「ゆれる」「ディア・ドクター」「夢売るふたり」など、人間の心の暗部を鈍くえぐるようなオリジナル作品を生み出し、国内外で高い評価を獲得してきた映画監督・西川美和(にしかわ・みわ)さん(42)。最新作「永い言い訳」は、直木賞候補に挙がった自身の小説をみずから映画化した作品だ。主人公は、不慮の事故で突然妻を失った人気作家・幸夫(本木雅弘)。美容室を経営する妻・夏子(深津絵里)とは20年来の夫婦だが、ふたりの関係は冷え切っており、夏子が高校時代からの親友ゆきとスキー旅行に出発すると、すぐさま愛人を家に上げる始末。その翌朝、幸夫のもとに夏子がバス事故で亡くなったとの知らせが入る――。

自意識が高く、自己中心的。妻の死に面して一滴も涙を流さない幸夫。そんな人物像を西川監督は、「今までの作品の中でもっとも私自身に近い」と言う。映画監督としても、文筆家としても仕事ぶりを認められた西川監督が、幸夫の生きざまを通して新作映画に込めた意外な「引け目」とは? それは、監督と同じアラフォー世代の独身女性が抱く不安の真理をついていた。

「子どもがいないまま生きてきた、都心で暮らす中年」

――幸夫は、自意識と自己愛は強いくせに自分に自信がない男で、私生活では「リスク」だと言って子どもを作らず、妻の生前の交友関係も感知せず、気がつけば独りぼっちという、“こうはなりたくない”というポイントだらけの人物です。私自身、好きな仕事にだけ熱中して、人間関係も有益か無益かで取捨選択しがちだったので、非常に身につまされました。どのようにしてこのキャラクターが生まれたのでしょうか?

西川美和監督(以下、西川):この作品は、「私がもし男だったら、こうなってるだろうな」と思いながら、わが事のように書きました。「社会において、自分はどのあたりのポジションにいるのか」って、男の人はとても気にするでしょう?

――社会的なポジションが生きていく上でのよすがになっている印象がありますね。

西川:たぶんそれが、男性の原動力でもあるんでしょうね。物を書くという職業の人間特有の気持ちかもしれませんが、私自身「こんな仕事、世の中に必要なのかどうかわからない」って、どこかで思っていたりするんです。人気作家の幸夫より、(夏子と一緒に死んだゆきの夫の)トラック運転手・陽一とその子どもたちの暮らしぶりの方が「確かなもの」だと思えたり。

そういう「引け目」みたいなものは、この仕事を選んでやっているとはいえ、私の中に折り重なっています。そんな自分の感覚が、今回の映画にも反映されていると思います。

――物書きとしての性分が、ご自分が「幸夫と似ている」とおっしゃる根拠ですか?

西川:そうですね。あと、「子どもがいないまま生きてきた、都心で暮らす中年」というところもです。そのあたりの私の人生の経験と実感は、作品に色濃く反映させました。

子どもがいないことで「欠落感」を感じることもある

――結婚・出産しない人生を選択してきたことに後悔はありますか?

西川:結婚・出産は、しなかったというか、できなかったんですね、きっと(笑)。だから、当然、「劣等感」はありますよね。ものすごく努力すればできたのかもしれないけれど、自分がいろいろなところで選択を重ねてきた結果ですから。でも、やっぱり「家族」という単位を自分の選択の結果持っていないと、世界がすごく狭く感じられるようになってきました。20代や30代の頃は、あまり考えなかったことですが。

――人との関係性が仕事中心になっていきますからね。

西川:子どもが保育園に行ったりしていれば、違う職種の家族と出会うでしょうし、よそのお子さんの面倒をみたりする機会もあると思う。自分が選択した以外の人生に触れる機会が出てくると思うんですけど、ひとりだと、どんどん閉ざしていってしまいますよね。そうなると「自分は何のために社会に存在してるんだろう?」って感じざるをえなくなってくる。

西川:もちろん、子どもやよその家族と関わるのは、ある意味煩わしいことでもあると思うので、それをしない今は、自分のやりたいことだけをシンプルにできている状態かもしれません。でも、やっぱり手にしてないものや失っていることも多い。

子どもがいない、結婚しないことが悪いとは思わないけれど、私も期せずして後悔をしたり、よその家族を見て、人間としての厚みの不足や、「欠落感」を感じたりすることも多いです。『永い言い訳』には、そのあたりの実感を書きたかったのかもしれません。

―― 私もライターという職業柄、働くお母さんたちを取材する機会も多いので、「自分も子どもを産み、育てていたら、その経験が“肥やし”になって仕事の幅が広がるかもしれないのに……」という邪な考えが浮かぶこともあります。

西川:決して邪じゃないですよ(笑)。私も、「人生経験が少ないから、物語が広がっていかないのでは?」「自分に家庭があって、子育てで苦労した経験があったら、もうちょっと違う風景が見られるのに」って思ったり。いつまでもモラトリアム期みたいな考え方をしてるなと思うことがあります。でも、「今、この場所からしか見えない風景を書けばいいんだ」と思うんです。私の立場から見える風景もあるはずだ、と。

子育ては、もっと社会全体でやってもいいのではないか

――30代前半くらいまでは、他者とがっつり関わるのも煩わしいし、やりたいことだけできればそれでもいいと思っていましたが、最近、自分のためだけに生きていくことに限界を感じ始めました。

西川:まさにそうですよ。むなしいんですよ、すごく。かといって、「是が非でも家族を持たなきゃ」と思うかというと、そんなこともなく……。逆に言うと、こういう生き方しかできない人もいるので、じゃあ、私たちのような人がどうやったらより緩やかに、他の家族や他人の子どもと関わりながら生きていけるのかな? って思いますね。

――「永い言い訳」でも、幸夫が陽一の子どもたちの面倒をみることで大事なことに気づいていきますよね。子育てしている人を、何か別の形で他者がサポートできるかもしれないです。

西川:この映画を作る中で、すごく救われたことがあります。事前の取材で、小さい子どもがいる友人のお宅を何軒か泊まり歩いたんです。彼らがどんな生活をしているのか、そこに放り込まれると自分はどういうふうに感じるのかを体験するのが目的でしたが、他人の子でも一緒にいると楽しいんですよ。もちろん、親の愛情とは質が違いますし、親のような責任感も持ってない。でも、そうしながら、子どもって、みんなでもっと穏やかに育てちゃいけないのかな、って思ったんです。そのために社会のシステムをどう変えるかという策は私にはないですが、親だけ、学校だけが責任を取るのではなく、もう少し他の人に明け渡して育てられないのかな?って。

――最後に。幸夫の台詞で「愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくない」という言葉がありますが、身近な人、愛すべきだった人に対して誠意を欠いてしまったことによる喪失は、挽回できるでしょうか?

西川:人と関わってさえいれば、挽回はできると思います。それが家族でなくても、同僚であってもいいし、友だちであってもいい。関わることのできる誰かがいること自体が、すごく素敵なことなんじゃないでしょうか。

(新田理恵)

■公開情報
映画「永い言い訳」
10月14日(金)より全国にて公開
公式サイト
(c)2016「永い言い訳」製作委員会

(新田理恵)