まもなく、「聖の青春」という映画が公開される。原作は大崎善生著『聖の青春』(講談社文庫)。

 羽生善治とほぼ同じ年で、羽生の好敵手だった村山聖(さとし)の29年の生涯に迫ったこの作品は、その哀切さに於て読者に消えない印象を残す。

 勝者と敗者のはっきりする将棋の世界に生きて村山は夭逝した。

 死因は進行性膀胱ガン。将棋連盟は死後、8段だった村山に9段を追贈した。

顔も洗わず、歯も磨かず

 1997年6月、村山は生まれ故郷の広島でガンの手術を受けたが、その後も病魔と闘いながら対局を続け、思考を鈍らせるからと抗ガン剤の投与は拒否していた。

 名人をめざして異例のスピード出世をした村山と対局することの多かった谷川浩司は、『週刊将棋』の1998年8月19日号で、「村山さんの将棋は一般的には終盤力を高く評価されていますが、私は卓越した序盤のセンスも感じました。ただ、体調のこともあって、すべての将棋で力を出し切れなかったのは残念です。体調万全ならタイトルを取っていたことでしょう」と語っている。

 村山は小さいころから、腎臓の病であるネフローゼという持病を抱えて生きてきた。

 ある記者が棋士たちとマージャンをやっているところにフラリと現れた村山が、「20歳になりました。うれしいです」と顔をほころばせているので、「そんなにうれしいですか」と尋ねると、村山は、「20歳まで生きることができてうれしい」と答えたとか。

 村山は顔も洗わず歯も磨かず、爪を切るのも嫌がった。師匠の森信雄が見かねて注意すると、村山は、「生きているものを切るのはかわいそうです」と答えたという。

 この少年棋士、いや青年棋士はあくまでも自らの再起を信じていた。そのため、病気であることを伏せてくれるよう頼み、もし亡くなった時は密葬にするよう、強く父親に要望していた。

 その遺志を尊重して家族のみで行われた葬儀に際して、聖の父親の村山伸一は、「満29歳の若さでしたが、その倍以上の人生を凝縮して生きたと、私たち家族は信じています。今まで本当にありがとうございました」と挨拶を結んでいる。

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