前回は、「核心」という言葉が、同じ漢字を用いていても、日本語と中国語ではニュアンスが違うということをご説明した。やっかいなのは、中日辞典を調べても、言葉のニュアンスの差までは分からないことだ。写真は第18期中央委員会第6回全体会議。

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前回は、「核心」という言葉が、同じ漢字を用いていても、日本語と中国語ではニュアンスが違うということをご説明した。やっかいなのは、中日辞典を調べても、言葉のニュアンスの差までは分からないことだ。そこで、少々長くなってしまうが、私がどうして違いに気づいたかも、ご紹介しておこう。きっかけは、中国人の音楽学者と、民族音楽におけるメロディー分析の手法について議論をしたことだった。

世界各地にさまざまな民族音楽が伝わっているわけだが、多くの場合、1オクターブ内で言えば「もっとも重要な音」が1つ存在し、その他の音は、その「重要な音」との関係性において、“役割”を持ってくる場合が多い。抽象的な説明で恐縮だが「1オクターブの中に、最重要な音は1つ」と理解していただきたい。

西洋の音楽もそうだ。中国音楽の事情も、似ている。ところが日本の伝統音楽では、1オクターブ内に旋律の「大切なよりどころ」として同じように機能する音が複数あるとみなした方がよい場合がある。

このことを初めてはっきりと提唱したのは、音楽学者の小泉文夫氏(1927−1983)だった。小泉氏は、この音を「核音」と名づけた。

私は日本における「核音理論」を相手に伝えたかったのだが、話がどうも噛みあわない。30分以上もかけて説明しただろうか。彼女が「日本人と中国人では『核』という言葉に対するイメージが違うようだ」と言い出した。つまり彼女は「1つのメロディーに『核』と呼ばれる音が複数存在する」ということに、納得がいかなかったというのだ。

「核音」が、中国語でいう「核の音」ではなく、「旋律において、極めて重要な音」というのなら、問題なく理解できるとのことだった。

それ以来、日本語における「核」ということばの用法に注意するようになり、「かなり重要」程度のニュアンスで使われる場合が多いことに気づいた。

たとえば、旧運輸省(現国土交通省)が定めた「中核国際港湾」だ。「中枢国際港湾の機能を補完するとともに、地域のコンテナ輸送に対応した国際海上コンテナターミナルを有する港湾」とされており、全国に10カ所以上ある。中国人の語感ならば、「核」の文字は、まず使わないだろう。

話を戻そう。政治における発表で、最も注目すべきなのは、言葉使い、特にその変化だ。中国にかぎったことではないのだが、中国の場合には、ごく限られた情報から、内部の動きを読み取る必要があるので「言葉使いの変化」には特に注意せねばならないことになる。

また、発表する側も、言葉使いに対する反応を十分に考慮しているはずだ。とすればなおさら、「言葉使いの変化」は重要な意味を持つことになる。

そして、胡錦濤政権時代に使用が下火になった「核心」を再び使ったということは、「集団指導体制からは決別。習近平総書記こそが、唯一無二の権力者」という、相当に強い意志を示したことに、ほかならない。

もちろん、「核心」の言葉を使ったことが、権力の一点集中が着々と進行していることを示すとはかぎらない。

中国経済の先行きは不透明だ。1990年代に改革開放を本格化させて以来、中国共産党は自国民に「豊かになる」という希望を持たせることで、政権を安泰にしてきた。その手法はすでに、使いにくい状態だ。

共産党は外交においても、台湾や香港に対しても経済的恩恵を与えて「なつかせる」手法を用いた。その手法も、これまでのようには通用しづらくなってきた。したがって、共産党総書記を頂点とする権力のピラミッドを維持する環境は、厳しくなってきたと言わざるをえない。

習総書記が、政権の安定維持について強い危機感を持っていることは間違いない。だからこそ、「自らが唯一無二の中心人物」と強調することが必要と判断した。つまり、共産党が公式発表で「習近平同志を核心とする党中央」との表現を用いたことは、習総書記の「そうでなければならない」との強い決意を示したことであり、「現実がどうであるかは別の話」と受け止めねばならない。

さらに論じれば、「核心」という強いニュアンスの言葉を使った最大のインパクトは、習近平総書記がこの言葉を「使わねばならない状況にある」と判断したことにある。(10月31日寄稿)

■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。