「実は野球経験者だった!往年の有名サッカー選手たち」
先日ドラフト会議が行われたNPB。今日からは日本シリーズが始まる。
ということで、ここでは実は野球経験者だったサッカー選手たちを振り返ってみる。
ハビエル・アギーレ
現役時代はメキシコ代表MF・DFとして1986年のW杯に出場した経験を持つアギーレ。
2014年W杯後に日本代表監督に就任するも、スペインでの訴訟問題により契約解除となった。現在は、UAEのアル・ワフダを率いている。
来日する前の2012年、スペイン紙『elpais』のインタビューで野球について語っている。
「自宅の近くに野球場があったんだ。メキシコでは、アメリカ文化の影響がかなりあるからね。子供の頃はバットを持って道端や育った近くの小さな球場でプレーしていたよ」
その後は用具や場所を問わないサッカーを選んだようだが、その代わり野球以上に騙す要素があった(自分には向いていた?)とも述べている。なんでもメキシコにも比較的近い、MLBオークランド・アスレチックスを応援していたようだ。
ヨハン・クライフ
今年3月に68歳で亡くなったクライフの出身地オランダは欧州では比較的野球が盛んな土地である。
10歳でアヤックスのアカデミーに入った後、5年ほどは野球のほうを好んでいたとされている。ポジションはピッチャー&キャッチャー。いい肩を持っていたのかもしれない。
後年「野球から多くを学んだし、フットボールにも応用した。野球では予測をしなければならないからね。一歩先んじることを学んだのさ」と語っていたとかいないとか。
ヨハン・ネースケンス
アヤックスとバルセロナ、そしてオランダ代表でクライフとともにプレーした彼もまた野球経験者。
『Baseball in Europe』という書籍が英紙『Guardian』からの情報としてこう伝えている。
「ネースケンスは野球のオランダユース代表の一員だった。1960年代にローマで行われた欧州ユース野球大会では『最高の打者』に選ばれた」
野球選手のほうがより成功したかもしれないとも言われるほどの才能があったようだ。
オランダは2013年のWBCにも出場しており、ウラディミール・バレンティン(東京ヤクルトスワローズ)やアンドリュー・ジョーンズ(元アトランタ・ブレーブス、楽天)もオランダ領アンティルのキュラソー島出身だ。彼らの他にもMLBでプレーしたオランダ人はおり、そのうちのひとりであるシアトル・マリナーズでプレーしたグレッグ・ハルマンはこう述べている。
「オランダ出身と聞くと、人々はサッカーや木靴を連想する。でも自分はオランダ出身だが、ずっと野球をやってきた」
なお、彼は24歳だった2011年に母国オランダで刺殺されている。
トニー・メオラ
1990年代のアメリカ代表のゴールマウスに君臨した守護神。
彼の父親はイタリアからの移民で、祖国ではサッカー選手としてプレーしていた。その父からサッカーを教わったというメオラだが、高校ではバスケと野球でも大活躍。
185cmと決して大柄ではなかったが、MLBニューヨーク・ヤンキースからドラフト指名されるほどのズバ抜けた運動能力を持っていた。
ただ、彼は大学進学を希望したために入団はならず。それでもバージニア大学では野球を4年間プレー。3年間はセンター、1年間はキャッチャーとして活躍し、最終学年では打率.455、HR8本、打点36をマーク。強肩でもあったらしく、当時のコーチは「州でも最高の野手だった」と絶賛している。
MLBのイタリア移民といえば、野茂英雄がプレーしたドジャースの指揮官ラソーダ氏やピアッツァが有名であるが、もしかしたらメオラも彼らのようになっていたかも?
さらに、GPAで3.4を記録するなど学業のほうでも優秀だったそう。また、NFLニューヨーク・ジェッツのキッカーになろうとしたこともあるそうで、本当にスポーツ万能だったようだ。
フランク・ボルギ
元アメリカ代表GK。1950年のブラジルW杯で起きた『サッカー史上最大の番狂わせ』に貢献した守護神。
グループステージ第2戦でイングランドと激突したアメリカだったが、プロ選手が一人もいないアマチュア集団だった。一方のイングランドは全員プロの優勝候補筆頭だったのだが、なんと0-1で敗戦。この試合で相手のシュートを止めまくったのが、ボルギだった。
そんな彼も野球経験者。というより、プロ野球選手になった後にサッカー選手へ転向した変わり種だ。
同僚だったウォルター・バーも「多くの人が彼の野球の才能について称賛していた」と語っている。ポジションはやはりというべきか、キャッチャーだったそう。サッカー転向後は前線でプレーするフットワークがなかったことから、GKになることに決めたとのことだ。2015年に89歳で永眠。