『妖怪・憑依・擬人化の文化史』(伊藤慎吾/笠間書院)

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 日本人はどうして「擬人化」が好きなのだろう。11月に決選投票が行われる「ゆるキャラグランプリ」では、地方の名産品や昔話を擬人化したようなキャラクターが戦いを繰り広げている。最近では、養殖うなぎを「養って」と言うスクール水着女子に見立てた鹿児島県志布志市の動画がネット上で炎上したこともあるし、AGFが特濃牛乳を使用したブレンディの魅力を、牛を擬人化した胸の大きい女子高校生に演じさせたCMが問題視されたこともあった。古く歴史をさかのぼれば、『古事記』や『日本書紀』などで語られる神話は、神を擬人化した物語ともいえるだろう。遥か昔から存在している擬人化は、どのような歴史を辿り、ここまで発展してきたのだろうか。

 『妖怪・憑依・擬人化の文化史』(伊藤慎吾/笠間書院)は、古代から現代、『日本書紀』から「妖怪ウォッチ」まで文学・絵画・民俗資料や、小説・マンガ等の中で人間ならざるものたちはどのように表現され、背後にどのような文化的要素があったのかについて解き明かした入門書。著者の伊藤慎吾氏によれば、日本で擬人化された異類について歴史的に捉えようとする時、見逃せないのが、仏教文学の隆盛であるという。

 平安時代後期から隆盛した仏教文学では、難解な仏教の教義を平易に説くための手段として、たとえ 話が用いられてきた。『今昔物語集』や『沙石集』などの説話集では、たとえ話として動物たちや草木・器物、抽象的な記号や観念が人間のように活躍する擬人化世界を描き、その末尾に、その話から読み取るべき教え(=評語)を付けることで人々に教えを説こうとしたのだ。

 しかし、時代が進むにつれて、たとえ話の末尾の評語の有無にかかわらず 、たとえ話だけで、教訓を読み取るように受容されていった。中世後期に流行した「御伽草子」では、語られる教訓は、とってつけたような形だけのものだった。そして、その内容も、人間と同数程度、人間ではない存在の物語が語られるようになっていく。その要因ついて、伊藤氏は、仏教の、草木や国土さえもすべて成仏するという「草木国土悉皆成仏」の思想の影響が大きいだろうと指摘している。たとえば、『草木太平記』では、草花と樹木が合戦する物語を描き、妖怪絵巻の古典として『付喪神絵巻』は、器物がでさえも往生することを示している。草木や器物のような人間ではないものが成仏できるのであるから、人間が成仏できないわけがないこと、仏道信心を怠らないことを教えるために書かれたものであるが、それ自体が面白い内容 となり、教訓は後付けのようになる。そして、擬人化は、娯楽として発展を遂げていったのだ。

 近世になると、目に見えないものを擬人化する表現が盛んになる。たとえば、貧乏神。荒木田守武『守武千句』で初めて登場し、近世初期『醒睡笑』や『長者教』にも登場する。病の擬人化も江戸時代から盛んになり、『身自鏡』内の「医術車輪書」では、病と薬が擬人化され、合戦をしている。病対策という合戦のテーマはその後、錦絵や読みものに展開していき、現代の医薬品や洗剤のCMにおける病原菌やカビ菌、汚れとの戦いへと引き継がれていく。

 擬人化は教えを広めるためだけのものではなく、多様なエンターテインメントとして発展してきたのだ。近代以降は、西洋の文芸の影響やSF作品、ファンタジー作品の多様化により、一層複雑な展開を見せることになる。またインターネットの普及、個人のCG技術の向上が大きな背景として2000年前後に「萌え」による擬人化が大いに開拓されていき、児童文化を中心とした擬人化表現の展開とは異なる領域が現れてきた。2013年には「艦隊これくしょん」による軍艦の美少女擬人化が登場し、家電やキノコ、自動車、工具など様々な擬人化ゲームが登場するようになった。擬人化は、「萌え」を追求したものもあれば、企業や自治体などが魅力を伝える手段として用いられることもある。

 これから擬人化はどう発展していくのだろう。より人を楽しませ、夢中にさせるような擬人化の登場を願ってやまない。

文=アサトーミナミ