86“KOUKI”進化の真価 トヨタ自動車 多田哲哉(5)楽しいクルマは挑戦の果てに生まれてくる

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今やトヨタの人気車種のひとつとなった「86(ハチロク)」。

その開発を指揮するのは、自動車メーカーのエンジニアとしては異色の経歴を持つ、トヨタ自動車の多田哲哉さん。

紆余曲折を経つつも、スポーツカー開発という幼い頃からの夢にたどり着いた多田さんは、未来のクルマ作りにどんな夢を抱いているのか?

その人物像に迫るインタビュー、今回はその最終回。

豊田章男社長の宣言が86のすべての始まりだった

--ヨーロッパ駐在の任期を終えられ、日本に戻って来られてからは、どのようなお仕事をなさっていたのでしょうか?

多田:帰国後は元の部署に戻り、しばらくはABSを発展させた“ブレーキアシスト”の開発を手掛けていました。実はトヨタのブレーキアシスト採用第1号車は、私が関わったものなんですよ。

当時、「スープラ」の開発主査だった都築 功さんが、後に「ラウム」の担当になられた際、私が開発していた技術に目をつけてくださったんです。そして、いろいろディスカッションしているうちに、「お前はクルマ全体を見る方が合っているんじゃないか」と都築さんに認められ、晴れて製品企画部に異動することになったのです。

都築さんが誘ってくれたのだからスポーツカーを作れる! と喜び勇んで異動したところ、都築さんは、私の担当車種はラウムだとおっしゃるんです。「なんですか、それ?」と聞いたら、「老若男女、誰にでも乗りやすいクルマだ」といわれて、ガッカリした覚えがあります。なので「スポーツカー以外には興味がありません」と生意気なことをいったら、えらく怒られましてね(苦笑)。

実は当時のトヨタは、スポーツカーの開発をほとんど止めていて、「MR-S」を開発していた部隊も本当に小さなものでした。なので、その後、ラウムを担当しながらも「いつかはスープラみたいなスポーツカーを作れたらいいな」と、ずっと思っていました。

--そこからスポーツカーの開発にたどり着くまでには、ハードルが高そうですね…。

多田:スポーツカーをやりたい、とアピールしたところで、当時のトヨタは1台も作っていないわけですから、できるはずがないんです。だから、ラウムの後にコンパクトカーの「Bb」や「ラクティス」を担当し、その後、ミニバンの「ウィッシュ」を手掛けていた頃は「一生スポーツカーは作れないのかなぁ」と、半ばあきらめていました。

すると、ウィッシュのデザインがほぼ決まる頃になって、突然、役員室に呼ばれたんですよ。また何か怒られるのかなぁ、イヤだなぁと思い役員室へ行くと、「多田くん、もうウィッシュはやらないでいいから」との命令が。クビかな、左遷かな、と思いつつ「次は何をするんですか?」と尋ねたところ、「多田くんにはスポーツカーを担当してもらうことになった」といわれたんです。本当に驚いて、何度も何度も聞き直した覚えがあります。

2007年の4月に、社内で正式にスポーツカー開発にゴーサインが出ていたんです。その時の役員会のテーマのひとつが、若者のクルマ離れの問題でした。当時、トヨタも「bB」などを作り若者にアピールしていましたが、販売が長続きするものではありませんでした。その会議では、将来的にどうしていくかが議論されていたのです。

結局、その会議では、やっぱりスポーツカーはクルマ作りの王道であり、クルマ好きの王道。とはいえ、みんなが買えるスポーツカーじゃないと意味がない。儲かるか儲からないかの問題で開発を先送りしているようでは、若者のクルマ離れは止められない、という結論に至ったのです。

トヨタの技術部はそれまでも、毎年、スポーツカーの企画を提案していました。それに対し営業部隊は、ノーではなく「確かにいいね」という回答でした。ただし、開発に同じだけの資金や人的リソースを投入するのなら、もっと効率よく利益を挙げられる企画が山のようにあったため、スポーツカーは後からでもいい、と先送りされていたのです。

でも、2007年のその役員会では、当時、国内営業担当の副社長だった現社長の豊田章男が「技術部が本当にいいスポーツカーを作ってくれるのなら、万難を排してでも売る!」と宣言してくれたんです。その言葉が、すべてのスタートだったんですね。

トヨタ自動車 豊田章男社長

結果、その役員会での決定を受け、突然、私に白羽の矢が立ったというわけです。なぜ私だったのか? それはいまだによく分からないのですが、ラクティスを作った際、実はワンメイクレースをやろうと計画していたからかもしれません。

ラクティスはキビキビ走るし、背が高いから荷物をいっぱい積めるんです。だから、交換用のパーツやタイヤなどをすべて積めて、1台でサーキットに行ける。それをサーキットで降ろせば、そのままレースに参戦できるんです。これなら拡販にも役立つと当時の上司に提案したところ、予算もうまく取れました。

トヨタ ラクティス

実は、ラクティスにはパドルシフトを採用していたのですが、これもワンメイクレースを見越しての装備。ヒール・アンド・トゥができない人でも、パドルシフト付きのAT車で気軽にレースに参加できますよ、というコンセプトでしたね。

そして、その年の東京モーターショーにワンメイクレース向けのコンセプトカーを出展するなど、計画は順調に進んでいました。そのコンセプトカーはラクティスをレース向けに改造したもので、当時のトヨタF1カラーに塗り、荷室にはゲージを作り、その中にタイヤやパーツをすべて積んで、ワンタッチですべて降ろせるという仕掛けでした。そして、社内でテストも行うなど、準備万端整えていたんです。でも結局、その計画は日の目を見ませんでしたけどね。

そういった経緯を誰かが覚えていてくれて、いざトヨタがスポーツカーを作るとなった時に「そういえば多田が面白いことをやっていたな。彼にやらせてみたらいいんじゃないか」と推薦してくれたみたいなのです。

--トヨタ社内には、多田さんのほかにも優秀なエンジニアの方が多数いらっしゃいます。その中で多田さんが推薦されたというのは、何か特別な理由があったのでしょうか?

多田:正直なところ、スポーツカーを作ることは決まったけれど、うまく製品化まで行き着くとは誰も思っていなかったみたいです。実際のところ、全く期待されていなかったんですよ。なので、ウィッシュの開発チームから外れ、ふたりしかいないスポーツカー開発のグループ長になった時には、回りの皆が「左遷もいいところじゃないか、かわいそうに…」と同情してきたほどです(苦笑)。

それを象徴するような出来事がありました。しばらく経ったある日、とある役員に呼ばれ「俺から断ってやろうか」といわれたんです。もちろん、私のことを心配しての気遣いだったのですが、私は即座に「いやいや、こんな楽しい仕事はありません」とお断りしたんです。そうしたらその役員は「変わったやつだな」といって、部屋を追い出された記憶があります。

当時のトヨタ社内では、ミニバンなどに関わる仕事が花形でした。ですから、そういう仕事に携われば将来の出世も見えてくるというのに、正体不明のスポーツカーを作れといわれて喜んでいる私などバカとしかいいようがない、と考える方が大勢だったのですね。

トヨタ自動車 多田哲哉さん

--スポーツカー担当になられて、まず何から着手されたのでしょうか?

多田:世界中のレースとかラリーを観戦に行き、その合間に、世界中で開かれているスポーツカーのファンイベントなどを見て回りました。そして、イベント会場ではとにかくひたすら、会場にいる人たちに「どんなスポーツカーが欲しいか?」と聞いて回りました。そこで分かったのは、多くの人たちがAE86型の「カローラレビン/スプリンタートレノ」や日産「シルビア」で、ショートサーキットを走っていること。手頃なサイズのスポーツカーで走りを楽しんでいたのです。

そして、彼らは口々に「なぜ今の自動車メーカーは、こういった手頃なスポーツカーを作ってくれないんだろう?」と不満を述べていました。それを聞いて、私は不思議に思ったんですよ。世界中の多くの人々がこれだけ同じモノを求めているのに、どうしてどこのメーカーも作らないのか? と。

その当時、日本でも新しいスポーツカーが登場していましたが、ハイパワーで4WDで、高額なものばかりでした。こうした傾向は日本だけでなく、世界的なものでした。ターボ付きでものすごく馬力がある。馬力があるから、4WDにしないとまともに駆動力を地面に伝えられない。その分、タイヤもハイグリップタイヤになる…。こうしたクルマは確かに、とても速いのですが、普通のドライバーにはとても運転できる代物ではなくなってしまった。なので、いろんなハイテクメカを盛り込んで、なんとなく走れるようにしている、というのが実情だったのだと思います。

でも、休日にレースを楽しんでいるサンデーレーサーに話を聞くと、「めっぽう速いクルマには全く興味がない」というんです。「ちゃんと身の丈に合った走りを楽しめるクルマで、自分で振り回して遊べるクルマ。まさにAE86やシルビアが欲しい」ともいっていました。

トヨタ AE86型 カローラ レビン/スプリンター トレノ

--作るべきスポーツカーの方向性が見えてきたわけですね。では実際に、それをどのように社内へ提案されたのでしょうか?

多田:私は純粋に「AE86をもう一度作ればいい」と考えたんです。そこでスポーツカーの開発に携わっている他メーカーの方々に、その思いをぶつけてみました。この頃になると、マツダや日産でスポーツカーを開発されている方々とのネットワークができてきて、いろんな話を聞く機会に恵まれていたのです。でも、私の“AE86復活プラン”には、皆さん「甘いね」と難色を示される。「そんなことを役員会に提案しても、トヨタは真っ先にダメといわれる会社だよ」とおっしゃるんです。

当時のスポーツカーといえば、市販車開発の聖地であるニュルブルクリンクを何分で走りきったとか、筑波サーキットのタイムアタックでコースレコードを更新した、といった、分かりやすいイメージが付きものでした。なので、他社の皆さんからは「走りが楽しいといった、なかなかイメージを抱きにくいスポーツカーの企画にカネを使っていいというメーカーなど存在しない」とか、「マツダ『ロードスター』みたいなオープンカーなら話は別だが、ピュアなクーペスタイルの楽しいスポーツカーを作りますという企画が、社内で承認されるはずがない」と、完全否定されたのです。

トヨタ 86

--そういったハードルの高いプランが、どのようにして社内で承認されていったのでしょうか?

多田:完全否定されたことが悔しくて、でもそれをバネに1年くらいより深く考えた時に、おぼろげながらアウトラインが見えてきました。当初はトヨタ内製で行こうと進めていたのですが、トヨタがスバルと提携することが分かってからは、スバルの方々にあれこれ打診しましたね。そして、1年半くらい経ったある日、具体的なプランをトヨタの役員会で提案したんです。

提案の際にプラスに働いたのは、やはり人気漫画『頭文字D』の存在。あれは大きかったですね。ああいうアニメやコミックが人々に高く支持されていて、劇中に出てくるようなクルマを皆さん待ち望んでいる、とアピールしたのです。もちろん、86は“下り最速”のクルマだというアピールも忘れずに。

そして、みんなが買えるように、価格は200万円くらいから設定するとも提案しました。ただし、スバルとの提携を活かしてコストダウンを図りつつ、スバルの水平対向エンジンやパーツをフル活用することで、高性能なスポーツカーに仕立てます、と主張したのです。すると役員たちは「なんだかだまされているような気もするが、スバルとのアライアンスを活かせるならいいなぁ」と、なんとなくではありますが、話が前進したのです。

--かつてのトヨタでは却下されたかもしれないプランですが、86は無事に承認されました。その理由はなんだったとお考えですか?

多田:「エンジンはスバルの水平対向をそのまま使い、新規開発はしません」。だから「余分な投資は必要ありません」など、結構調子のいいことをいったからではないですかね(苦笑)。でも、開発が始まって1年くらい経った頃、目標とする性能を達成するために、結果的には新規に開発することになったんですけどね…。

トヨタ 86“KOUKI”

--そういう難産の末にデビューした86は、すでに15万台以上のセールスを記録しています。スバルの「BRZ」を含めると、20万台を超えてしまいます。これだけ支持されている要因は、なぜだとお考えですか?

多田:まさに順風満帆ですよね。でも、台数よりもっとうれしいのは、発売時にプレスリリースのヘッドラインに「このクルマはお客さまとともに進化します」と書かせていただいたとおり、実際にハードもソフトも進化させられていることですね。お客さまとともに86が進化し続けるためには、販売台数でいうと、10万台を超えることがひとつのボーダーラインになります。これを超えると、チューナーの皆さんが注目してくれるようになる。その分、スポーツカーのマーケットがより醸成するんですね。なので、10万台くらい売れたらいいな、と思っていたのですが、すでにその2倍も売れたなんて、驚きです。

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でも、本音をいうと、当初は本当に売れるのか? と半信半疑だったのです。自信を持って開発し、世に送り出したのですが、実際は不安でした。なので、発売後2年くらいは、土日はすべてユーザーイベントに足を運んでいましたね。とにかく「86はこんなにいいクルマなんだ!」ということを私自身が一生懸命アピールしたら、1台くらいは売れるんじゃないか、と思って。日本中、世界中、行けるところはすべて行きました。そうしているうちに、私の想定を超え、86でレースに参戦する人、ラリーに出場する人、自在にカスタマイズを楽しむ人がたくさん出てきて、86は一気にカルチャーになったのです。

トヨタ 86
--最後に86に関する今後の野望、もしくは、トヨタのスポーツカーに関する展望をお聞かせください。

多田:お客さまとともに進化する。お客さまとメーカーとチューナーが一体となって、86、そしてスポーツカーのカルチャーを盛り上げていきたいというのは、今後も変わらないですね。

そして、86をはじめとするスポーツカーの開発を続けることは、今のトヨタにとって一番重要なことだと思っています。トヨタがスポーツカーをやっているのは、たくさん売って利益を挙げたい、といった考えからではありません。真のトヨタファンを、もっといえばクルマファンを作りたいからこそ、我々は今、スポーツカーを手掛けているのです。

今はまだ、ハイブリッドがいいとか、燃料電池がいいとか、EVがいいといった段階にあるエコカーですが、数年経つと間違いなく、そのいずれかがパワートレーンのデファクトになって収束していきます。そうなると、エコカーであっても、スポーツカーのように乗って楽しい方がいいという時代が来る。

トヨタ 86“KOUKI”

とはいえ、乗って楽しいクルマを作るのは、技術的に見ても簡単なことではありません。走りのいいクルマの開発には時間がかかるんです。パワートレーンに加え、足回りや空力など、いろんな技術を追求する必要がありますから。なので今、86のために開発している技術は、きっと近い将来、スポーツカーだけでなく、エコカーの開発にも役立つと考えます。

そして、86で得たセールスに関するノウハウは、将来の自動車ビジネスを一変させる可能性があると考えています。単に売ったら終わり、ではなく、発売した時からお客さまとの新しい関係が始まるのです。チューナーが手掛けるアフターパーツも、一時的に見たら、利益が自動車メーカー外に流出するように思えますが、長い目で見ると必ず、私たちメーカーのプラスになる。クルマの業界全体を、そういったビジネスモデルに変えていかなくてはいけないと思っています。

そのための新しいアプローチとして、スポーツカーを手掛けるというのは、すごく分かりやすい。失敗しても、台数規模的には小さいものですから。同じことを「プリウス」や「カローラ」でやったとしたら、それこそ失敗した時に会社が傾いてしまいかねません。

今、GoogleやAppleがクルマを開発中といわれていますが、仮にクルマを作れたとしても、楽しいクルマ、乗って楽しいクルマを作れるかどうかは、また別の話です。私たちも、乗って楽しいクルマとは何か、ということを真剣に考え始めて4〜5年経ちますが、まだまだヨーロッパの自動車メーカーには追いつけていないのではないかと思います。

なので、その課題をより深く追求するために、私はあえてもう一度、トヨタのスポーツカーでモータースポーツにチャレンジしたいと考えています。この10年くらいは、レーシングカーと量産車は全くの別物、というのが常識で、レースは走る実験室なんていうのは大昔の話、と見られてきました。でも我々は、その常識をあえて覆し、モータースポーツへのチャレンジとクルマの開発をリンクさせたいと考えているのです。走って楽しいクルマというのは、やはり、そういった挑戦の積み重ねによって生まれてくるものだと信じていますので。(完)

トヨタ 86“KOUKI”

(文/ブンタ、写真/グラブ)