京都・花街の御茶屋が「一見さんお断り」を守る理由

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■視点の変え方、リポジショニング

「病は気から」という。同じ薬を処方しても、効き方は同じではないのだと、医師の友人から聞いたことがある。患者の医師に対する信頼、回復への思いの強さなどによって、薬の効果もまた変わってくるというのである。

企業の経営やマーケティングではどうか。

現代の市場環境は、高度化している。「気持ちの切り替え」だけで、行き詰まっていた企業や地域のあり方が急に好転することは考えにくい。とはいえ、経営やマーケティングが人間の行為の問題である以上、心のはたらきは無視できない。客観的な条件だけで、すべてが決しないところが、経営やマーケティングのややこしさであり、面白さだ。

同じ出来事であっても人間は、認知や活動の枠組み(フレーム)しだいで、受け止め方や反応が違ったものとなる。ネガティブな姿勢になったり、ポジティブな気持ちになったりする。

リフレーミングとは、セラピーや心理療法の分野で用いられてきた概念である(バンドラー&グリンダー『リフレ―ミング』星和書店)。視点が変わり、状況の意味が変われば、人々が意識する内容も変わる。セラピーにおいてリフレーミングが果たすのは、視点を変えることによって、人々がそれまで見逃していた価値や意義を新たに見いだし、何ができるかの発見をうながすという役割である。

マーケティングにも、このリフレーミングとよく似た概念がある。リポジショニングである。

リポジショニングとは、製品やサービスのイメージやカテゴリなどを変更し、ターゲットとする市場において、人々の心のなかに新たに位置づけ直す活動である。たとえば、地域の営業所が、国内出荷量No.2のビール・ブランドを、自県内ではNo.1であることを強調して売り出すといった取り組みである。ポイントは、フレームを国から地域に変えるだけで、ブランドのメジャー感は大きく変わるということである。

■今の自分と「あるべき自分」とのギャップ

マーケティングにおけるリポジショニングの眼目は、製品やサービスそのものに手を加えることではない。リポジショニングは、買い手の頭のなかの商品の位置づけを変更することで、価値を生み出したり、強めたりする。

リポジショニングとリフレーミングに違いがあるとすれば、それはリフレーミングが、フレームを変えれば制約や弱みを克服したり、切り捨てたりしないですむことを強調する点にある。このリフレーミングのユニークな主張は、外部にいる顧客という他者ではなく、当事者自身が抱える問題に向き合うことから生まれる(栗木契・水越康介・吉田満梨編『マーケティング・リフレ-ミング』有斐閣)。

セラピーや心理療法におけるリフレーミングの役割は、クライアントが心の悪循環を抜け出し、葛藤を克服することにある。人は行き詰まったときに、変化のために新しい何かを求め、自らの外に目を向ける。これは自然な心の動きだが、こうした行為が行きすぎれば、心理的なトラブルが起こる。

なぜなら、こうした行為は、「自分はこうあるべき」という思いと、「今の自分」とのギャップを広げてしまうことにもつながるからである。この葛藤を克服しようと、さらに自らの外に理想や解決策を追い求めても、一層「今の自分」を受け入れられなくなっていくだけである(図1)。

この心の悪循環に陥らないためにも、何かに行き詰まったときには、今の自分を受け入れ、そのうえで何ができるかを、まず考えるようにするべきである。セラピストを訪れるクライアントは、そもそも何らかの行き詰まりに直面しているわけで、重大な制約や障害を自身のうちに抱えている。しかし、こうした自身の弱みや欠点を克服したり、切り離したりしようとする方向に性急に進めば、先の悪循環を引き起こすことになりやすい。

そこでセラピストは、制約や弱みそのものには手をつけず、クライアントの認知や活動の枠組みを変えることに注力し、制約や弱みだと思い込んでいた事象に潜んでいる別の可能性をクライアントと共に見いだしていこうとする。このように当事者の心のはたらきに向き合い、そこに活路を求めるのが、リフレーミングというアプローチである。

■「一見さんお断り」は新規開拓が困難?

セラピーや心理療法におけるリフレーミングのアプローチは、何をマーケティングに示唆しているのだろうか。

企業の戦略策定などでは、自社の強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、そして脅威(Thread)の4点を見極める「SWOT分析」という手法がよく使われる。SWOT分析をもとに、自社の強みを活かし、弱みを克服しながら、機会と脅威に対峙していくというのが、ビジネス・スクールなどで教えられる戦略策定の標準的なアプローチである。

リフレーミングがユニークなのは、この戦略策定の標準的なアプローチとは異なる展開を示すことである。リフレーミングを知れば、マーケティングにおいても、「弱みは強み」「制約はリソース」という発想が生まれる。

逆説的かもしれないが、企業や地域が制約を克服したり、弱みを切り捨てたりしないことが、希少価値の形成や、競争回避の実現につながっていくことがある。この可能性に注目し、取り組みを進めるのがマーケティング・リフレーミングである。

一例をあげよう。舞妓や芸妓によるもてなしの場である京都の花街のお茶屋のお座敷は、紹介のない客は受けない「一見さんお断り」の慣行を守っている。しかし、お座敷遊びの需要が成長を続けていた時代は過ぎ去っている。なじみ客の需要が減少傾向にある時代にあっては、新規開拓を困難にするこの慣行は、京都の花街の大きな制約である。

だが、制約はリソースともなる。一見さんお断りの慣行を守り続けていることで、京都のお茶屋のお座敷は、誰もが簡単には体験することのできない場となっている。そこから生じる希少性が、一目見たいとの思いをくすぐり、現在では内外から大勢の観光客が、踊りの会(「都をどり」「鴨川をどり」など京都の各花街で開催されており、チケットさえ買えば誰でも入場できる)を訪れるようになっている。

あるいは近年の京都では、夏にビヤガーデンなどを開設する花街もある。芸舞妓がステージで踊りを披露し、テーブルを回る。これも、希少性を活かした一般向けの新規事業ということでは、踊りの会と同じ展開だ。さらに現在の京都の花街は、各所のホテルや商業施設などのイベントへの芸舞妓の出張(海外から声がかかることもあるという)、あるいはお座敷とは別にお茶屋が併設する「お茶屋バー」など、多様な収入源を持つが、これらもまた希少性をベースにその価値を引き出す事業だ。

このように、制約があればこそ生まれる希少性がある。京都の花街では、制約をなくそうとはしていない。制約を受け入れながら、その活かし方を、時代の変化に応じて編み出している。

■実行がスムーズで時間がかからない

マーケティング・リフレーミングは、制約や弱みであっても、企業や地域が逃げずに、受け容れることから広がる可能性に注目する。このリフレーミングのアプローチは、マーケティング上のどのような利点につながるのだろうか。

第1に、マーケティング・リフレーミングは、競争回避の実現につながりやすい。制約や弱みは、負の存在である。あえて新たに取り入れようとする他の企業や地域は現れにくい。だからこそ、制約や弱みに根ざすリフレーミングは独自性や差別化の源泉となりやすい。先に見た京都の花街でいえば、需要の伸びが見込めないなかで、一見さんお断りの慣行を、新たに他の花街が採用することは難しい。このようにリフレーミングには、競争の問題を介して、間接的に弱みが逆に強みになる効果がある。

第2に、マーケティング・リフレーミングは、実行がスムーズである。企業や地域の制約を克服したり、弱みを切り捨てたりしようとすれば、内外に軋轢が生じる。しかし、リフレーミングでは、制約や弱みをそのまま活かそうとする。京都の花街についていえば、一見さんお断りの慣行を廃止することよりも、そこから生まれる希少性を活かした他の事業を展開する方が、スムーズだったはずである。そのほうが、関係者の摩擦が少なくなるからである。

第3に、マーケティング・リフレーミングは、実行に時間がかからない。すでにあるものを活かそうとするリフレーミングでは、弱みの解消や強みの育成に時間をかけたり、投資を行ったりする必要がない。京都の花街についていえば、その新規事業のリソースとなる希少性は、すでにある制約をそのまま残すだけ手に入る。新たに投資をして一からリソースをつくる必要がないわけで、次々と新たな仕掛けを展開しやすい。リフレーミングは、企業や地域のマーケティングのスピーディーな実行にもつながる。

非合理の合理性とでもいうべきリフレーミング。そのマーケティング上の利点を(図2)にまとめておこう。

(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木契=文)