「親捨て」を提唱した宗教学者の島田裕巳氏

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 自分の「最期」について考えるとき、最も身近な“お手本”となるのは、両親が亡くなった時のことではないだろうか。厳しかった父、優しかった母はどうやって人生を締めくくったのか──。宗教学者の島田裕巳氏(62)が、「父の死」に際して見たこと、学んだことを明かす。

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 私は著書『もう親を捨てるしかない』で、「親捨て」を提唱しました。

 頻発する介護殺人や介護心中に見られるように、現代の「家族」は極端に疲弊しています。自分を犠牲にしてまで親の面倒を見るのは本当に正しいことなのか、親子共倒れを避けるにはどうすべきなのか──そんな思いで「人非人」との批判も覚悟で提案したのが「親捨て」でした。

 そうした考えには、10年前の父の死が影響しているのかもしれません。

 大正生まれの父は太平洋戦争でラバウルに従軍し、戦後は工務店に勤めました。高度経済成長の波に乗り、仕事は順調で羽振りがよく、私は“お坊ちゃま”として育ちました。

 ところが、私が17歳の時、父の勤める会社が倒産して、家を失った一家は大阪に引っ越しました。公立の進学校に通っていた私はひとり東京に残り、賄い付きの狭い下宿で暮らし始めました。それ以来、父と暮らしたことはありません。

 その後、東京で妹夫婦と同居を始めた父は長く生きましたが、さすがに80歳を過ぎてからは体力が落ち、外出もしなくなりました。

 亡くなる前の父は内臓の機能が弱っていて、腎臓の数値を見た医者が「生きているのが不思議。手の施しようがない」とサジを投げたほど。あまりに苦しそうにしていたので、医師がモルヒネを投与すると精神が高揚してハイになったようで、昔の思い出を楽しそうに語っていました。

 私は父に四六時中付き添っていたわけではなく、たまに様子を見にいく程度でしたが、最後は危篤との連絡があり、病院に駆けつけました。2006年8月16日のことです。

 ベッドに横たわる父は徐々に呼吸が弱く静かになっていきました。私は父の呼吸が止まるまでを傍らでじっと見つめていました。

 最後に“もうこれで終わりだろうな”と思えるような、とてもか細い息をして、父は旅立ちました。その瞬間は、何か特別な感情が込み上げてくるわけでもなく、「人間はこうやって死んでいくのだ」「息絶えるとはこういうことだ」と淡々とした思いで納得しました。86歳で老衰で死んだ父から、人間としての自然な死に方を学んだ気がします。

 父が亡くなるまで、私は父とずっと離れて暮らしていましたが、父の死をすんなり受け入れることができました。つまり、親を介護したり、看取ったりすることを義務のように感じなくても、死というものは自然に受け入れられるということです。

 親と子は本来それぞれ自立した生き物なのです。そういう意味で私は「親捨て」を主張しました。

 私の理想の死に方は、父のように自然に息絶えることです。本来、親と子は、近くに住んでいようが自然に放っておくという関係が正しく、それが親子のマナーです。私自身、そうやって自然に最期を迎えたいと思っています。

●しまだ・ひろみ/東京都生まれ。東京大学文学部卒業後、宗教学者・柳川啓一氏の影響を受け、宗教学者に。現在はNPO法人葬送の自由をすすめる会会長などを務めている。2014年発売の『0(ゼロ)葬 あっさり死ぬ』、2016年発売の『もう親を捨てるしかない』が話題。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号