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○名札型センサーから取得した従業員の行動データをAIで分析

人工知能(AI)技術を活用して、働く人の幸福感の向上に有効なアドバイスを、各個人の行動データから日々自動的に作成する技術を開発した日立製作所。現在、日立グループの営業部門の従業員約600人を対象に実証実験を実施中だ。

実験の概要は、各個人の大量の行動データを名札型ウェアラブルセンサーから取得し、人工知能「Hitachi AI Technology/H」(以下、H)で分析し、職場でのコミュニケーションや時間の使い方など、一人ひとりの幸福感の向上につながる行動についてのアドバイスを自動的に作成、配信するというもの。利用者は、スマートフォンやタブレット端末から日々のアドバイスを確認し、職場での行動に活用することができるという。

より具体的に内容を説明すると、次のようなものだ。名札型ウエアラブルセンサーから収集した行動データ(身体運動の特徴パターン)は、時間帯・会話相手などの項目で細分化され、これをHに入力することで、各個人にカスタマイズされた幸福感向上に有効なアドバイスを日々自動的に作成、配信する。

利用者は、スマートフォンやタブレット端末上で、「Aさんとの5分以下の短い会話を増やしましょう」、「上司のBさんに会うには午前中がおすすめです」など、職場でのコミュニケーションや時間の使い方に関する多様なアドバイスを、日々確認することができる。そして、このアドバイスを実行することで、従業員一人ひとりの幸福感が高まり、またそれに伴い、生産性の向上も期待されるという仕組みだ。ちなみに行動データは、プライバシーに配慮して、個人のデータは他者からは閲覧できない形で管理されている。

○半導体研究一筋から心機一転"人間のデータ"の活用へ

この従業員の"幸福感向上"にフォーカスした、他に類を見ない「AI+ウェアラブルセンサー活用技術」のキーパーソンが、日立製作所 理事 技師長 兼 人工知能ラボラトリ長 博士(工学)の矢野和男氏だ。

研究者として日立に勤務して現在33年目となる矢野氏は、入社後約20年間を半導体の研究に打ち込んだ。しかし、2000年代前半に日立が半導体事業を大幅に縮小したのを機に、新たな研究分野を模索し始める。さまざまに考え抜いた末に同氏が的を定めたのが「データ活用」というフィールドだった。

「いろいろな動向を検証した結果、データビジネスやデータサービスといったビジネス領域が、今後必ず発展していくだろうという結論に至りました。あの頃の日立ではほとんど縁のなかった分野で、保守本流からは完全に外れていましたね」と、矢野氏は振り返る。

すぐに研究を開始し、試行錯誤を重ねる過程で多くの失敗も繰り返した矢野氏だが、その分学ぶことも多かったという。そして何よりも重要なのは「人間のデータ」であると考えるようになり、2006年頃に人の行動データを取得する腕時計型のセンサーを開発。

「このセンサーは今も必ず身につけていて、これまで10年も私の行動データを記録し続けています」(矢野氏)

○"人の幸せレベル"の計測に着目、ビジネス化を目指す

もちろん、大量の行動データが存在するだけでは、そこに特に価値はない。そこで、当初はデータを可視化したり、その結果を本人にフィードバックしたりという試みを行っていた。

だが、当人からは「面白いね」と言ってもらえるものの、それだけではビジネスにはならないことに気付く。データにもっと付加価値を付けるにはどうすればいいのか思考を巡らした矢野氏は、"人間の幸せ"の度合いを計測することができるのでは、と直感的に思いついたのだった。

「個人の視点に立った時に何が一番価値があるのかなと考えたら、究極はやはり『幸せ』じゃないかなと。ならば、行動データを活用することで、今、その人がどれだけ幸せなのかがわかれば、これはすごいビジネスになるんじゃないかと考えました」と、矢野氏は話す。

そこで自身でデータを解析してみたところ、体の動きと日々の満足度に相関関係があることが判明する。行動データと幸せの度合いには関連性が高いと確信した矢野氏らのチームは、実験と検証を繰り返していった。その結果、2011年頃には行動データを解析することで、その人の幸せのレベルをかなり正確に計測できるようになっていた。

だが、この時点でもビジネスに結びつけるには困難が立ちはだかっていた。分析ツールを利用するにせよ、基本的に人間が分析を行っている限り、コストがかかりすぎてとても採算が合わないのだ。そこで次に、矢野氏が考えたのが、無限のパターンの組み合わせがあるデータの分析すべてを、コンピュータでやってしまおうということだった。

「『人工知能』という言葉は当時、社内ではあまり受けがよくなかったのですが、『われわれの研究予算のすべてを人工知能に投資する』と宣言してしまいました」(矢野氏)

○世界最先端のAI活用で、幸福感と生産性の相関関係を実証

こうして日立が誇る世界最先端の人工知能「H」の開発が進み、第一線で活躍することになっていく。それまで約10年近く社内外で延べ1万人以上もの人々の行動データを収集していたことから、Hによる分析で店舗の受注率などを見直してみたところ、担当者の幸福感(ハピネス度)が高い日ほど、売上高や仕事に対する満足度も高いことがわかった。

その後、コールセンターにおける実証実験では、従業員の平均ハピネス度が高め(平均値以上)の日は、低め(平均値以下)の日に比べて1日あたりの受注率が34%高いことが明らかになるなど、人や組織の活性度、幸福感が、生産性に大きく影響することが具体的に実証された。

「本人が幸せになって、会社がもうかるのであれば、こんなにいいことはないじゃないですか」と、矢野氏は笑顔を見せる。

Hによる分析を積み重ねて技術を確立した日立は2015年2月、名札型ウエアラブルセンサーで取得した行動データから、組織の生産性に強く相関する組織活性度および幸福感(ハピネス度)を計測する技術を開発したと大々的に発表。あわせて、新たに開発したHを活用した、企業の経営課題解決を支援するサービスの提供開始も宣言した。

人工知能を活用した経営課題解決サービスは好評で、これまで三菱東京UFJ銀行や日本航空など、13社で実証実験またはシステム導入を行っている。

○世界中の人々が幸せに働けるように

これまでの経緯を踏まえて今年6月、冒頭で触れた従業員約600人を対象にしたAIと名札型ウェアラブルセンサー活用の実証実験がスタートする。今度はスマートフォン等を使って本人にアドバイスすることで、従業員一人ひとりを幸せにしながら営業担当者の受注率を向上させ、結果的に会社の利益向上にもつなげていこくことを目指しているのである。

既に驚くべき効果が現れており、矢野氏は次のようにコメントする。

「われわれの予想以上の勢いで受注率が向上しています。今、注目されている働き方改革にも大きく関わることもあり、内外からの注目度の高さを実感しています。これまで多くの日本企業に根付いていた"根性と長時間労働"の世界から、的確なコミュニケーションをとりながら楽しく効率的に働くという方向へと転換できる可能性を秘めているのではないでしょうか」

確かな手応えをつかんだ矢野氏は今後、引き合いの多い国内だけでなく、グローバルにもサービスを展開していくことを視野に入れている。

「AIを使って人々の幸福感を高めるというニーズが大きいことはこの1年で確信できました。しかもデータの取得から本人へのフィードバックまでを自動化するなど、提供できる価値とかかるコストの採算が取れる算段もつきました。幸せの指標の分析というのは国内だけのノウハウにとどまらない、世界中で共通したものなので、1人でも多くの人々が幸せに働くことができるよう貢献していきたいですね」と、矢野氏は目を輝かせる。

(タマク)