落語家になった月亭方正(※写真はイメージです)

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昔、『ガキの使いやあらへんで!』で、「芸能界 仁義なき 犬猿の戦い!!」という企画が何度か放送されていました。これは、山崎邦正(現・月亭方正)とジミー大西が、些細な言い争いから殴り合いの喧嘩を始めるというリアルな寸劇。演技の範疇とは思えない2人のド突き合いは迫力満点で、コントと分かっていても、何だかハラハラさせられたものです。
さて、この『犬猿の戦い』における激しい応酬の最中、ジミーが山崎にこんなことを言っていました。

「お前とおったらなぁ、そら、のりやすも逃げるわい!」
それを受けて、山崎が「お前、それは言うな……」と急にマジなテンションになってつぶやき、周囲の笑いをさらった一幕がありました。「のりやす」とは誰かというと、山崎の元相方・軌保博光(のりやすひろみつ)のことです。

1994年に解散した、山崎邦正がいたコンビとは?


ピン芸人としてのキャリアが長い山崎ですが、実はGSX(ガスペケ)という漫才コンビとしてデビューしていたというのは、知る人ぞ知る事実。1989年にコンビ名を「TEAMー0」と改めて、ダウンタウンよりも早く東京進出を果たした同コンビは、94年突如解散を発表します。

それから、23年。片や、名屋号を背負う落語家。片や、詩人からミュージシャン、果てはネットワークビジネスの会員まで、さまざまなキャリアを歩んだ流浪の人。同じ芸人というスタートラインに立ちながら、全く違う人生を歩んだ2人。
山崎が芸能界のスポットライトに照らされた「陽」だとするなら、軌保は「陰」。その生き様は、早々とお笑いを自らの土壌と定めて着床し、世間からの注目という眩い光を浴びながら育った山崎とは対照的です。そんな軌保の数奇な半生をここでは紹介していきます。

島田紳助から「松本人志以上の天才」と評される


松本人志よりも才能がある。この発言の主は誰あろう、若き日のダウンタウンの才能にひれ伏して、漫才師廃業を宣言したことでも知られる島田紳助氏。
紳助曰く「感受性豊かなところがいい」とのこと。そのピュアさゆえに、この山崎の元相方は様々なことへと興味を持ち、流浪の人生を歩むこととなります。

94年、「やりたいことが見つかった」として、のりやすは吉本興業を退社。映画監督の道へと進みます。しかし、世の中そう上手くはいかず、映画の資金集めとグッズ制作費のために、6000万円もの借金を抱えることに。巨額の債務を果たすべく、彼は路上詩人へと転身します。

路上詩人ブームの草分け的存在として活躍も…


これは、渋谷や原宿のストリートに座り、「あなたを見てインスピレーションで言葉を書きます」と言って、即興で詩を作成するというもの。この活動はTBSの報道番組『ブロードキャスター』などでも大きく取り上げられ、話題となります。
彼をきっかけに全国各地で「路上詩人ブーム」が巻き起こったとも言われているのだから、その発想力・影響力たるや、さすがは紳助をして天才と言わしめた人物の面目躍如といったところでしょうか。

しかしその後、NGOを結成して環境保護活動に乗り出したり、ネットワークビジネスの会員になったりと、ありとあらゆることに手を出しては途中で辞めている軌保。今は、講演活動の傍ら、何と齢40代後半にしてプロゴルファーを目指しているのだとか。果たして今後、何処で大輪の花を咲かせるのでしょうか……。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより僕が落語家になった理由