『ノース・ガンソン・ストリートの虐殺 (ハヤカワ文庫NV)』S・クレイグ・ザラー 早川書房

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 この小説は失踪した麻薬密売人の行く先を知る男が、ハトの腐乱死体を口に突っ込まれるという斬新な手段で拷問される場面から始まる。

 何それ?

 主人公のジュールズ・ベティンガーは左遷された警察官だ。警察署に失踪者の捜索願いを出しに来た男に「探している女性は事件に巻き込まれたわけじゃなくて、正体は娼婦で、あんたの金を持ってずらかったんだよ」と親切に教えてやったところ、世を儚んでその場で頭を吹き飛ばして自殺してしまったのである。

 何それ?

 脚本家、監督など映画人の顔を持つS・クレイグ・ザラーの第四長篇となる『ノース・ガンソン・ストリートの虐殺』(ハヤカワ文庫NV)は、こんな具合で脳が痺れるような暴力と活劇の場面に溢れた大作スリラーである。ベティンガーが左遷されてやってきたヴィクトリーは、ミズーリ州でトイレを流すとそのすべてが集まってくるといわれるほどに荒廃しきった町だ。18歳から45歳の住人の70パーセントに犯罪歴があり、かつ人口統計に含まれない廃墟地区の住人、約6千から1万人については、それが80パーセントに跳ね上がるという。ヴィクトリーの警察官は、1人あたり700人の犯罪者を相手にしなければならない計算だ。慢性的な人手不足の中にベティンガーは叩き込まれたのである。

 さらに問題があった。彼の新しい相棒であるドミニク・ウィリアムズは職務遂行中に法を犯して降格処分を受けた男だ。彼には素振りのおかしい警察官の仲間がいて、ベティンガーの与り知らないところで何かを企んでいるように見える。敵になる可能性があるのは、街に溢れかえる犯罪者だけではないのだ。四面楚歌の状況で最初に左遷刑事が受け持つことになったのは、エレイン・ジェイコブズという女性が殺害された上に屍姦された事件だ。調べを進めるうちにベティンガーは、ヴィクトリーでは過去18ヶ月に79人の女性が土に返っていて、その半数以上が殺人または殺人の疑いがあるものだということを知る。

 警察捜査小説ではあるのだが、本作の内容はその概念の中におとなしく収まるものではない。連続殺人屍姦事件の捜査中に新たな事実が判明し、そこから物語は途轍もなくアナーキーな状態に突入する。そのさまは、並べた的を撃ち落としていく競技会場のようであり、大食い番組で皿が積み重ねられていく光景のようであり、要するに人命が羽根のように軽くないがしろにされ、失われていくのだ。街にはハトやネコの死骸が転がり、人間の死体も転がる。しかも季節は厳寒の冬で、死体があまりにもカチンカチンに凍り付いているものだから蹴飛ばされると砕けて飛び散ったりもする。文字通り屍を踏み越えて物語は進んでいくのだ。

 上品な小説とは到底言い難く、凄惨な場面も続出する。特にE.V.Kという殺し屋が登場してからの中盤以降は、気の弱い読者ならページを閉じてしまいたくなるほどの狂奔ぶりだ。はっきり言って物語の筋も壊れてしまっている。事件捜査そっちのけで死体製造が始まるのはまあいいとして、主人公を含む主要キャラクターが、本来の役柄を投げ捨てたかのように闘争を開始するのには首を傾げたくなる読者も出るだろう。しかし、これはそういう小説なのである。善悪の区別であるとか、きちんとした筋道だとかがどこかに飛んで行ってしまうほどに凄まじい感情の爆発、奔流のような怒りが描かれる。ほとんどの人間の行動が間違っており、その間違いを正当化するかのように暴力が行使される。そうした歪んでしまった世界の中での出来事を描く作品なのだ。それでいて登場人物には存在感のある味付けがされており、乾いたユーモアで時折笑わされてしまうから始末におえない。私のお気に入りは、命令を聞かない部下がいたらリングに押し込めてスパーリングでめった打ちにしてしまうボクシング・マニアの上司ズウォリンスキー警視と、ジェントルマン・ラウンジ(要するにストリップ・クラブ)が大好きなエイブ・ロット巡査である。

 訳者あとがきによればワーナー・ブラザースが映画化権を取得しており、レオナルド・ディカプリオが主要キャストで出演しプロデューサーも務めるほか、ジェイミー・フォックスが主演することが決まっているとか。こういう話にはいつ引っくり返るかわからないので期待し過ぎずに待ったほうがいいと思うが、誰を演じても好感度急落は必定のこの作品で、ディカプリオがどの役を選ぶのかは知りたい気がする。エイブ・ロットを選んで「おっぱいは最高!」とか力説してくれたら尊敬するが、まあそれはないか。

(杉江松恋)