北方領土、戦前は何人居住?

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現在、北方領土に注目が集まっています。北方領土の内訳は、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4つです。これらの地域には戦前にはおよそ1万7千人ほどの日本人が住んでいたといわれています。

内訳はどのくらい?

北方領土に住んでいた日本人の内訳はどのようなものなのでしょうか? まず北方領土最大の島である択捉島には3608人、国後島には7364人、色丹島には1038人の人たちが住んでいました。国後島は、北海道から10キロほどしか離れていないため、多くの人たちが住んでいたことがわかります。歯舞群島においても、志発島には2249人、勇留島には501人、秋勇留島には88人、水晶島には986人の居住が確認されています。合計で1万7千291人の人々が住んでいました。

もっと多くの人がいた?

ですが、この1万7千人という人数は、6ヶ月以上現地にとどまっていた定住者の数なので、実際はもっと多くの人が住んでいたことがいえます。このあたりは漁業がさかんでしたから、季節ごとに働きにきていた人もいるでしょう。さらに終戦後に、現地で生まれた子どもたちもこれらの人数には含まれていません。ですからトータルすれば2万人近い、もしくはそれ以上の日本人が北方領土にゆかりがあるということがいえます。ビザなし交流などが行われているとはいえ、戦後70年以上も故郷に帰れないのはなんとも理不尽でしょう。

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