著者の清水潔氏。揚子江河畔にて

写真拡大

 事件取材を手掛けてきたジャーナリストの清水潔さんによる『「南京事件」を調査せよ』(清水潔/文藝春秋)は、南京事件をテーマにしたドキュメンタリー番組(2015年10月放送)の取材がきっかけで生まれた。事件に関わった元日本兵の日記や、虐殺被害者家族の声を拾いながら「起こったこと」の事実を描いているが、それでも「大虐殺はなかった」「調査をしたふりだけ」などというレビューが一部に寄せられてしまっている。清水さんは、本書の前書きの一行目で「あえて冒頭に明記しておきたいことがある。本書がある“一部の人たち”から拒絶される可能性についてだ」と予言しているが、まさにそのとおりの展開になっている。

「事件に直接関係する人はプライバシー保護のために仮名にしましたが、たとえ実名を出しても『本当にそんな人間はいるのか! 証拠を出せ!』になったと思います。だからこの本では南京事件を否定する言説を1つ1つ検証していきました。それでも否定されるのは、もう否定が目的だからだと思うんです(苦笑)。だから、この本の前書きは否定されることを想定したものにした。事実の検証は本文の中でしています。否定するなら、最後まで読んでくださいと言いたいのですが、否定が目的だとどうせ読まないでしょう。だからあえて一行目に書いたのです」

◆中国人への差別意識は、自分にもあった

 戦争で受けた被害以上に、加害の事実を認めて語ることは誰にとっても容易ではない。そして中国や韓国などへの差別意識を自覚している者も、決して多くはない。清水さんですら、3年前に亡くなった父がたびたび口にしていた「中国人はどうしょうもない」という言葉がいつの間にか自分の心底に刻まれていたことを自覚していなかった。しかし取材を進め、家族のことを見つめなおす中で自身の差別意識と向き合っていく。「知ろうとしないことの罪」は他者にのみ向けられるのではなく、己にも突き付けられるものなのだ。

「他人のことを言うのは簡単だけど、『じゃあ自分はどうなの?』と思った時に、父親が言っていたような『中国人はどうしょうもない』って見方をしていたことに気づいて。確かに文化の違いやマナーの違いはあるけど、それ以上に彼らを見下していたのではないかって。オリンピックで日本人選手が勝ったことに『すごい!』と言っているぐらいならともかく、『日本は素晴らしくて隣国は劣る』みたいな意識から侵略戦争が始まるのではないかとも気づいたので、自分のありのままの感情を終章で描きました。

 タイトルが『南京事件』なので、終章には色々な感想や意見があると思います。そもそも南京事件自体を扱うことも、好き嫌いがあるでしょう。でも僕の最大の目的は事実を可能な限り検証して残すことだと思っているので、こうして本にすることは大事だと思っています。でも本当は本を書くということは面倒くさいんですよ、現場取材したい事件記者だから(笑)。とはいえ今回はじいさんと父のことを書き、かくいう自分も差別意識を中国に対して持っていたことまでさらけ出しているのだから、ぜひ最後まで読んでくださいよと言いたいですね(笑)」

◆情報の精度は、発言者により変わる

 記者ではない一般の人が事実を知る方法があるなら、それはどんなものなのか。清水さんにそう問うと、「『誰が』それを言っているのか、そこに注目してほしい」という答えが返ってきた。

「事実であるのかないのかを判定できる大きなポイントは、誰がこの話をしているのか、出典を明記しているのか、責任を取れる立場の人が言っているのかということです。ニュースなどではよく『捜査関係者によると容疑を認めているという』とか「政府関係者が指摘している』みたいな言い回しを使いますが、本来ならこんなに信頼できない情報は無い。一見ばかばかしい『台風中継』などの方が、目の前で起こっている事実を忠実に伝えています。土砂降りなのに『こちらはまだ晴れています』とは言えないでしょ(笑)。自分が直接見聞きしたことが一番信頼できます。次に伝聞でも発言者が分かるものは、『と、関係筋が言っていました』などのものよりは信頼度は高いでしょう。情報の質は出所に左右されますので、信頼できる語り手なのかどうかを、一般の人も見極めてほしいと思います」

 清水さんはこの本を、「戦争を知らない、若い世代」にこそぜひ手に取ってほしいと訴える。広島と長崎に原爆が投下され、沖縄は唯一の地上戦の場となり、東京は焼け野原になった。その悲惨な戦争はそもそも、なぜ始まったのか。1941年の太平洋戦争に向かう道筋と南京事件は繋がっていることを、ぜひ知ってほしいと考えているからだ。

「最近よく『中国が攻めてくるから防衛力強化』などという声を聞きますが、知ってますか? 近代史上日本は中国大陸に過去何度も攻め込んでいるけど、攻め込まれたことはありません。そんな当たり前の事実すら知らない若い人が多いので、若い人に『歴史の事実』を伝えたいんです。日露戦争だってロシアで戦ったイメージがありますけど、実は戦場は全然ロシアじゃない(苦笑)。そういうことを学ぶきっかけになればと思っています。

 1937年に南京に転進して事件を起こした『上海派遣軍』は、『邦人保護』の名目で派遣されています。で、この言葉、最近よく耳にしますよね? 歴史には残念な面もあり、それを受け止めた上で『戦争は起こさない』という気持ちを持たないと、負の歴史が繰り返されてしまうかもしれない。だからまずはこの本を手に取って、全部に目を通してみてください。批判はその後でどうぞ(笑)」

取材・文=今井順梨