金正恩氏

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金正恩党委員長は、今年8月末の台風10号によって甚大な被害に遭った北朝鮮北部の咸鏡北道(ハムギョンブクト)の被災地をいまだに訪れていない。

咸鏡北道では、昨年9月にも台風被害が発生。この時、金正恩氏は羅先(ラソン)市の被災地を訪れた。今年の被害は、数百人から数千人の死者・行方不明者が出るなど、昨年以上の大惨事となった。通常の国家指導者なら、万難を排して被災地に駆けつけるところだろう。

トイレの代用品も

しかし、金正恩氏が被災地を訪れたという公式報道は一切ない。一体なぜか。

デイリーNKの内部情報筋は、「(金正恩氏は)暗殺やテロを恐れて被災地を訪れない」と説明。同時に、警備体制が整っていない現況を伝える。

北朝鮮で最高指導者に関わる行事は「1号行事」と呼ばれる。最高指導者の安全を確保するため、訪問予定の施設や道路、鉄道に保衛部(秘密警察)の要員が多数配置される。彼らは昼夜を分かたず警備を行い、不審な人物が現れれば徹底的に調査する。少しでも異常が感知されれば、視察は取り消される。

金正恩氏に関するこうしたセキュリティ対策は、彼自身のトイレ事情にも及ぶほど徹底している。

仮に、武器紛失が1件でも起これば視察は中止されるほどの厳戒態勢が敷かれる。デイリーNKの内部情報筋によると、現地に駐屯する軍の幹部は「武器と弾薬の回収が終わっていない地域に元帥様(金正恩氏)が訪れるわけがない」としながら「武器弾薬の回収事業は元帥様のセキュリティに直結する最優先課題」だと強調している。また、復旧作業に携わる兵士、住民、学校の生徒はもちろん、遠方から派遣された突撃隊さえも、武器回収に当たらせている。

それでも、現状では警備体制が不十分なため、正恩氏は被災地を訪れることができないというのが情報筋の説明だ。今の北朝鮮国内に、正恩氏の暗殺を計画したり、テロを仕掛けるような勢力がいるとは思えないが、正恩氏はよほど疑心暗鬼になっているのかもしれない。

「処刑前」動画を公開

こうしたセキュリティ上の問題に加えて、被災地で金正恩氏を迎えるための準備作業が整っていないことも訪問しない理由だ。

金正恩氏が、どこそこを訪れると日時が決まれば、現地では何ヶ月、何週間も前から準備作業が行われる。道路をきれいにする「道路美化事業」は基本で、稼働が止まっていた工場を、あたかも稼働しているかのように装う「企業所生産正常化事業」も行われる。稼働が止まっていれば、地域や工場の幹部は金正恩氏から叱責を受け、首が飛びかねない。いや、処刑される可能性も出てくる。

実際、金正恩氏は昨年、スッポン工場を現地指導した際、管理不行き届きという理由から工場内で激怒。後に責任者を処刑し、さらにその直前の激怒した動画まで公開したことがある。

(参考記事:【動画】金正恩氏、スッポン工場で「処刑前」の現地指導

おそらく、各地の企業所の責任者は、金正恩氏の「激怒動画」を見ながら「金正恩元帥様がうちの工場に来られたら大変なことになる」と、震え上がったにちがいない。

それでも、最高指導者が被災地を訪れないのは、やはり格好がつかない。当局は金正恩氏の視察の準備作業に入っているが、今度は準備作業が復旧作業に悪影響を及ぼしている。被災現場の瓦礫の下からは、洪水に流されて行方不明になっていた兵士の遺体が続々と発見されているが、軍の幹部は武器弾薬の回収に夢中で、遺体のことは眼中にない。

住民見殺し

金正恩氏が被災地を訪れないことや、当局の復旧を軽視する姿勢に、現地住民や兵士の間では反感が高まりつつある。彼らは「人の命より銃弾の方が大切というのか」「兵士の命は弾丸1発より安い」「戦争になれば我々は奴らの弾除けにさせられる」と、体制に対する不満を露骨に口にするようになっているという。

事故発生の原因からその後の対応の不手際によって、金正恩氏の権威は失墜する一方だ。もしかすると、正恩氏は住民からの「無言の反発」を恐れて、被災地を訪問しないのかもしれない。