『ビジネスに効く教養としての中国古典』(守屋洋著・プレジデント社)

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■人間には徳性が備わっている「性善説」を採る

孔子の教えは、その後、弟子たちに受け継がれていく。かれらは思想流派の上で「儒家」と呼ばれている。

やがて中国の歴史は戦国時代に入っていくのだが、この時代になると、「諸子百家」と呼ばれるさまざまな思想流派が現れ、乱れた天下をどう立て直すのか、活発な論戦を展開した。そういうなかから、儒家の立場に立って、他の流派に対抗した二人の思想家が現れてくる。孟子と荀子である。

ただし、この二人は同じように孔子の教えを受け継ぎながら、その説くところには際立った違いがあった。

まず、孟子である。孟子の学説は二本の柱から成り立っている。

第一は、性善説である。

孔子は人間の本性は善だとも悪だとも語っていないが、基本的に人間を信頼する立場に立っている。孟子はそれを一歩踏み込んで、人間の本性は善であるとする「性善説」を打ち出してきた。それによると、人間はもともと天から、仁、義、礼、智などの素晴らしい徳性を賦与されて生まれてくるのだという。

だが、せっかくの徳性も、放っておくと、もろもろの欲望に晦(くら)まされて未開のままに終わってしまう。欲望に打ち勝って徳性を発現させるためには、絶えざる修養を必要とする。修養はまた修身と言ってもよい。これが人間に課せられた課題なのだという。

第二は、王道政治である。

人間の特性のなかで、孟子がもっとも重視したのが、仁と義の二つの徳である。これにもとづく政治が王道政治にほかならない。

つまり、絶えざる修養によってこれに磨きをかけ、政治の場に立ったときに、それを下々の者に及ぼしていく。そうすれば、国も天下もうまく治まるのだという。

■試練をバネに苦境を打開せよ

この古典に脈打っているのは、理想の実現をめざした烈々たる気迫と確固とした信念である。これに学ぶことができれば、現代を生きていくうえでも、勇気のようなものが湧いてくるにちがいない。

「至誠にして動かざる者は、いまだこれあらざるなり」(離婁(りろう)篇)

こちらが至誠の心で接すれば、どんな相手でも動かすことができる。これは孟子の信念であった。

たしかに、こちらに至誠が欠けていたのでは、周りの信頼も得られないし、人を動かすこともできない。現代のような時代だからこそ、至誠の意義がもっと見直されてもいいのではないか。

「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ず先ずその心(しん)志(し)を苦しめ、その筋骨を労し、その体(たい)膚(ふ)を餓えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、行なうことその為(な)さんとする所に払(ふつ)乱(らん)せしむ」(告子(こくし)篇)

天がその人に重大な仕事をまかせようとするときには、必ずその心を苦しめ、肉体を痛めつけてどん底の生活に突き落とし、何事も思いどおりにならないような試練を与えるのである。

苦労に負けるな、与えられた試練をバネにして自分を磨いていけ、というのである。

現代は変化の激しい時代である。今恵まれているからといって、いつなんどき逆境に突き落とされるかわからない。そんなときには、「これも天の試練なのか」と前向きに受けとめ、あわてず騒がず、粘り強く苦境を打開していきたい。

※本連載は書籍『ビジネスに効く教養としての中国古典』(守屋洋著)からの抜粋です。

(守屋洋=文)