ヴァヒド・ハリルホジッチ氏(撮影:長瀬友哉/フォート・キシモト)

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 監督解任論は岡田ジャパン時代にも発生した。しかし、それは南アW杯本大会出場を決めた後の話。2010年に入ってからだ。親善試合ですっかり勝てなくなったことに加え、監督自ら辞任をいったん口にした後、前言を翻すというドタバタ劇も、不信を招く要因だった。解任論が渦巻くのは当然の帰結と言えたが、危険な兆候は予選の段階から見て取れた。ラスト半年を切った段階での失速は、起きるべくして起きた現象。僕にはそう見えた。
 
 だが、それまで、解任を口にする人はほとんどいなかった。メディアはアゲアゲ報道に終始していた。言い出すのが遅いーーとは、その時に抱いたこちらの感想だが、代表監督という権力者に翳りが見えるまで、解任論は発生しなかったのだ。

 言い出しにくい空気がある間は沈黙。その無言の圧力から解放されるや一転、手のひらを返すように、メディアはどっと批判を開始した。相手が強者でいる間、世の中から高評価を得ている間はアゲアゲ報道。世の中の評価が下落し、叩くことにリスクがないことを確認するや批判を開始する。態度を急変させるメディアの姿は、サッカーの世界に限った話ではない。政治や芸能など、あらゆるジャンルについて言えることだが、率直に言ってこれは陰湿。弱いものイジメだ。

 潮目を察知し、態度を変える。この姿勢は、ハリルジャパンを取り巻く報道にも端的に見て取れる。アゲアゲ報道から批判報道への移行。それまでほぼゼロだったハリルホジッチ解任論は、激しい勢いで加速している。

 強者から弱者に転落し、批判しやすくなったハリルホジッチに、容赦なく襲いかかっている感じだ。それはともすると勇ましい行為に見えるが、勇気は思いのほか要らない。批判に伴うリスクは低い。批判しやすい環境の中で批判する行為が、僕には格好悪い姿として映るのだ。

 批判に伴うリスクが、急激に低下しているのはハリルホジッチに限らない。

 先週行われたスポルティング対ドルトムント戦に、香川は今季チャンピオンズリーグ初出場を先発で飾った。珍しくフル出場も果たした。いつものメディアなら喜ぶところだ。針小棒大に、盛って伝えようとするものだが、今回の論調は厳しめだった。「見せ場はなく得点にも絡めなかった」。

 メディアにとって、香川は批判しにくい対象から批判しやすい対象に移行した。僕の目にはそう見える。冴えのない香川のプレイはいまに始まったことではない。目は香川より、メディア報道の変化に向いてしまう。

 本田も批判しにくい存在から、いつ批判しやすい存在に転じてもおかしくない状態にある。ミランでの今季の出場時間は、9試合を終了してわずか19分。監督から戦力として認められていない状態にある。日本代表の中でも最も苦しい立場に追い込まれている選手だが、メディアは批判を控えている。本田はメディアに対し優位な立場を辛うじて維持している。その振る舞いや言動を、傍目から見聞きしている限り、ある時を境に突如、豹変するメディアの怖さを知っているようにも見えるが、とはいえこの関係は異常だ。

 賛否両論が渦巻かない世界。賛から否へ一気に傾く世界をつい憂いたくなる。2018年W杯最終予選の初戦対UAE戦で、相手にPKを献上した大島僚太は、即刻ヤリ玉に挙がった。代表デビュー戦の新人にメディアは真っ先に批判の矛先を向けた。

 不健全としか言い様がない。ハリルホジッチ批判が高まりを見せたのは、そのしばらく後だ。バスケットのBリーグが開幕した時期となぜか一致した。テレビのBリーグ開幕特番には、日本のバスケットボール界の再建に尽力した川淵さんが出演していて、彼はそこで、ハリルジャパンのサッカーについても触れ、「いったい何がしたいのか分からないと」と、強面で批判した。