『東京オリンピック 「問題」の核心は何か(集英社新書)』(小川 勝/集英社)

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 リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック大会が終わり、次の舞台はいよいよ東京。1964年以来56年ぶりの世界一大スポーツイベントの到来である。リオ大会の余韻を残し、勢いよく母国開催へと突き進みたいところだが、エンブレムの問題に始まり、新国立競技場の問題しかり、その他施設の整備費の膨張問題など、興ざめするような問題が次々と浮上するばかり。そうした原因が、政府やメディアによる「勘違い」にもあるとしたら…。『東京オリンピック 「問題」の核心は何か(集英社新書)』(小川 勝/集英社)は、歴史的背景からそれらの根本的な問題を一刀両断。4年後に向けて課題を浮き彫りにしている。

メダルランキングはナンセンス。オリンピックは国同士の争いではない

 リオ大会で、日本は史上最多の41個のメダルを獲得した。思い出されるのは、連日のメダルラッシュ。しかし、メダルの獲得数を国ごとに争うことは、オリンピックの理念に反する。このことを知っている人はどのぐらいいるだろうか。

 オリンピック憲章の第1章6項の一番初めには、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とあり、第5章57項にも「国ごとの世界ランキングを作成してはならない」と明言しているのだ。

 その理由は、オリンピック大会の目的が、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある」から。そして、スポーツを通じて世界の人々に平和と平等の精神を養うことが大原則だからだ。

 あくまで選手間の競争である以上、「メダルランキング」は国家間の競争を助長しかねないと“御法度”なのである。

 オリンピック憲章は、メダル獲得よりも、参加することに意義があると説いている。リオ大会では、史上初めて難民選手団が結成され、多様性が広く訴えられた。メダルラッシュと浮かれた日本で、こうした流れを引き継ぐことができるのか現時点では想像しにくい。

経済効果もおかしな話。選手のため、開催市民のためにあるべき姿とは

 五輪誘致のため、日本の政府やメディアは事あるごとに「経済効果」を煽った。だが、これもオリンピック精神からかけ離れている。

 開催都市の務めは、オリンピックの理念を継承すること、つまり「オリンピズムへの奉仕」に他ならない。五輪から恩恵を受けようと考えてはいけないのだ。あくまで、この理念を体現しようと必死の努力を重ねてきた選手である「オリンピアン」たちのため、彼らが最良のパフォーマンスを発揮できるよう、運営をする。儲け主義とは対極にある。

 歴史をひもとくと、1896年の第1回アテネ大会は、寄付金とギリシャ政府が発行した記念切手の収益だけで経費がまかなわれた。「近代オリンピックの父」と呼ばれ、競技大会の実現に長年「奉仕」したピエール・ド・クーベルタン男爵は、大会運営における、さまざまな経費を個人負担し、事実上破産までしていたという。すべては理念実現のためだった。

「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」

 クーベルタンが提唱した、オリンピックのあるべき姿(オリンピズム)である。これが根本原則で、オリンピック・ムーブメントは、このオリンピズムの価値を世界に広く伝えていくこと。だから、オリンピックは、単なるスポーツの一大イベントではない。こうした理想への奉仕と歴史への参加という意義あっての大会なのだ。

 1964年の東京オリンピックは、アジアで史上初めて開催された大会だった。この時、日本は第二次世界大戦の敗戦から19年しか経っていない。この大会の3年前にはベルリンの壁が築かれ、2年前にはキューバ危機が起こり、開催2カ月前にはアメリカが北ベトナムに報復攻撃を始めた。

 世界で分断や争いが起こる中、東京大会は開催された。だが、オリンピズムのもと政治はスポーツと切り離すことができたのだ。分断されたドイツも東西統一チームとして参加し、キューバもアメリカもソ連も、戦後復興した日本に集結したのだから。こうした歴史的大会を再び56年の時を経て迎える意味を、私たち日本人はどれだけ知っているだろうか。

 リオオリンピックでは史上最多の205カ国・地域から約1万1000人の選手が参加、パラリンピックでも159カ国・地域から約4400人の選手が参加した。かつてない巨大イベントとなった今、放映権の高騰はじめ、一筋縄ではいかない問題は山積している。だが、どんな問題に取り組むにせよ、まずはオリンピックとは何なのかということを改めて考えたい。本書で学び、原点に立ち返ることで、選手はじめ訪れる人々のため、そして受け容れる私たちのためにも、見えなかったことがたくさん見えてくるはずだから。

文=松山ようこ