三菱重工業の改革を支える「丁寧なリーダーシップ」

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グローバル大手と熾烈な戦いをすべく「聖域なき大改革」を推進している三菱重工業【社長力ランキング2016 3位】。その仕上げを担うリーダーのかけ声は「私についてきなさい」というありきたりな言葉ではなかった。

「なぜ、やらなければいけないのか、その意味を十分に説明できないものはやってはいけない」

”失われた20年”の間、売上高3兆円前後を上下する低成長を続けてきた、日本有数の巨艦企業・三菱重工。世界から取り残されないためにと、21世紀に入り、佃和夫、大宮英明と続いた改革路線の仕上げを任された宮永俊一は、グローバル市場での存在感を高めると同時に組織体制も変革。2017年までに売上高5兆円超えの実現を視野に入れた。

人呼んで「宮永改革」。その秘訣は丁寧な説明にある。宮永のその”丁寧なリーダーシップ”の原点は、三菱日立製鉄機械(MH製鉄)に遡る。

─2000年に日立製作所の製鉄機械事業との統合で誕生したMH製鉄の初代社長として行った改革。現在の構造改革の実験モデルとなった取り組みはどのように進めたのか。

かつて隆盛を極めた事業だが、当時は”鉄鋼不況”最中で、業績も下落し、将来の見通しもたたなかった時期に、社長に就任した。「とにかく生き残ろう」と、あらゆる角度から分析し、選択と集中をはじめ、世の中で言われていることの多くを試した。そこで注目したのは、製鉄機械の中でも限られた分野の製品である「圧延機」の存在だ。

三菱重工業も日立製作所も圧延機を手掛けていたが、得意分野が少し違い、両社が力を合わせれば「世界一の技術」になる。世界一の技術にもかかわらず、世界一の事業になっていないのだから、世界一の総合圧延機メーカーを目指して頑張る。両社から来た社員たちに向けて、ポテンシャルは十分にある、と伝えた。

─実現のために必要なことは何か。

それはベンチマークする世界一の企業と比較し、何が足りないか、その差を埋めていく方法があるか、をひとつひとつ考えた。急には追いつけないが、技術という強みを活かして、どのように勝っていくのか、と。それを、ひとつひとつ試していくうちに、社員も「やってみよう」と変わっていった。

当時、まず「三菱と日立が一緒になり世界一の技術を持った会社がシナジーにより、世界一の圧延機メーカーとしてサービスをさらに良くする」というメッセージを世界中に広めた。「1足す1から2以上のものが生まれている」ということを一生懸命アピールした。

その後、話をもらったら、すぐに答えるというお客様対応のスピード感を速める。こういう時は、スピード感と透明感を持って、まず「説明」し「納得」してもらうことが大事だ。

それはその後、06年に本社に戻ってから進めた広島製作所の改革や08年からの事業の分離、分社化、”事業部、事業所、事業本部”の三重構造の変革(11年)、日立製作所との火力発電システム事業の合弁会社設立(14年)、独シーメンスとの製鉄機械事業の合弁会社設立(15年)の時も同様だ。

たとえば、依存体質の強い製品事業の分社化を納得できるように説得するために「事業をつぶすためではない、待遇が悪化するのでもない」と根気よく説得した。変革に反対する社員や戸惑う社員にも「本体や関連会社、子会社とか言うのをやめよう。すべて同格の三菱重工グループだ」と丁寧に説明した。独シーメンスが相手でも変わらない。

─宮永改革の成果は出た。今後は。

2015年度の決算は売上高が約4兆円、売上総利益(粗利)が8,622億円。06年度と比較すると、売上高1.3倍に対し、売上総利益は倍以上になった。収益的に厳しい製品が減り、効率化した結果だ。

こうした効率化という手法の改革は終わり。次はもう一段高いレベルに変わっていかなければ。そのために、どうすればいいか─。それもこれまで同様、世界の素晴らしい企業と比較し、その差を把握し、その中で「今できること」「時間をかければできること」「グローバル企業をはじめ他企業と協力すればできること」と考え、行う。それを社員や投資家、パートナーといったステークホルダーの方に、説明を十分にして、納得してもらってからやる。

─その経営手法は愛読書『自省録』ゆずりか。

本書を読んで思うのは、「こうしたいと発信できるだけでも幸せな立場」ということ。著者であるローマ皇帝マルクス・アウレリウスも自らの思いを記したぐらいだから、現代に生きていたら、より一生懸命に説明をしながら、丁寧に物事を進めていったと思う。「私についてきなさい」という言葉や「信じてついてくれば何とかなる」という言葉はリーダーのあり方として正しくない。

「なぜ、何のためにやるのかという説明をきちんとするので、一緒に頑張ろう」という気持ちが大切ではないか。

宮永俊一◎1948年、福岡県生まれ。72年東京大学法学部卒業後、三菱重工業入社。2000年三菱日立製鉄機械(MH製鉄)の社長就任。13年に社長就任。14年からCEOを兼務。