『不機嫌な姫とブルックナー団』高原 英理 講談社

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 最初にまずお断りとおわびを申し上げておきたい。私はクラシック音楽についてはほぼまったくの無知で、ブルックナーという作曲家の存在も本書を読んで初めて知った(最初にこの本を見たとき、"ディック・ブルーナ団"に見えた。ラブリーな表紙だし)。大多数のクラシック愛好家は寛大で心優しい方々だと思うが、生半可な知識しか持ち合わせていない者が中途半端な意見を述べることを厳しく糾弾する原理主義者的ファンもいると聞く。ご批判は覚悟のうえでそれでもここで取り上げさせていただいたのは、『不機嫌な姫とブルックナー団』があまりにも素晴らしかったから、これに尽きる。

 主人公の代々木ゆたきが、ブルックナーの交響曲第五番のコンサート会場で終演後に隣の席に座っていた男に声をかけられるところから物語は始まる。男の"ブルックナーのコンサートに女がわざわざひとりで、しかも五番を聴きに来るとは。いやいや女性ファンがいてくれてうれしいんです"的な発言に、"女はショパンかモーツァルトでも聴いていろというのか。性別は関係ない"とぴしゃりと言い返すゆたき。十九世紀の後期ロマン派の代表的な作曲家であるアントン・ブルックナーのファンは圧倒的に男性が多い(演奏会のときには男性トイレに長蛇の列ができるとのこと)。全部で11曲ある交響曲は「どれも長大で、音域が広く、複雑な和声と、執拗な反復でできて」おり、「さらっと粋なところ、ものわかりのよいところがなくて、くどくて頑固で愚直で大仰」な音楽だそうで、ド素人の私にも女子受けはしなさそうだということがうかがえる。男は"自分たちはブルックナー団で、女性の方からブルックナーの感想をうかがいたい"とゆたきに語ったのだ。え、それなんて秘密結社?

 ブルックナー団とは、隣の席の男・武田一真(やせて背が高い。ゆたきと同じ30歳前後くらい。チェックのシャツはズボンにイン)と玉川雪之進(小太り。二十代か)と一本橋完治(小柄で蓬髪でメガネ。やはり推定30前後)の3人から成る(名前を覚える気がせず、ゆたきはそれぞれ「タケ」「ユキ」「ポン」とあだ名をつけた)。マクドナルドに流れてからも、席に着くなり3人それぞれにポータブルパソコンで2ちゃんねるクラシック板ブルックナースレッドを見始めるというガチのオタクぶり(ブルックナーオタクは「ブルオタ」と呼ばれる。正式な表記は「ブルヲタ」)。

 このあたりまででだいたい冒頭から20ページくらいなのだけれども(本編は163ページまで)、「これ絶対傑作だ!」と興奮せずにいられなかった。全員をひとくくりにできるはずもないし中には失礼な輩もいるようだしで、オタクという人種を全肯定するというわけにはいかないが、ブルックナー団員たちの発言や行動は芯の通ったものでありかつ微笑ましい。最近ではちょっと気に入っている程度のファンもオタクを名乗るようになり、ライトなオタクやおしゃれなオタクといった層も増えてきた。しかし、やはり昔ながらのオタク(ブルックナー団などはもちろんこっち。対象への姿勢的にもルックス的にも)というのは敬遠や揶揄の対象となりがちだ。でも個人的には、(暴力衝動とか特殊性癖とかはさすがにヤバいけど)自分の好みくらい堂々と言える世の中であってくれと思わずにはいられないのだが(みんな金子みすゞ知らないの? 「みんなちがって、みんないい」でしょ)。

 キャラが立っているといえば、アントン・ブルックナーその人もまさに奇行の人だった。詳しくは「ブルックナー団公式サイト」(全貌を見たい)にてタケがアップしている「ブルックナー伝(未完)」をお読みいただいただきたい。「我が秘宝なる嫁帖」の件はさすがにドン引きだったが(昔ワイドショーの格好のネタとなった、某脚本家が己の女性遍歴を書き留めていたという「春の歩み」なるノートの存在を思い出した)、ブルックナーがほんとうに音楽を愛していてそれ以外のことに対してはただただ不器用である様子に心打たれる。

 ゆたきの意識に変化が訪れたのは、間違いなくブルックナーとブルックナー団の影響だろう。ゆたきは翻訳がしたいと思って大学では英語学科に入ったが、結局才能がないと思ってあきらめてしまい、現在は図書館の非正規職員として働いている。初めはブルックナー本人やブルックナー団員たちのイタさに辟易していたゆたきだったが、たとえかっこ悪く見えても自分のやりたいことを続ける彼らの愚直な真摯さに触れて...。私は160ページ以降で2回大泣き。

 著者の高原英理氏、立教大学文学部から東京工業大学大学院に進まれているという驚きの経歴をお持ちだが、1985年に小説「少女のための鏖殺作法」で幻想文学新人賞を受賞されたときの選考委員が澁澤龍彦と中井英夫の両氏だったのもすごい。世の中のハンスリック団的なものに鈍感でいてはならないと教えていただいたことに感謝申し上げたいです。そして、ブルックナー聴いてみたくなりました!

(松井ゆかり)