。

 一方、結果として無失点で優勝したとはいえ、守備の面でも課題は残る。中山は、自らのミスで決定的なピンチを招いた場面を振り返り、「悔いが残る。冷静でいようと思っていたが、やっぱり(相手の)圧力や、(会場の)雰囲気に自分が飲まれてしまった時間帯もあった」と語り、こう続けた。

「無失点で終われたが、ピンチもあったし、そのなかには決定機もあった。攻撃も課題だが、守備にしてももっともっと強固にしなければいけない」

 大会全体を振り返れば、突っ込みどころはたくさんある。正直に言って、決勝は負け試合。初優勝を素直に喜びにくい試合内容だった。

 とはいえ、すべてを一足飛びに越えていくことなどできない。

 日本サッカーが世界レベルに近づいていくためには、目の前にあるハードルをひとつずつクリアしていくしかないのだ。日本がこの大会の初優勝にたどり着くまで、少しずつ前に進んできた道のりのように。

 まずは、4大会連続で遠ざかっていたU−20W杯に出場できること。そして選手たちが19、20歳の段階で世界を経験できることの意味は大きい。

 キャプテンの坂井は前回大会にも出場し、アジアの壁に阻まれた苦い経験を持っている。「伝えるべきことは伝えなきゃいけないと思っていた」と話す坂井が感じていたのは、「プレッシャーではなく、責任」だったという。

「アジア最終予選突破(U−20W杯進出となるベスト4)が、まず目標だった。今回は絶対に(U−20W杯に)行きたいという気持ちが強かった。チームの立ち上げからキャプテンを任されてきて、僕がチームを引っ張って歴史を変えたかった」

 思いの丈を吐き出すように、真剣な表情で一気に語る坂井。だが、幼さの残る顔を突然ほころばせると、抑えきれないうれしさで声のトーンは一段上がった。

「持ってました、僕。持ってました」

 幸運の助けも借りながら、大きな一歩前進である。

浅田真樹●文 text by Asada Masaki