伝説のサーファー、バンカー・スプレックルスの生涯を描く『バンカー77(原題)/ BUNKER77』

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 日本を代表するプロサーファーの枡田琢治の初長編映画『バンカー77(原題)/ BUNKER77』が、第36回ハワイ国際映画祭(現地時間11月3〜13日)サーフィン映画部門で上映される。同作は伝説のサーファーで、米俳優クラーク・ゲーブルの義理の息子であるバンカー・スプレックルスの生涯を描いたもので、1977年に27歳の若さでハワイで亡くなっている。同地での“凱旋上映”は大いに注目を浴びそうだ。

 映画『風と共に去りぬ』(1939)で世界中の女性を虜にしたゲーブルは、実生活でも5度の結婚とモテモテ。彼の5番目の妻となったのが、元ファッションモデルで、バンカーの母親であるケイ・ウィリアムズだった。2人は約13年の交際期間を経て1955年に入籍するも、1960年にゲーブルが心臓発作で急逝。当時10代だったバンカーにも莫大な遺産が転がり込んできたことから、彼の人生が一変する。

 バンカーは好きなサーフィンに熱中する一方で、酒にドラッグ、女遊び、さらには義父に憧れて映画制作に乗り出すなど、破天荒に生きた。しかし、枡田はカリスマ・サーファーとして1960〜70年代のビーチ・カルチャーを築いたバンカーの華やかな一面より、その裏に隠された複雑な内面に興味を抱いた。「ゲーブルという偉大なる義父に近づきたいと願う一方で、どうしようもなかった実父の方に似てきてしまう自分がいる。しかも、くしくもその両方の父親を、バンカーは10代にして亡くしてしまうんですね。彼は自分の人生を通して、亡き2人の父親とコミュニケーションを取っていたのではないか? そんな彼のキャラクターに惹かれて映画にしたいと思いました」。

 異業種からの映画界参入は、片手間に挑んでいるように思われがちだが、枡田は本気だ。バンカーを追い続けること、実に約20年以上。残っている写真や記録映像を掘り起こし、関係者への取材も重ねて、2007年には書籍「Bunker Spreckels, Surfing’s Divine Prince of Decadence」も出版している。この間、米国の映画学校にも通い、技術と知識も学んだ。ただ本来はもう少し早く映画化にこぎつけているはずだったという。「いざ映画にしようと向き合った時、自分は何を語りたいのか。バンカーとの距離感、そして自分なりの視点を見つけるまでにああでもない、こうでもないと時間がかかりましたね。それにやる以上は、映画の世界で活躍している一線級の人たちと肩を並べられるようになりたかったから学校へも通ったし、あらゆる映画関連本を真剣に読みました。制作で壁にぶち当たった時、そうして得た知識が救ってくれた気がします」。

 スパイク・ジョーンズ監督や、『トラフィック』(2000)の脚本家としても知られる俳優スティーヴン・ギャガンらサーフィン仲間も編集や構成についてアドバイスをくれたと言い、米俳優エドワード・ノートンは、先ごろ行われたハンプトンズ国際映画祭での米国初上映にプレゼンテーターとして立ち会い、上映を盛り上げた。「僕が彼らにサーフィンを教えているぶん、お返しに映画制作を教わりました(笑)。本当に皆よく協力してくれました」。

 日本公開は現在未定だが、先行して発売されているファッションブランド「Hysteric Glamour」とのコラボレーションアイテムであるTシャツやキャップは、売り切れが続出するほどの人気ぶり。「今はサーフィンと言えばスローライフの観点から流行していたり、2020年の東京五輪から追加種目となるなどスポーツとしても注目されている。その一方で、バンカーのように社会に流されず好きな波に乗っていればそれでいいというような、サーフィン文化が元々持っていたロマンや、ロッケンロールな部分も伝えていきたい」。

 なお、本作はハワイ国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー映画に贈られるハレクラニ・ゴールデン・オーキッド賞(金蘭賞)の対象作品となっており、初監督作での快挙が期待される。(取材・文:中山治美)