東京生まれ、東京育ちの私が、ひょんなことから、お一人様で富山県へ移住。東京時代のキャリアをいったんリセットして、「地域おこし協力隊」に。仕事、暮らし、人間関係…。42歳にして、まったく未知の世界に飛び込んでしまった、おんなお一人様の移住物語である。

第1回:「東京はお金がすべてだった」42才エリート女性が都会を捨てて、手に入れたもの

地方移住は「賭け」みたいなもの

東京から富山へ移住して2年目の秋を迎えた。

現在の私の立場は「地域おこし協力隊」として、町への移住希望者を、住まい、仕事、暮らしなど、さまざまな面においてワンストップでサポートしている。「定住コンシェルジュ」というのが今の私の肩書きだ。仕事柄、「移住」「田舎暮らし」をテーマにしたサイトや情報などを目にする機会もぐんと増えた。

環境のいい田舎で子育てをしたいと、都会から引っ越してきたファミリー。定年を迎え、憧れの田舎暮らしを実現させたご夫婦。いろいろなカタチの移住物語がこの世の楽園のように、華やかに紹介されている。それぞれの自治体もあの手この手で、移住希望者を惹きつけるための魅力的な移住支援策を打ち出している。

それらの記事を見ながら、ふと、思う。

「でも、移住なんて、よっぽどの事情がない限り、普通はしないよね。だって、ある意味『賭け』みたいなものだもの」と。

「縁をもらった富山、そして、立山町の活性化に貢献したい」。移住の理由を聞かれるたびにまわりにはこう答えてきた。そう思ったのは事実で、今もその気持ちに変わりはない。立山の神様が宿る立山連峰の雄大さに惹かれたのも本当だ。

だけど、人は普通、それだけの理由で、東京でのすべてをリセットして移住するだろうか? 人生を賭けるにふさわしい理由だろうか? やや優等生過ぎるコメントではあるまいか?

なぜそんなことを書くのかと言えば、私の本当の移住の理由は、「富山の男性に恋したから」なのだ。

「会いたい人がいる」。

この気持ちほど、物理的な距離さえも軽々と超越してしまう強い動機は、他にないのでは?と思う。あぁ、立山の神様、不純な動機でゴメンなさい。だけど、この動機は何にも勝る「純粋」な動機にも思えるのだ。「移住」のハードルをものともしない、一番のモチベーションは、ずばり「恋」なのよ(そこから発展して「結婚」というパターンになったら、それは言うまでもなく、とても素敵なことね)。

「会いたい」は大きな原動力になる

「冬は寒ブリが美味しい時期だから、一度、食べに来られ」。

富山のFB(フェイスブック)仲間の一声で、実際にリアルなご対面となったのは、3年前の12月。それまで、東京のぬるい冬しか体験したことのなかった私は、北陸の冬というものがまったく、想像がつかなかった。

まずは防寒からと思い、銀座のデパートで、ハーフ丈のグレーのダウンコートを購入した。顔まわりが小顔に見える流行りのデザイン。これにスリムなジーパンとジョッキータイプのブーツを合わせよう。頭の中でコーディネイトのイメージがわいた。

たった数日の富山行きだけど、他にもプレゼント用のお土産やらで出費がかさむ。だけど、どれもウキウキと嬉しい買い物だった。

この時、初対面するメンバーの中にいたのが、私が「会いたい人」だった。投稿する文章、そして、やり取りするコメントで、言葉のセンスがキラリと光る人。「こんな面白い人が地球上にいたなんて!」。軽い衝撃にも似た驚きは、「会ってみたい」という気持ちに変わった。

「会いたい」。これは、頭や理性で考えるよりも、ずっと大きな「行動の原動力」になる。「会いたいと思った時がタイミング」とは自分の座右の銘だが、今行かなくちゃダメだ、という気もした。東京の友人に話したら驚かれた。だけど、そのエネルギーがいいね、とも笑われた。「恥ずかしい」など思わなかった。ただ、会ってみたかったのだ。

その時は、一度だけ富山に行ければそれでいいと思っていた。この突き動かされる衝動が叶えば、きっと満足する。あとは、また、いつもの東京の日常に戻ればいい、そう思っていた。

結果的に、この年の忘年会をキッカケに富山へ通うことになる。すっかり富山人の懐の深さ、器の大きさ、何より「人の良さ」にハマってしまったのだ。

人見知りでシャイ。確かに最初はそうかもしれないけれど、その厳しい寒さに比例するがごとく、ハートはどこまでもあったかい富山人。それからは、お金とタイミングがあれば、富山へ通うようになった。

私の恋は残念ながら叶わなかったけれど、それ以上に移住という、想像もつかなかったオプションがついたのだから、人生は面白い。

いくつになっても新しい物語はスタートできる

「水の良さ」はイコール「人の良さ」。

これは私の持論だが、身体の大部分を占めている水が良ければ、もれなく、「人」も良い。美味しいお水で作られたお米やお酒が美味しいように。人だって水でできている、と言っても過言ではないのだから。

「富山を盛り上げるために、こんなことやりたいよね」。

移住する前から、富山仲間の一人とは、電話でよくこんな話をした。富山にまつわるどんな小さな「断片」でもかかわれることが嬉しくて、時間も気にせず話し込んだ。そんな矢先、その友人から冗談半分に言われたのが、「移住」という二文字だった。

「地域おこし協力隊」に応募しようと決めてからは、深夜まで営業しているコーヒーショップで、まるでラブレターを書くかのように、一文字一文字、心を込めて、履歴書を書いた。なんとしてでも、富山に行かなくちゃ。でも、まさかこの年齢でまた履歴書を書くとはね、と一人クスクス笑いながら。

FB(フェイスブック)で芋づる式に広がった私の富山人ネットワーク。それがキッカケで富山へ移住してしまうのだから、つくづく人生とは不思議なものだ。SNSで変わった私の人生。一つ言えるのは、いくつになっても、思い立ったら吉日で、新しい物語をスタートさせることはできるってこと。

それは、私だけでなく、今この記事を読んでくれているあなたにだって、きっと当てはまること。

でも、今思うのは、移住って、誰もが羨むような人生の楽園ではないよね、って。だって、生活、風習、文化。当たり前だけど、何から何まで東京時代とは違うのだから……。

写真:松田秀明

(高橋秀子)