19日、「子どものころは日本を憎いと感じたこともあった」と話す中国人教師が、訪日旅行で印象深かった出来事を文章につづっている。資料写真。

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2016年10月19日、「子どものころは日本を憎いと感じたこともあった」と話す中国人教師が、訪日旅行で印象深かった出来事を文章につづっている。

中国人は常に日本に対して言いようのない敵対心を持っている。その原因は歴史と政治。私が学生だったころ、教科書には抗日に関する文章があり、それを読んでは心の中が憎しみでいっぱいになったものだ。ただ、成長してからはこのような感情も次第に薄れ、自分が憤青(愛国心が顕著な若者)になり得ないことが分かった。実際に行ってみて日本が好きになったし、日本に対する根拠のないバッシングは単なる偏見だと考えている。日本に行く前に私を引き付けたのがラーメン、刺し身、ユニバーサルスタジオ、ディズニーランド、そして安くて使い勝手の良い化粧品だとしたら、日本から帰って来て何度も思い出してしまうのが日本人の謙虚さや優しさ、誠実さだ。

日本に行く前に2つの出来事があった。当時は何とも思わなかったが、今になってみると心に引っ掛かりを感じてしまう。

1つ目の出来事は私の授業中に起きた。海外のおいしい食べ物について話をした時、1人の男子学生が立ち上がって「日本の食べ物が一番おいしくないと思います。なぜなら日本人は一番の悪人だからです」と発言したのだ。そして2つ目は研修での出来事。その日はちょうど盧溝橋事件が起きた7月7日だった。日本で仕事をしたことのある男性講師がその経験を語り、最後に日本の歌を流そうとしたのだが、この試みは他の講師によって止められてしまった。「こういう日にわれわれは日本の歌なんか聞きたくない。聞くべきは中国の歌だ」というのがその理由だ。注意を受けた講師は気まずそうな表情を浮かべ、周囲に謝罪した。

正直なところ、私には彼のどこが間違っていたのかよく分からなかった。「国辱を忘れるな」「歴史を銘記」という言葉は国民誰もが知っている。しかし、このことと日本の歌との間になんの関係があるのだろう。過去の過ちのためにその民族を否定することは間違っている。研修中のこの出来事で、私は例の男子学生の発言を思い出した。われわれが知らず知らず感化され、子どもたちに注ぎ込んでいる思想は果たして正しいものなのだろうか。それとも自分たちが正しいと思い込んでいるだけなのだろうか。

ここで日本で出会った人たちのことを話したいと思う。私の日本観を変えた一番の原因が日本の人々なのだから。日本人の礼儀や謙虚さは仕事としてのサービスの中だけでなく、日常のいろいろなところで実感することができる。道を尋ねると誰もが親切に身振り手振りで教えてくれ、年配の3人組は自分の用事を後回しにしてまで私を目的地へと案内してくれた。私がバスに乗り遅れないようにと、ドアのところで待ってくれたおばあさんもいる。駅の改札口では「切符を失くしてしまって」と訴える私に、駅員の男性が英語で「どうぞ」と一言。私の言葉を信じで改札を通してくれたのだ。他にも、自分の携帯電話を使ってホテルに行く途中の交差点まで案内してくれた若者にも出会った。

私は日本で本当に多くの手助けを受けた。彼らは私が中国人だという理由で差別的な対応など取らなかった。日本人を嫌う中国人に、礼儀正しい姿勢で接する日本人。これは大変恥ずかしいことだ。政治とその国の人々を同様に考えてはならない。私はより多くの中国人に日本を訪れてほしいし、実際に日本の生活を体験して日本を理解してくれればと思う。自分が持つ偏見のために視野を狭めてほしくないのだ。この世界はわれわれの想像以上に美しい。これが、訪日旅行の最大の感想だ。(翻訳・編集/野谷)