86“KOUKI”進化の真価 トヨタ自動車 多田哲哉(1)改良を見据えて継続的にレースへ参戦

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2012年のデビュー以来、ハード/ソフトの両面から、ニッポンのスポーツカー・カルチャー発展を牽引するトヨタ「86(ハチロク)」が、先頃マイナーチェンジしました。

ここでは、走りを改めて鍛え直した新86の核心に迫ります。

お話をうかがったのは、86のチーフエンジニアであるトヨタ自動車の多田哲哉さん。今回はその第1弾。

多田哲哉(ただ・てつや) 1957年、愛媛県生まれ。学生時代よりモータースポーツに熱中。’82年には中部ラリーチャンピオンシリーズで年間優勝。その後、ジムカーナ、ダートラなどへも参戦する。トヨタ社内でテストドライバーの“S2運転資格”を所有する、ただひとりのチーフエンジニア。’93年からのヨーロッパ駐在時には、多くの欧州車をテストする機会に恵まれ「クルマの走りは道が創る!」と確信。帰国後、今や当たり前の装備となった“ブレーキアシスト”機構を世界で初めて開発し「ラウム」に搭載した。’98年、製品企画部に異動し、初代「bB」などの企画に参画。2世代目のラウム、「ラクティス」などのチーフエンジニアを務めた後、’07年に86の開発リーダーに抜擢される。現在は、スポーツ車両統括部長を務め、86だけでなくトヨタの全スポーツモデルを統括する。趣味は薪割り、犬の散歩、ロードバイクなど。

 

3年目のニュルで「もうターボはいらない!」と確信

--まずは愛称の秘密から教えて下さい。多田さんは新型を「86“KOUKI”と呼んで欲しい」とおっしゃっていますが、どのような経緯でそんなニックネームをお考えになられたのでしょうか?

多田:86の発表から2年くらい経ったある時、オーストラリアとニュージーランドのファンクラブイベントを訪れた際、現地で目にしたんですよ。K、O、U、K、IってロゴがプリントされたTシャツを着た、オーナーさんたちの姿を。

それを見た瞬間「なんだろう?」と思い、尋ねてみたんです。すると、オーナーの方々は少しビックリして「いや、オレたちは“KOUKI”に乗っているんだよ」と答えるんです。そして「チーフエンジニアのお前が“KOUKI”のことを知らないなんておかしい!」と怒られました(苦笑)。

かつて、AE86型「カローラレビン/スプリンタートレノ」のオーナーは、マイナーチェンジの前後でハチロクのことを“前期型”、“後期型”と区別していました。当然、その事実は私の頭の片隅にもあったのですが、“KOUKI”Tシャツを初めて見た時には、その記憶が抜けていたんです。

よくよく聞いてみると、彼らは日本語の前期、後期という意味を全く知らず、AE86後期型の車名を「KOUKI」だと勘違いしていたんです。なので、後期というのはこういう意味なんだよ、と教えてあげたら「え! そうなの?」と、すごく驚いていました。

その時、後期型というのは、ものすごくアイデンティティのあるコトバだと教えられたんです。なので「単に“マイナーチェンジモデル”なんて呼んじゃダメだ。“KOUKI”と呼んでもらえるくらいの新しい個性を植え付けるマイナーチェンジにしてやろう。そうじゃなければ変えない方がマシだ!」と、帰国後すぐ、開発チームのメンバーたちに話しました。

--具体的に、マイナーチェンジで誕生した86“KOUKI”は、どのようなクルマに仕上がっているのでしょうか?

多田:技術的な進化は、モータースポーツへの参戦から得たノウハウをフィードバックしようと考えました。実はその発想は、86を開発している頃から明確に抱いていました。そのため毎年、ニュルブルクリンク24時間耐久レースにチャレンジしてきたんです。

ニュルみたいなコースって、世界中のどこを探しても見当たらないんですよ。3次元のGがクルマに掛かるのは、あそこだけですね。普通のサーキットではたいてい、前後/左右の2次元のGだけを考えていればいいのですが、ニュルは一気に上ったと思ったら、今度は一気に下り、そしてまた一気に上って…という感じで、アップダウンが激しいんです。縦方向にグーッと押さえ付けられながらコーナーを曲がる、なんてこともザラですね。

なので、想定していない部分に応力が掛かり、ボディが変によじれてしまうため、走るのがものすごく恐い、なんてことが多々あるんです。特に、コースの後半部分は「なんだこれ!」と驚かされるレイアウトですよ。そんな難関で争われる耐久レースにデビュー当初から参戦することで、さまざまなノウハウを蓄積してきたんです。

また86は、ラリーにも挑戦しました。一般道も走るラリーの場合、サーキットだけで戦うレースと違って、対象となる道のバリエーションが広がるんです。走る道の種類が増えれば増えるほど、いいデータが蓄積され、いいクルマの開発に生かせますからね。

また、多彩な道を走り込んだことで、ドライバーの“幅”を見つめ直すことができました。市販車である以上、運転が上手い人ばかりをターゲットにすることはできませんからね。例えば、初めてサーキットやラリーに出る人が86をドライブしてみたら、どう感じるのか? そんなことも、例えば「TOYOTA GAZOO Racingラリーチャレンジ」などに参加している一般の人々に話を聞くなどして、データを獲得してきたのです。

--なるほど、レースやラリーへの参戦は、86“KOUKI”を見据えてのものだったんですね。

多田:ニュルのレースには、86がデビューした年に初めて、2年目、3年目と、3年連続で参戦しました。初年度はまだパーツもなかったので、完全にノーマルの86に安全装置を付けたくらいのマシンでしたが、運良く完走できました。

続く2年目は、結構気合いを入れ、一生懸命エンジンもボディも作り変えていったんです。そうしたら、すごくピーキー(註:ピンポイントでしか高性能を発揮できないような特性)なマシンになってしまって…(苦笑)。予選など一発のタイムこそ速いんですが、ドライバーはいつもピリピリしながら走らせなきゃいけないマシンになっていました。

日本から送り出す前に、私もドライブしたのですが、確かに、速いといえば速いんです。だけど「これはプロのレーシングドライバーにしか乗りこなせないクルマだな」と実感しました。実戦では、予選で1台がクラッシュしてグシャグシャになり、結果的に残る1台で挑戦したのですが、レースではものすごく好不調の波が激しく、結局、クラス2位に終わりました。

そして3年目は、それまでの反省を踏まえ、再びクルマを作り変えました。日本から送り出す前にサーキットでテストしたのですが、正直、びっくりするくらい完成度が高かったんです。ちょっとドライブしただけで「これだ!」と確信しましたね。このマシンの方向性でロードバージョンを仕立てれば、もう誰も86に文句はいわないだろう…そう思ったほどでした。

実は、86を発表してからずっと「ターボ仕様はいつ出るんだ?」と、世界中のオーナーからたびたび聞かれたんです。スポーツカーって、いつもそうなるんですよね。いくら馬力があっても、オーナーたちは慣れきってしまい「モアパワー!」となる。それもあって「いつかはターボ仕様を出さなきゃいけないのかな?」と漠然と考えてはいたんです。でも、3年目のニュルを戦う86をドライブした時「これでもうターボなんかいらない!」と確信したんです。あれこそまさに、理想的なFR車。「楽しいクルマとはこういうものだ」と、直観的に感じました。

--そのマシンは、どのような仕様だったのでしょうか?

多田:ノーマルの86と比べると、車重が100kg軽いんです。それと、ボディ剛性のバランスがすごく良くて、ブリヂストンに作ってもらったタイヤもすごく完成度が高いものでした。ドライ路面用のスリックタイプでしたが、スリックタイヤってグリップが高い上に、実は乗り心地もいいんですよ。タイヤ自体の重量も軽く、トレッドに溝がないから変なノイズなども発生しにくい。それを履いたニュル用の86は、抜群の完成度でした。

もちろん、雨が降ったら走れませんし、タイヤ自体の構造が弱くてバーストしやすいので、絶対に市販車には着けられません。ですが「この乗り味を持つタイヤを86に装着できたら最高だな」とは感じていました。実はその思いが、マイナーチェンジに先立って100台限定で発売(すでに完売)した「86 GRMN」を開発するきっかけになったのです。

86はそもそも「タイヤに頼らない」というコンセプトで開発したクルマですが、「逆にトコトン頼ってみたらどうなるか?」と考えて作ったのが、86 GRMNです。86に合わせてタイヤをイチから作りたい、とブリヂストンさんにオファーしたのですが、その時「ニュル向けに作ってくれたスリックタイヤを、そのまま市販車に着けられないか?」と聞いたら「そんなの絶対にムリです」って拒まれちゃいました(苦笑)。

しかし、私も引き下がれませんから「とにかく、あの時のスリックタイヤと同じようなフィーリング、そして、優れたグリップ性能とコンフォート性能を兼ね備えたタイヤが欲しい!」と頼んだところ、なんとか86 GRMN専用の「ポテンザRE71R」を作ってもらえたんです。

でも、そうやってタイヤは出来上がったものの、86 GRMNの市販化への道のりは、とても険しいものでした。軽量化のためにカーボン製パーツを多用したほか、クルマの組み付けにも高い精度を求めました。フツーの86はスバルさんに生産をお願いしていますが、我々の目標があまりにも高かったために、最後はもうトヨタ自身で製造するしかない、という状態になったのです。なので、86 GRMNは、かつてレクサス「LFA」の製造を手掛けていた職人さんたちが、本当に1台ずつ、手作業でパーツのバランスを取り、手で組み付けていました。

--そうした経験が86“KOUKI”につながっていったのですね。

多田:86 GRMNと並行して86“KOUKI”の開発も進めていました。アイデアはいろいろありましたが、マイナーチェンジの方向性を確信できたのは、レース参戦で培った技術やノウハウに加え、86 GRMNの開発で得た経験も大きかったですね。モータースポーツからの技術やノウハウをフィードバックする…。そのベクトルは同じでも、タイヤにトコトン頼ってその性能を引き出すようにしたのが86 GRMNで、逆に、絶対にタイヤに頼らないのが86“KOUKI”。とはいえ86“KOUKI”であっても、ユーザーがタイヤを交換すると、走行フィールが激変するんです。もし仮に、86“KOUKI”にポテンザRE71Rを着けて走ってみたら、GRMNの走りの味わいの一端が感じられて、ものすごく面白いと思いますよ。

--タイヤに頼らない86“KOUKI”の走りは、前期型と比べてどのように変わったのでしょうか?

多田:86を発表した時点では「やり残したことはない」と思っていたんです。前期型の開発時は、モータースポーツへの対応までは考える時間がなくて、クルマ自体の開発に全力を投じていました。ところがいざ発売してみたら、86のカスタマイズがムーブメントになり、よりハードにスリックタイヤを履かせてサーキットを走るオーナーさんや、ハイグリップタイヤを着けてガンガン改造する方が出てきた。そういった、高負荷のモータースポーツユースなどに対して、前期型では一部対応できないことが見えてきたんですよ。

一番大きかったのは、電子制御の部分。例えば、パワーステアリングやABS、VSCなどは、標準装着タイヤ+αのグリップレベルまでしか想定していませんでした。ハイグリップタイヤを履かせたり、サーキットで限界を維持して走り続けたりすると、ちょっと不安に感じる箇所が前期型には見られたんです。

いくらカスタマイズがムーブメントになっていても、チューニングパーツなどでは簡単に直せない部分ですね。そこを進化させたのが、今回の86“KOUKI”です。タイヤを変えたり、チューニングしたりした時の対応力を強化した点こそが、その一番のポイントですね。(Part.2へ続く)

(文/ブンタ、写真/グラブ、村田尚之)

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