【コラム】2年前の悔恨を糧に U19代表をアジア初制覇へ導いた“ミャンマー組”の存在

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 2014年、AFC U−19選手権ミャンマー。FW南野拓実、MF関根貴大、MF井手口陽介、GK中村航輔らを擁したチームが弱かったとは思わない。むしろ敗退続きだった過去4大会において最強の陣容だったのではないかとも思うくらいだが、結果は準々決勝で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にPK負け。世界舞台には届かず、チームは解散の憂き目に遭うこととなった。そんなチームのコーチを務めていた内山篤は、そのまま持ち上がる形で次回大会を狙うU−18(現U−19)代表監督に着任した。あえて悪く言ってしまえば“敗軍からの昇格人事”である。これまで余りなかった形で「再挑戦の機会を与えていただいた」(内山監督)ことが、チームにとって最初の分岐点となった。

 このミャンマーのチームから「継続」したのは内山監督だけではない。総務(あらゆる仕事をこなすチームの秘書官のようなもの)の本間一憲氏もその一人である。本間総務は「自分と篤さんが継続していることを無駄にしてはいけない」と語った上で、「(大会のことを)知っているからこそできることがあるんです」と強調する。継続したことによって得られたノウハウはコンディショニング、メンタル面の浮き沈みに対するケア、ホテルでの過ごし方、大会運営への対応、そして選手選考に至るまで多岐にわたった活用された。俗に“U−19病”と呼ばれる、Jリーグ入りした高卒1年目の選手のパフォーマンスが急落してしまう問題に対しても、「そうなることはもう分かっているから」(内山監督)と余裕を持って臨み、昨年の1次予選でも今年の本大会でも柔軟な選手選考や直前合宿の内容で対応。こうした継続の強みは、監督とスタッフが悪い状況に対して余裕を見せるという心理的な部分でもポジティブに作用することとなった。

 そして選手の中で一人、ミャンマー大会から継続して選出されていたMF坂井大将(大分トリニータ)は、キャプテンマークを任されることとなった。チーム最年少の立場から、チームを引っ張る立場となったこの主将に対する内山監督の信頼は、一貫して揺らがなかった。「個人的にも前回大会の経験が自分にはあるので、それを伝えていく義務がある」と少し気負いすぎていた部分もあったが、2014年のブラジル・ワールドカップにサポートメンバーとして帯同して目の当たりにしたMF長谷部誠(フランクフルト)の主将としての立ち居振る舞いも参考にして、考えながら行動を続けた。初戦の前日には坂井が全員を集めて選手だけでのミーティングも敢行。それぞれの思いをぶつけ合う場を設けた。スタッフとのパイプ役にもなりながら、時には選手個人の心理状態について監督と話し合うこともあったと言う。

 0−0からのPK戦の末、サウジアラビアを破って優勝をつかんだ決勝戦終了後、坂井は「ホントに結果が出て良かった」と安堵の声を漏らした。「この2年間、ずっと借りを返すことだけを考えてきた」(坂井)のは、“ミャンマー組”に共通する思いである。決してあそこで負けるようなチームではなかったという自負も秘めつつ、しかし同時に何が足りなかったのかという探究も、それぞれが忘れることはなかった。

「おおい、もうバスが出るぞ」。選手を急かす本間総務の大声が聞こえてくる中、取材の最後に坂井は「みんなでミャンマーのリベンジ以上のことをやれました」とこぼした。涙を流すしかなかった2年前の悔恨。そのリベンジへの執念をこの代表と大会に注ぎ込んだ“ミャンマー組”の存在が、日本を10年ぶりの世界大会出場と、初めてのアジア制覇へと導くこととなった。

文=川端暁彦