第1回ドラフト会議「ドラ1」たちのプロ通算成績

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 季節は秋。今年のドラフトは10月20日(木)に開催される。

 田中正義(創価大)や寺島成輝(履正社高)、今井達也(作新学院高)をはじめ、有望選手の行方に注目が集まっている。

 今年のドラフトは第52回。半世紀以上もの間、開催され続けてきたドラフトだが、1965年、栄えある第1回のドラフト1位ではどんな選手が指名されたのだろうか。初代「ドラ1」のプロ通算成績をまとめてみた。

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巨人
堀内恒夫(投手・甲府商高)
1966〜1983年/巨人
【通算】560試合:203勝139敗/6セーブ/1865奪三振/防御率3.27

中日
豊永隆盛(投手・八代第一高)
1966〜1973年/中日
【通算】1試合:0勝0敗/0奪三振/防御率18.00

阪神
石床幹雄(投手・土庄高)
1966〜1970年/阪神
【通算】21試合:1勝1敗/25奪三振/防御率2.68

大洋
岡正光(投手・保原高)
1966〜1968年/大洋
【通算】1軍出場なし

広島
佐野真樹夫(内野手・専修大)
1966〜1969年/広島
【通算】162試合:打率.193/3本塁打/17打点/6盗塁

サンケイ
河本和昭(投手・広陵高)
※入団拒否し、亜細亜大に進学。その後、プロ入りせず。

南海
牧憲二郎(投手・高鍋高)
1966〜1969年/南海
1970〜1976年/阪急
【通算】24試合:3勝5敗/24奪三振/防御率3.38

東映
森安敏明(投手・関西高)
1966〜1970年/東映 【通算】242試合:58勝69敗/814奪三振/防御率3.48

西鉄
浜村孝(内野手・高知商高/西鉄、巨人時代の登録名:浜村健史)
1966〜1970年/西鉄
1971〜1972年/巨人
1976年/太平洋
【通算】415試合:打率.218/13本塁打/58打点/18盗塁

阪急
長池徳二(外野手・法政大/1979年、「徳士」に改名)
1966〜1979年/阪急
【通算】1449試合:打率.285/338本塁打/969打点/98盗塁

東京オリオンズ
大塚弥寿男(捕手・早稲田大)
1966〜1972年/東京・ロッテ
【通算】229試合:打率.178/4本塁打/16打点/0盗塁

近鉄
田端謙二郎(投手・電電九州)
1966〜1971年
【通算】26試合:1勝7敗/39奪三振/防御率6.00

■大当たりは巨人と阪急

 第1回ドラフトで1位重複指名されたのは、森安敏明(関西高)と田端謙二郎(電電九州)の2人。

 東映に入団した森安は、平松政次(元大洋・岡山東商高)や松岡弘(元ヤクルト・倉敷商高)とともに「岡山三羽ガラス」と呼ばれたサイドスローの速球派で、サンケイと東映が競合した。

 入団1年目から11勝を挙げ、オールスターゲームにも選出。入団から4年連続で2ケタ勝利を達成していたが、5年目のシーズン最中、「黒い霧事件」に関与し、永久失格となってしまった。実質4シーズン半で58勝を挙げており、本来であれば「大当たり」のはずだったのだが……。第1回の高校生目玉右腕は1970年に球界を去った。

 田端は同年の都市対抗野球で国鉄・大分鉄道管理局の補強選手として大活躍した右腕。即戦力として期待されたが、プロでは結果を残せなかった。

 一方、正真正銘の大当たりを引いたのは巨人と阪急だ。堀内恒夫(甲府商高)は高卒1年目から16勝2敗、防御率1.39というとてつもない数字を残し、最優秀防御率と新人王をW受賞。その後も巨人V9時代のエースとしてチームの柱となった。

 唯一、外野手としてドラ1指名を受けた長池徳二(法政大)も「ミスター・ブレーブス」に成長。MVP2回、本塁打王3回、打点王3回を獲得し、引退後もコーチとしても高い能力を発揮した。

 実は長池は徳島・撫養高時代に南海のプロテストを受験しており、南海・鶴岡一人監督に「今はまだ無理だが、4年あれば一人前になれる。遊びにいくつもりで大学に行ってこい」と背中を押されており、実際に南海は2位指名を予定。相思相愛の関係だったが、当日になって阪急が指名を強行し、長池は泣く泣く南海入団を諦めたという。

 関西私鉄を親会社に持つ両球団が繰り広げたドラフト史上初の「強奪劇」だった。

文=落合初春(おちあい・もとはる)

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