『君の名は〈第1部〉佐渡の昼顔』(菊田一夫/河出書房新社)※書影は1991年刊行の文庫本

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 新海誠監督の『君の名は。』の勢いが止まらない。観客動員は1,000万人を突破し、興行収入は130億円超。日本中が時を超えてすれ違う男女の物語に心奪われている。だが、多くの若者たちは、実は、60年以上前も『君の名は』という作品が日本中を魅了したことを知らないだろう。菊田一夫原作の昔の『君の名は』はどんなストーリーだったのだろうか。今流行している『君の名は。』と何か共通点はあるのだろうか。

 菊田一夫氏脚本の『君の名は』は1952年にラジオドラマとして放送された、終戦からその後の時代を描いたメロドラマである。当時、「番組の放送時間になると、女湯から女性が消える!」と言われたほど、多くの女性たちの心を掴んでいたらしい。1953年〜54年には岸惠子主演で全3部作で映画化され、ヒロイン・真知子のストールの巻き方は「真知子巻き」として大流行。特に『君の名は 第3部』は、1954年の映画配給成績3.3億円を記録。同年に公開された「ゴジラ」を上回り、その年もっとも人気を集めた映画となった。これは、「シン・ゴジラ」を超えるヒットとなった現代の『君の名は。』との奇妙な共通点の一つといえる。

 時は、昭和20年5月。東京大空襲のさなか、氏家真知子は、後宮春樹と出会う。2人は空襲のなか逃げ惑い、防空壕で一夜を明かす。どうにか生き延びた翌日、2人は、もし今後も生き延びていたら、半年後、その時会えなかったら、さらに次の半年後の夜8時に数寄屋橋の上で再会しようと約束。春樹はさらに「君の名は?」と真知子に問うが、また、空襲のサイレンが鳴り、名前を聞けないまま別れることとなった。

 半年後の再会の日、さらに半年の1年後、2人は約束を忘れず、互いを思いながらも、会うことができない。そして、1年半後、ようやく2人は約束の地・数寄屋橋で再会。だが、この時、真知子はすでに婚約していたのだ。春樹は「幸せになってほしい」と真知子に声をかけるが、再会を果たした2人の恋心は抑えることができない程、燃え上がる。真知子の夫から春樹への嫉妬。離婚を決意した真知子の逃避行。夫との子どもを妊娠したことに絶望した真知子の自殺未遂と流産。そして、夫が真知子と春樹を訴えた同居請求調停と、真知子が望む夫との離婚調停…。果たして真知子と春樹は思いを貫くことができるのだろうか。

 異性と付き合った経験のない高校生2人の純愛を描いた現代の『君の名は。』と比べると、菊田氏の『君の名は』は、三角関係を中心に描かれ、ドロドロとした禁断の恋のように思える。しかも、真知子と春樹は、東京のみならず、北海道から九州まであらゆる場所を舞台にしては、すれ違ってばかりいる。だが、すれ違いながらも互いを思わずにいられないさまは、とてつもなく切ない。「互いに思い合いながらも、すれ違う2人」を描いた点では現代の『君の名は。』とも共通しているといえるだろう。

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

 これはラジオドラマの冒頭に毎回挿入されていたナレーションの言葉だ。菊田氏は、『君の名は』のなかで、「忘れたくても忘れられない禁断の恋の物語」を描いたのだ。対して『君の名は。』で新海が描いたのは、「忘れたくないのに忘れてしまう時空を超えた純愛物語」。まるで正反対、意識的なのかそうでないのか不明だが、菊田氏の『君の名は』と新海氏の『君の名は。』は、対照的な作品といえるだろう。

 年配の方の中には、新海監督の『君の名は。』を昔のリメイク版と誤解している人も多いらしい。もし、勘違いしている人を見かけた時は、その誤解を解きながらも、昔の『君の名は』の魅力について聞いてみると良いかもしれない。『君の名は』も『君の名は。』も、恋に落ちた2人を描いた壮大なスケールの作品。昔も今も、人々の、男女の切ない恋の物語に魅了される心に変わりはないようだ。

文=アサトーミナミ