【対談】ISAK小林りん x ビズリーチ南 壮一郎  vol.2「起業という選択」

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社会人としての基礎は、外資系金融で全て学んだ-。外資系金融出身者は、多かれ少なかれ同じようなことを言う。外資系金融は、優れた人材を育てる最良の学校である、と。この連載では、その学校を卒業して活躍する人々を対談形式でクローズアップする。

第一弾は、モルガン・スタンレー出身の小林りん氏(インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢=ISAK 代表理事)と南壮一郎氏(ビズリーチ 代表取締役社長)の先輩・後輩対談を4回にわたって公開。第2回は、キャリア形成の軸にとなっている原体験と起業の背景に迫る[第1回はこちら]。

谷本有香(以下、谷本):お二人は若い頃から、ご自身の成長や社会貢献を意識されていますよね。何か原体験があるのでしょうか。

南壮一郎氏(以下、南):僕の場合、海外で育ったことが大きいと思います。小学校はカナダ、中学・高校で日本に戻り、大学はまたアメリカ。だから、新しい環境に対する恐怖がほとんどなくて、むしろ、一つの環境だけに順応することだけが良いとは思わないんです。多様な価値観を楽しい、面白いと思える感覚こそ、自分のベースであり、両親からもらった最大の武器だと思っています。

小林りん氏(以下、小林):私は、小学校の頃に自分の”名前の由来”を初めて知ったときですね。作文を書くために両親に由来を聞いたのですが、それがずっと記憶に残っています。

私の名前は平仮名で「りん」。両親には、「世界中どこに行っても、日本語はもちろん、英語もスペイン語も中国語も”りん”という音はあるんだよ」と言われました。そして、「凛とする」の「凛」なのか、倫理観の「倫」なのか、あえて漢字はつけなかったと。「人生を通して自分で色を付けていけ」と小学校1年生のときに言われました。

もう一つは、スイミー(=南氏)や岩瀬大輔くん(ライフネット生命保険 代表取締役社長)のように、社会人の初期段階で仲良くなった人たちが、私と同じような考えを持っていたのが大きかったですね。

周りから見ると、私は一見脈絡のないキャリアだと思われがちで、親しい友人にも理解してもらえないこともあったんです。でも、スイミーや岩瀬くんたちは「いいじゃん、別に」って言ってくれた。周りにいる彼らが楽しそうだから、私も好きに生きようって思えたんです。

起業は「結果」だった

谷本:キャリアの早い段階から起業を意識されていたんですか?

南:僕は考えていませんでした。自分は何になりたいのかをずっと考えている中で”プロデューサー”になりたいと思ったんです。音楽のプロデューサーになりたいというわけではなく、好きな業界、好きな場所で、好きなタイミングで、好きなことをやれるようなビジネスパーソンになりたいなと。

楽天を辞めて、転職活動をしていた時期にもっと良い機会提供をしたいと考えて思いついたのがビズリーチのビジネスモデルです。今後プロデューサーとして生きていくうえで、ITやインターネットを知っておく必要があると思ったのと、自分が一度も経営をやったことがないのでチャレンジしてみようと、起業しました。

最初は長く続けるつもりはなかったんです。2〜3年やったら満足するかなと思っていたんですが、どんどん思いをともにしてくれる仲間が集まって規模が大きくなり・・・。

その過程で、優秀な人と世の中に価値あるサービスを提供し続けるためには、自分自身が事業にコミットしないとついてきてもらえないと気づいたんです。だったら、続けるかどうかはっきりさせようと考え、続けることを選びました。

小林:私はISAKの前に4つ仕事をしていました。前半2つは「自分の成長」が軸で、外資系金融とITベンチャーでバリバリ仕事をしていました。後半は「やりたいこと」を軸に、教育や社会貢献、国際協力のようなことをやりたかったので、国際協力銀行とユニセフで働きました。

前半は、働き方は好きだったんですが、やっていることに納得できず。逆に後半は、仕事内容には満足していましたが、働き方に納得できませんでした。だから、この2つを掛け合わせ、自分らしい働き方で働きながら、結果として教育や社会貢献になるような働き方ができないか、ずっと考えていたんです。

そんな時期に岩瀬くんから谷家さん(谷家衛氏:あすかアセットマネジメント 代表取締役会長)を紹介され、「学校をやりませんか」と言われて・・・。青天の霹靂でしたが、まさに私のやりたいことが両立できるのではと思い、引き受けることにしました。

100人のファウンダーと学校をつくる

南:そもそも学校を作ろうと考えたことはあったんですか?

小林:谷家さんに誘われるまで、全くなかったです。海外ではアキュメン・ファンド(※)のような企業が出てきていて、そういうところに転職しようか、もしくはアキュメン・ファンドのようなものを日本でも作れないか、いろんなことを模索していた時期でした。※Acumen Fund:発展途上国において雇用を生み出し、社会に貢献するサービスを持続的に提供することが望めるビジネスの設立に投資することで、貧困問題の解決に寄与することを目指す起業ファンド。

でもずっと教育への興味はありました。特にユニセフで働いていたときに、教育を受けられていない人を減らすのは大事だけど、本当にそれだけで世の中は変わるのか? と思い、一部でもいいから”社会を根幹から変えられる人”を輩出していくような学校ができたらインパクトがあるなと考えていたんです。

南:実際に学校が立ち上がるまで、すごく大変でしたよね。ファウンダーの皆さんは、りんちゃんや学校にとってどういう存在なんですか?

小林:恩師であり、同志ですね。もちろん、ご支援していただいているのもありますが、「みんなで作っている学校だ」と皆さんが思ってくださっているのを感じています。



実は、学校を立ち上げようと動き出した直後にリーマン・ショックが起こって、1人に20億円寄付いただくプランから、1,000万単位かそれ以上で100人の「ファウンダー」に寄付いただく計画へと変わったのです。そして全員が学校設立の当事者になった。でもそれが、結果として大きなうねりのようなモメンタムを生み出したのだと感じています。

1,000万円出したからには、成功してもらわなければ困るので、いろんな人をどんどん巻き込んでくれるんです。1人だけから寄付いただくプランだったら、ここまで話題になっていなかったと思います。

南:ベンチャー企業で5〜6年準備している会社なんてないので、本当に立ち上がるのかな? と思っていました。精神的にすごく大変なんだろうなって。

小林:それは全然なかったですね。最初の4年間は誰も雇わず、全員手弁当だったので、資金が一錢も減らない状況でしたから。

オフィスが自宅だったので、そこで面接をしてたら周りから「怪しいよ、それ」と言われ(笑)。それでボロボロだけど共有オフィスみたいなところに移り、それでも怪しいと言われ、4年目でようやく綺麗なところへ。そんな感じで、お金がなくなっていく焦りがなかったのは大きいですね。[第3回(10/28公開)に続く]