お偉いさんの一言を合図に、ハリルホジッチ批判が始まったのだとすれば、恐ろしく情けない話だ。

 2010年南アW杯で、岡田ジャパンがベスト16に進出すると、メディアは一転、岡田監督を持ち上げた。あるテレビ局は番組で岡田監督に批判的だったジャーナリストに謝罪までさせている。こちらも、あるラジオ局の番組に出演した際に、同じ目に遭いそうになった経験がある。

 彼らは一貫して岡田監督を支持してきたのだろうか。少数派になったときも、自分の意見を主張してきたのだろうか。勝ち馬に乗りたがるご都合主義、多数派に付こうとする日和見主義に見えて仕方がなかった。

 防波堤が決壊したように、誰もがハリルホジッチ批判を繰り広げるようになったいま、すっかり弱者になった彼を一緒になって批判するのは性に合わない。ついメディアが批判を躊躇う強者に目を向けたくなる。

 ハリルホジッチの責任はせいぜい3割程度。日本代表がここまで弱体化してしまった原因の7割は協会にある。しかし、協会内部を見渡しても、これだという責任者は見当たらない。会長の田嶋さんがその職に就いたのは、ハリルホジッチ就任後。技術委員長の西野さんもしかり。

 ハリルホジッチを招聘したのは大仁前会長、原博実前専務理事(現Jリーグ副理事長)だ。もはや部外者だ。唯一の関係者は、霜田正浩ナショナルチームダイレクターになるが、批判の対象とするほどの大物ではない。あえていうならその組織の構造になるが、それをいま問題視しても訴求力に欠ける。のれんに腕押しの状態にある。

 そう考えると、ハリルホジッチが梯子を外された孤立無援の可哀想な監督に見えてくる。つまりいま、日本代表はかなり脆弱な環境に置かれている。監督交代のタイミングを迎えていると思うが、協会がよい新監督を探す力をどの程度備えているのかは不明。僕の新刊「監督図鑑」を眺めながら、空いている監督を探して欲しいとは、率直な願いながら、現実はハリルホジッチ頼みの状況にあると言ってもいい。

 批判の対象が頼みの綱。この皮肉的な状態でよい結果が得られたなら、まさに結果オーライ。だが、世の中はそこまで甘いだろうか。日本のサッカー界は混沌とした状況にある。心配は募るばかりだ。