グローバル資本主義が抱えるたった一つの限界とは

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世界の哲学者はいま何を考えているのか――21世紀において進行するIT革命、バイオテクノロジーの進展、宗教への回帰などに現代の哲学者がいかに応答しているのかを解説する、哲学者・岡本裕一朗氏による新連載です。9/9発売からたちまち重版出来(累計3万部突破)の新刊『いま世界の哲学者が考えていること』よりそのエッセンスを紹介していきます。第14回は世界を席巻したかのように思えるグローバル資本主義が抱えている、あるパラドックスについて概観します。

グローバル資本主義の本質的限界

フランシス・フクヤマはかつてマルクス主義にもとづいて建設された国家の崩壊を想定して、「歴史の終わり」を説きました。社会主義は資本主義によって乗り越えられ、今日にいたるまでグローバル資本主義はその隆盛を誇っているようにも思えます。しかし、ここであらためてグローバリゼーションに立ち戻ってみましょう。というのも、グローバリゼーションには、きわめて深刻な「パラドックス」が潜んでいて、その理解なくして未来世界を展望できないからです。

トルコ出身の経済学者で、現在はプリンストン高等研究所の教授であるダニ・ロドリックが、2011年に『グローバリゼーション・パラドクス』を出版し、グローバリゼーションにどう対処すべきか、議論を展開しています。彼によると、次の三つの道(「トリレンマ」)が可能であり、私たちはこの中から選択しなくてはならないのです。

国民民主主義とグローバル市場の間の緊張に、どう折り合いをつけるのか。われわれは三つの選択肢を持っている。国際的な取引費用を最小化する代わりに民主主義を制限して、グローバル経済が時々生み出す経済的・社会的な損害には無視を決め込むことができる。あるいは、グローバリゼーションを制限して、民主主義的な正統性の確立を願ってもいい。あるいは、国家主権を犠牲にしてグローバル民主主義に向かうこともできる。これらが、世界経済を再構築するための選択肢だ。
選択肢は、世界経済の政治的トリレンマの原理を示している。ハイパーグローバリゼーション、民主主義、そして国民的自己決定の三つを、同時に満たすことはできない。三つのうち二つしか実現できないのである。

つまり、(1)「もしハイパーグローバリゼーションと民主主義を望むなら、国民国家はあきらめなければならない」。あるいは、(2)「もし国民国家を維持しつつハイパーグローバリゼーションも望むなら、民主主義のことは忘れなければならない」。そして、(3)「もし民主主義と国民国家の結合を望むなら、グローバリゼーションの深化にはさよならだ」。

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