『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』山崎繭加 著、竹内弘高 監修、ダイヤモンド社、税別1600円

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社会は災害を乗り越えて逞しくなる

 私たちヒトが進化した第4紀という地質時代は、気候変動や火山活動が活発に起きた時代だ。このためヒトは、過去約10万年の進化の歴史を通じて、多くの災害を経験してきた。おそらくその結果、災害のあとに絆を強め、困難に対して協力して立ち向かう性質を身につけてきた。

 災害は確かに不幸な出来事ではあるが、災害を通じて社会の絆が強まる面がある。災害の経験から学ぶことを通じて、私たちはよりよい社会を築く上でとても重要なヒントを得ることができる。

「教室から災害の現場へ」ハーバードビジネススクールの試み

ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか 世界トップのビジネススクールが伝えたいビジネスの本質』(山崎 繭加 著、ダイヤモンド社)──成田空港の書店で本書を見つけ、読んでみて驚いた。

 私たちが九州大学の「持続可能な社会を拓く決断科学大学院プログラム」で行っているリーダー養成のための現場教育とよく似たフィールドコースを、ハーバードビジネススクール (HBS) が実施しているのだ。しかも、私たちも実習で訪問している東日本大震災の被災地で。

 HBS の東北訪問は2012年以来すでに5回を数えているので、2014年にスタートした私たちよりも2年先輩である。上記の本には、HBSの学生たちによる東北での取り組みの経過と成果が生き生きと描かれている。

 ビジネスとは何か、リーダーはどうあるべきか、社会をどう変えていけばよいか、これらの問いに興味がある方には、必読の1冊だ。

 HBSは、世界でトップクラスの経営大学院(2年制修士課程)だ。大学卒業後にさまざまな企業や、軍隊、政府機関、NPOなどで実務経験を積んだ優秀な人材が、さらなる研鑽を積むために世界中から集まる。そのHBSの人材育成は、教科書を使わない「ケース・メソッド」で行われてきた。

「ケース」とは、ある組織の具体的な課題について書かれた十数ページの教材である。HBSは世界中の組織を調べ、「ケース」という教材にまとめている。その中には、トヨタ、京セラなどの日本企業も数多く含まれている。

 上掲書の著者である山崎繭加氏は、HBS日本リサーチセンターに所属するHBSのグローバルスタッフとして、2006年以来、約30のケースを教授と共著で書いてきたという。HBSは彼女のような約60名のグローバルスタッフを世界各地の13カ所に配置している。この体制から生み出される「ケース」という教材がHBSの教育を支えている。

 学生は事前にケースを読んだ上で授業に出席し、その組織のメンバーであることを想定して、課題をいかに解決するかについて討論する。教授は講義をするのではなく、ファシリテーターとして学生の議論をリードし、学生に徹底して考えさせる。

 著者によれば、「あまりにも多くのケースを読むため個別のケースの内容はほとんど忘れてしまうが、まるで筋力がトレーニングを通じて徐々に鍛えられていくかのように、不確実な状況の中での意思決定の力がついていく感覚がある」という。

 経営者が直面する事態には、ひとつとして同じものはない。教科書で教えられるような一般則だけでは、問題は解決できないことが多いので、経営者はその局面に応じて知恵をしぼり、事態を打開しなければならない。

 この能力を磨く上で、「ケース・メソッド」は確かに有効だ。この方法で、学生はさまざまな事態を仮想体験し、個別の困難に直面した経営者の「視点取得」を通じて、さまざまなノウハウを学ぶことができる。

仮想体験の限界を打破するには

 とはいえ、あくまでも机上の仮想体験である。このような仮想体験だけで、現場での決断力や実行力を身につけることは難しい。私が「決断科学大学院プログラム」を立案したときにまず考えたのは、従来型の教育が抱えるこの限界である。

 そこで私は、「プロジェクトZ」と名付けた問題解決型研究の現場で、学生たちをトレーニングする計画を練った。

 私は、屋久島世界自然遺産地域科学委員会委員長として、ヤクシカによる農業被害や生態系被害という社会的課題に関わっている(関連記事「屋久島の森が危ない!ヤクシカによる深刻な被害」)。

 屋久島の植物やヤクシカについての生態学的な基礎研究を行いながら、他方では行政機関(国・県・町)、猟友会、生物多様性保全団体などの関係者と議論を重ね、増えすぎたヤクシカの駆除を行い、ヤクシカの摂食によって減少を続けている絶滅危惧植物を保全するための対策に関わっている。

 この問題を解決するには、ヤクシカの駆除に批判的な意見を含むさまざまな価値観の間での合意形成を進め、駆除したヤクシカの有効利用(食肉としての利用促進)を図るなど、さまざまな課題に対応する必要がある。このような問題解決型研究の現場に継続的に関われば、学生たちは机の上では学べない現場での対応能力を身につけることができるだろう。

 HBSが「ケース・メソッド」に加えて2011年に新たに取り入れた「フィールド」(FIELD: Field Immersion Experiences in Leadership Development リーダーシップ養成において現場にどっぷりつかる経験)のコンセプトは、私たちの「プロジェクトZ」のそれと通じるものがある。

「ケース・メソッド」がknowing(知識)に依拠した教育方法であるのに対して、「フィールド」はdoing(実践)およびbeing(価値観、信念)に依拠した教育方法と位置付けられている。上掲書には以下のように説明されている。

 <実践(doing)のスキルがなければ、いくら知識(knowing)があっても役立たない。また自己の存在(being)からくる価値観や信念を反映した自己認識がなければ、doingのスキルも方針も定まらない中で有効に使うことはできない>

 HBSがこのコンセプトに基づくフィールドプログラムを開始しようとした2011年に、東日本大震災が起きた。その当時HBSに在学していた日本人学生数名が、HBS唯一の日本人教員である竹内弘高教授に東北でのフィールドプログラムを提案した。

 この提案が採択され、2012年に東北での初のフィールドプログラムが実現した。その後6年間にわたって継続されているのは、世界各地のプログラムの中で、この東北だけだという。学生から最高ランクの評価を受け、評判が広まり、5回目には30名の定員枠を超えて37名が参加した。

希望を生み出している被災地のリーダーの人間力

 なぜ東北でのフィールドプログラムがこれほど高い評価を受けているのか。その理由は、上掲書を読めばすぐに分かる。プログラムでの経験が感動的であり、参加者の人生を左右する力を持っているからだ。その感動を生み出しているのは、東北大震災という未曽有の災害に立ち向かい、新たな希望を生み出している被災地の人たちの人間力だ。

 例えば、仙台市郊外にある秋保温泉の耕作放棄地を開墾してワイナリーを開いた毛利親房さん。彼は仙台市の建設事務所のスタッフとして女川町の銭湯の設計に関わっていたときに、東北大震災を経験した。女川の街が津波に流されたことに衝撃を受け、ボランティア活動に携わる中で、ワインづくりによる地域振興のアイデアを思いついた。

 ワイナリーが地域づくりに大きな波及効果を持つことに注目した毛利さんは、ワインづくりの経験が全くないにもかかわらず、秋保ワイナリーの計画を立案し、三菱商事が開設した復興支援基金の支援を獲得し、ワインづくりから商品デザイン、マーケティングに至るまで一流のスタッフを集めた。著者は毛利さんについて「もの静かなたたずまいの裏に潜む本物の情熱と桁違いの実行力」を持つ人物だと紹介している。

 秋保ワイナリーを訪問することになったHBSの学生たちは、事前準備の過程で秋保ワインを国際的に販売する可能性を調べ、それは無理だという結論を下した。そして秋保ワイナリーを訪問した学生たちは、「秋保ワイナリーをどう成功させていくか」という問題設定がそもそも間違っていたことに気付かされた。

 毛利さんにとってワイナリーとは目的ではなく、あくまで地域振興のための手段なのだ。彼の目的は、ワインによって人と人、人と地域、地域と地域をつなぎ、東北を盛り上げていくことにある。彼のビジネスへの姿勢は、ノーベル平和賞を受賞したグラミン・グループの指導者、ムハマド・ユヌス博士が推進している「ソーシャル・ビジネス」(社会的問題の解決を目標とするビジネス)に通じるものだ。

 また、毛利さんが集めたスタッフは一流であり、ワイナリーの経営プランについて学生たちが入る隙間はなかった。そこで学生たちは考えを変え、「秋保ワイナリーはどうやったらもっと地域に貢献できるのか」について真剣に考えた。学生たちは、秋保ワイナリーに関わる10名を超える各分野の専門家と議論を重ね、秋保温泉郷を見て回り、温泉郷の観光戦略についても考えた。

 秋保温泉郷で開かれた最終発表会では、秋保ワイナリースタッフだけでなく、旅館組合のメンバー、仙台市職員、大学関係者、メディアなど総勢100名を超える参加者が彼らを待ち受けた。この参加者の前で、彼らは観光戦略の提案を行った。

 彼らの戦略は、「秋保温泉郷を訪れた人にとって、秋保ワイナリーを欠かせない場所にする」これが出発点だ。そのために、まずは地元での販売に集中し、そこでしか手に入らない「特別感」を醸成した上で、他地域へ流通を拡大する10年計画を提案した。

 このプログラムに参加したHBSの学生はこう語っている。

 <教室の中で座って「社会的なミッションを持つリーダーとは何か」について議論することはすごく簡単です。でもこうやって実際に毛利さんという社会的ミッションを持つリーダーと出会い、学べたことは、教室の議論とは大違いでした。それこそが、どっぷり浸かって学ぶプログラムの醍醐味だと思います>

 私たちの九州大学決断科学大学院プログラムでは、対馬市、長崎市、由布市、佐伯市、日南市と連携協定を結び、地域づくりの課題に取り組んでいる。

 例えば、カリキュラムの1つに「組織研修ワークショップ」がある。このカリキュラムに参加した学生たちは、これらの自治体において地域づくりに情熱を傾け、独自の成果を上げている行政・企業・NPOのスタッフや、住民・高校生にインタビューし、提案をまとめる。

 最終発表会には市長も参加されるので、大きな責任が伴う。情熱・戦略・実績を兼ね備えた一流の人物に出会うこと、そして彼らの前で責任をもって提案を行うこと、このような経験こそが人を育てる。

「社会的ジレンマ」をどう乗り越えるか

 決断科学大学院プログラムの学生はHBSの学生のように経営について学んではいないが、九大の大学院において自然科学・社会科学のいずれかの分野で博士課程の専門的研究に携わっている。専門分野が異なる意欲的な大学院生が真剣に討論して考え出す提案は、HBSの学生の提案と同様に、各自治体関係者に自信と指針、そして希望を与えていると思う。

 上掲書には、「首長らしからぬ若きリーダーとの出会い」と題して、女川町の須田善明町長が紹介されている。須田さんは、20年後も現役の若い世代が復興の指揮をとるべきだという声に推されて39歳で町長に選ばれた方だ。

 私たちも決断科学プログラムで、須田町長のリーダーシップについて学ぶ機会をいただいている。女川町は、被災地の中で最も早く復興を進めている自治体だが、被災地として直面している困難は並大抵ではない。

 決断科学プログラムでも災害モジュールを設けて、復興の問題に取り組んでいるが、復興にあたっては急いで解決しなければならない短期の課題と、長い将来を見据えた長期の課題を、両方解決しなければならない。

 しかも両者にはしばしばトレードオフ(一方を重視すれば他方が犠牲になるという関係)がある。

 女川町は、防潮堤を作らずに高台に移転する計画をいち早く決めた。この「決断」は、より長期の安定した町づくりを見据えたものだが、山を削って復興住宅を作るには時間がかかる。このため、町民はより長期に仮設住宅に住み続けなければならない。

 このように、長期的には利益があるが、短期的には住民に損を強いるという状況は、「社会的ジレンマ」と呼ばれる。社会的ジレンマを伴う課題について、長期的利益を優先した計画について合意形成を進め、それを実行する上では、リーダーである首長の役割が大きい。

 この点に関して、世界の沿岸漁業管理について調べた興味深い研究がある。漁業資源は短期的利益を追求して乱獲すると、長期的には漁獲が減り、漁民全員が損をする。しかし、短期的利益が減る計画には、常に反対がつきまとう。

 世界の沿岸漁業管理の成功例(漁獲量制限によって長期的に漁獲が維持された例)と失敗例(漁獲量制限に合意できず長期的に漁獲を減らした例)を比較し、どのような要因が成功・失敗を決めたかを調べた研究によれば、最も共通性の高い要因はリーダーシップである。「社会的ジレンマ」を解決するには、長期的利益を優先した計画を採用するようにリーダーが地域社会の合意をまとめることが重要なのだ。

 私は日南市・対馬市・佐伯市での組織研修ワークショップに参加し、これらの自治体の市長から直接お話を伺う機会を得たが、いずれの市長も長期的な視点をもって、優れたリーダーシップを発揮されている。これらの事例については、機会を改めて紹介したい。

 人口減少に直面している地方自治体が抱える課題は深刻だが、ピンチは人を育て、社会を逞しくする。地方にはさまざまな新しい芽が伸びている。これらをさらに伸ばすことが大切だ。

 その努力を通じて、日本は新しい時代を迎えるに違いない。上掲書に紹介されている東北大震災被災地でのさまざまな献身的取り組みは、日本社会の未来に大きな希望を抱かせるものだ。

筆者:矢原 徹一