こんにちは、鈴木太一と申します。映画やテレビドラマの監督、脚本家をしています。今回「テラスハウス」に関する僕のツイートを見てくれたエキサイトレビューさんから、「テラスハウス」について、映像と作劇のプロから感じられたことを書いてほしいという依頼をいただき、今回ここに書かせていただきます。
とはいっても、僕は玄人的、学術的分析ができるタイプではないので、ここでは特に「テラスハウス」をほとんどじっくり観たことがない人のために、「テラスハウス」について、自分の想いを綴ってみようとおもいます。


「テラスハウス」(通称テラハ)、その番組名は物凄くメジャーで多くの人が知っているのに、番組をきちんと観ている人は決して多くはありません。テラハってモデルとかサーファーとかイケてる若い男女が恋愛してキャッキャしている無駄にオシャレなヤラセ番組でしょ、というような偏見を持っている人がとても多いです。歯がゆい。あああああああ、歯がゆい。これほどまでに番組内容や楽しみ方を誤解されているテレビ番組は今だかつて日本にないと思います。
というのも、「テラスハウス」には、実際とてもオシャレな空間と音楽をバックにイケてる若い男女がキャッキャしているシーンがあり、やっかいなことにパッと見それが大半に思えるので、たまたまチャンネルが合ったから1回見てみた、くらいではほとんど上記の偏見を払拭できません。
僕自身もかつてはそうで、数年前に何度か偶然番組を見てしまった時、何がテラスハウスだよ、ケッ!と思っていました。3回〜5回くらいきちんと続けて観れば「テラスハウス」の面白さが少しはわかり始めるとおもうのですが、なかなかそこまでみんな観てくれない。僕は女子高生ではなく40歳のオジサンなので、同世代のまわりの知人は男女問わずほぼ全員誤解しています。テラハを毎週楽しみに観ている、しかも泣いたとか言おうものなら完全に変質者扱いです。

三大原則がきちんと練られたエンターテイメント番組


じゃあ、「テラスハウス」の魅力ってなんなの? ということになります。
文章だけで全てを語り尽くすことは難しいですが、なるべくネタバレを避けながら主な魅力を語ってみます。
最初に少し映画監督っぽいことを言いますと、映画の三大要素に「1スジ、2ヌケ、3ドウサ」という言葉があります。日本映画の父と呼ばれた牧野省三さんの言葉で、映画にとって大切なのは、まずスジ(ストーリー、脚本)、次にヌケ(撮影の技術)、次にドウサ(俳優の芝居)という意味です。

「テラスハウス」は、この映画の三大原則がきちんと練られたエンターテイメント番組です。脚本とか芝居とか言うと、ただでさえヤラセと思われているテラハですから誤解されると困るのですが、あくまでも大前提は、テラスハウス=6人の男女の共同生活を追った台本のないドキュメンタリー番組、です。

先の三大要素を分析してみると、まず、スジ(ストーリー、脚本)。「テラスハウス」の住人たちを巡る物語がいちいち面白く、えっ! えーー! 来週どうなるのー?と視聴者を惹き付ける。フィクションならば凡庸でベタな脚本と思われる展開のときでも、それが台本のないドキュメンタリーならば逆にベタがキュンキュンしたり、感動したりもして。
次にヌケ(撮影の技術)。「テラスハウス」は、この手の番組にはないオシャレな映像のルックで視聴者を惹き付け、テレビ番組といえども必要最小限度の小さく上品なテロップのみで、CMまたぎでまた同じ映像をみせるなど、テレビ的なくどさもほとんどない。テレビ番組のよくある形として、スタジオでタレントたちが「テラスハウス」のVTRを観ており、VTR明けのコメントはあるものの、VTR中の、よくあるワイプ画面(画面端のタレントたちの顔画面)はなく、画面をオシャレにすると同時にVTR中は「テラスハウス」の中の世界に視聴者を集中させる。(とはいえVTR中のタレントたちのコメントが面白いので、それは副音声で流す徹底ぶり。だからついつい通常版と副音声版2回観てしまう)

最後にドウサ(俳優の芝居)にあたる部分、「テラスハウス」においては、住人たちの発言や視線、表情などの一挙手一投足。台本のないドキュメンタリーだから当然人物の言動や喜怒哀楽の表情にリアリティーがあり、作られたものではない自然な、あるいは予想外な名言も数多く生まれる。(自然に見えるリアルな芝居が優れた芝居ということではないが)

と、いったかんじで映画の三大原則をきっちり土台としておさえているので、「テラスハウス」という番組は閉鎖的でコアな人にだけわかる作品ではなく、エンターテイメントとして多くの人が面白く見ることができる作品になっています。(もちろんその土台が崩れ、少々まんねり、退屈に思える回が続いてしまう時もありますが)

また、映画版を除けば「テラスハウス」はTVショーであるがために、ハウスの住人の生活が撮られたものが何週かのタイムラグのあと実際の世の中でオンエアーされ、それを住人同士でテレビで(あるいはネットで)観ることになります。そうすると、例えばオンエアーによって女子だけでの会話を男子たちに聞かれることなどもあり、そこにまたドラマが生まれます。

そして、住人たちはTVショーの出演者として世間に自分の生活、言動をさらすので、世間の人にこういう自分を観てほしい、逆にこういう自分は絶対見せたなくない、といったような、歪んだ自己顕示欲が生まれたりします。自然に嘘なくうまく自分を見せられる人と、世間に見せたい自分と本当の自分自身との狭間で葛藤する人がでてくる。世間の清純なイメージを壊したくなく、カメラの前では付き合っていない男子とは絶対手もつなぎたくないと熱弁していた10代の女の子が、実はカメラがないところでは付き合っていない男子とキスしちゃったり添い寝しちゃったりしてたんですよおおお! (ネタバレごめん!)
数日間の話ではなく何ヶ月も生活をしていると隠しきれない本当の自分がどうしても出てきてしまう、それがとても人間っぽく、ゾクゾクできます。

コジャレイケメンを普通の人間としてみる


「テラスハウス」は恋愛の話ばかり、リア充な奴らばかりと誤解されがちですが、(当然イケメン、美女が多いし、恋愛の話題が多いが、)シーズン1の湘南編ではフラれた男同士の友情や、片想い女子の切なさや、夢破れた男が新しい人生に踏み出す姿に泣かされます。一昔前のトレンディードラマのような台詞を吐き続け、痛すぎて逆にカッケー女にこれでもかと笑わされます。テレビ用の自分を演じているとされ、住人や世間からボコボコに非難されまくったお嬢様のシンガーソングライターがほっとけなくなります。

また、モデルやサーファーのコジャレイケメンに反発しかしなかった自分が、長らくコジャレイケメンの生活を見守っていると、コジャレイケメンの人間性がわかり、コジャレイケメンを普通の人間としてみることでコジャレイケメンへの偏見が徐々になくなり、キャッキャしているコジャレイケメンの恋愛にも悔しさ込みで素直にキュンキュンできるようになりました。
また、特にシーズン2の東京編では、普段男が絶対みることができない女同士の静かな確執がみれたり、隠そうと思ってもどうしても顔を出してしまうダークサイドの“もう一人の自分”が爆発してしまう女性をみれたりしました。
人と人との恋にキュンキュンさせ、人と人との絆に涙させ、人と人がぶつかることから生まれる人のイビツさに恐怖もさせる、そんな「テラスハウス」は多面的な人間を描く、とても優れた人間ドラマであり、人は他者によってこそ生きられるのだということを教えてくれる、どこか道徳の教科書のような一面さえあるのです。

さらにここに、日本のテレビ界が誇る話芸、バラエティ番組要素が挟まれます。テラスハウスでの共同生活のVTRをスタジオで観ているタレントたちがテラスハウスの住人たちについて面白おかしく本音で自由に喋りまくります。
モテる男子、モテない男子、モテる女子、純粋女子、など、それぞれの代表格のようなタレントたちが視聴者代表として持ち前の話芸で住人たちに厳しくツッコミをいれたり、バカにしてせせら笑ったり、共感したり、怒ったり、感動したり。
「テラスハウス」という番組は、男女の共同生活をただ垂れ流すだけでなく、そこに客観的な視点(時にそれが悪意の視点になったり、批評の視点となったりする)が入ります。これはもうお手上げです。

こうして、そんじょそこらのフィクションでは太刀打ちできない最強のTVショーが完成しました。
オシャレな恋愛に憧れるティーンを熱狂させるだけでなく、自分のようなオジサンをものめり込ませているのが、最強の証です。ティーンでもオジサンでもオバちゃんでも、純情な人でも、ひん曲がった性格の人でも、リア充も非リア充も、世の中の全てを信じたい人も、疑っている人も、各々が各々ちがう楽しみ方ができるエンターテイメント、そんなものなかなかつくれるものではありません。
幅広い世代に、一人でも多くの人に楽しんで欲しいという思いで映画やドラマをつくっている自分としてはある面、「テラスハウス」はお手本のようでもあります。
オマエ、いいかげんテラスハウスを褒め過ぎだろ! 回し者かよ!という声が聞こえてきそうですが、そんなことはないです。嘘は言っていないつもりです。

もちろん、「テラスハウス」は完璧ではありません。正直、自分の思うように話が展開せず、台本がないドキュメンタリーなのでうまくいかない時も多く物足りない時間が続いたり、飽きたりするときもありました。また、ヤラセということではなく、どんなドキュメンタリーにも必ず演出はあるので、「テラスハウス」の演出が露骨だったり納得できなくて少しだけ嫌な気持ちになるときもなくはなかったです。でも、通常のテレビドラマであればそんな演出やめろよ!こういう演出しろよ!と本気で怒るところも「テラスハウス」には怒りません。ふざけんなよー!と外面は怒りながらもどこか楽しんでいます。思い通りにいかない所、不完全なところを含めて、その演出をザワザワと楽しんでいます。
くれぐれも誤解しないでほしいのですが、その演出とは、「テラスハウス」に台本があるということではなく、スタッフによる出演者のキャスティングやストーリー展開の少々のテコ入れ、撮影した素材選び、編集、選曲、というレベルの演出です。
(同じ業界にいるとはいえ、番組関係者に知人はいないので内部事情はまったく知らず、演出の度合いはあくまで自分の勝手な想像です)

フィクションとノンフィクションのせめぎ合い


「テラスハウス」はどこかプロレスに似ています。プロレスというとすぐに八百長だと言われるところも似ています。プロレスにも(きっと)あらかじめ決められた何かもありながら、それを時に見ないフリをしたり、裏読みなんかをしながら、それでもそこに滲みでてきてしまう人間性、そんな人間達の人間ドラマに感動するものです。映画をはじめる前はプロレスに熱狂していた自分がこんなにも「テラスハウス」にハマるのはそういうわけなのかとも思います。

でも、プロレスが好きな人以外「テラスハウス」を楽しめないということでは決してありません。
虚構vs現実。プロレスだけじゃない、アイドルもそう、キャバクラもそうだ、それだけではない。家族、学校、仕事、恋人、友達、あるいは政治、宗教、芸術などなど、嘘と本当、理想と現実、フィクションとノンフィクションのせめぎ合いは、この世界のいたるところでおきており、そのせめぎ合いこそ世界なのかもしれません。
「テラスハウス」こそ世界、といったら大袈裟ですが、大嘘ではないと思います。

裏読みといえば、テラスハウスシーズン1の主題歌(みんながテラハといえばこの曲と知っている、象徴的なあの曲)、テイラースウィフトの「We Are Never Ever Getting Back Together」のこと。トゥギャザーやネバーエバーエバーというフレーズが目立ち、曲調やテラハの曲ということから、ずっとずっと一緒にいようね〜、これからもずっとだよ〜、大好きだよ〜みたいな恋愛に対して前向きな曲と思っていましたが、全然ちがいました。ちょっと英語がわかればタイトルからすぐわかること。「私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしないわ!」という曲でした。ピュアだとおもったら実は恐い、みたいな、表vs裏、虚構vs現実、わかってる人はわかってる、バカはダマされてなさい、みたいな。
テラスハウスを象徴する曲は、本当にまさにテラスハウスを象徴しており、ここまで本当に考えていたらテラハスタッフ、マジで意地悪いよ、すげえよ。

以上、すこぶる長文になってしまいましたが「自分なりのテラスハウス」について綴りました。
俺がテラスハウスについてこう思うから皆こう思え!とか、テラスハウスを絶対観ろ!観ない奴はクソだ!ということでもなく、また自分とはまったくちがう楽しみ方をしている人も多いだろうし、自分がまったく知らないテラスハウスの側面もあると思います。
ここまで読んでくれた人が1人でもテラスハウスに興味を持ってくれたら嬉しいな。映画版しかDVDになってないし、Netflixオンデマンドなど限られたメディアでしか過去作を観れず、初期の初期のものはそこでも観ることができないけれど、初期から観なければ楽しめないものではないし、さらに「テラスハウス」は続いています。11月からハワイ編の新シリーズがはじまります。せっかくの機会ですから少なくても3回〜5回は我慢して続けて観てみてみてはいかがでしょうか。いや、回し者じゃないですよ、本当に。でも、ハワイだなんて、さらにオシャレになっちゃって、「テラスハウス」がますます偏見を持たれそうでオジサンとても心配です。

おれはあなたたちに勝っている


最後に。
自分のこと。最近仕事がうまく形にならずにずっと悩んでいます。それでもやるしかねえ!といろんなことで自分を発奮させているので、せっかくなんでここでも最後に発奮してやろうと思います。取り乱したらごめんなさい。

面白い作品を撮りまくってる、いい仕事しまくってる、あの監督も、あの監督も、あの監督も、テラスハウスを見ていないだろう。みんな演出や作劇はおれなんかより才能があるかもしれない、おれなんかよりみんなうまく役者に演出するんだ、人付き合いがうまくて、プロデューサー受け、スタッフ受けもすこぶるいいんだ。しかし!みんなテラスハウスを見ていないだろう、映画のテラスハウスだけみてテラスハウスを観た気になるなよ、いや、テレビも映画も全部観ていても、おれほどテラスハウスが好きじゃないだろ! ざまあみろ! その一点において、おれはあなたたちに勝っている。いやいやいや、勝ち負けの話ではないや。でも! おれは、おれだって、なんていうか、なんていうかさ、楽しいんだ、仕事が思うようにいかなくても、女なんかいなくても、金なくても、デブでも、オッサンでも、みんなと同じぐらいおれだって人生楽しいんだ! 安居酒屋とかラーメン二郎とかしか行けなかったおれが、海辺のカフェでアボガドバーガーとかパンケーキとかを食べられるようになったんだ!
ありがとうテラスハウス!!
これからも、ずっとずっと、末永く、よろしく!!!
鈴木太一ブログ

プロフィール
鈴木太一(すずきたいち):映画監督・脚本家。1976年6月16日生まれ。映画監督篠原哲雄に師事。2012年に初の長編監督脚本作『くそガキの告白』で劇場公開デビュー。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にて史上初の4冠受賞。近年の監督脚本作にテレビドラマ『みんな!エスパーだよ!』(テレビ東京/2013)、『PANIC IN』(BSスカパー!/2015)などがある。