東京に生きる結婚しない女性の姿を描いた物語。今回の主人公は、ファッション雑誌の編集者・堀内美加(37歳)。美人で仕事ができる彼女は、なぜ独身の道を選んだのでしょうか……?

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表参道の駅に着いた時、ふと空を見上げた。星も雲の影もない。明るいのか暗いのかよくわからない平面的な東京の夜空は、まるで仕事以外何もない自分のように退屈なトーンだ。

37歳、独身、東京で生活して19年になる。ここ数年は深い交際をした男性もいない。ともに暮らす家族はペットさえもいない。

堀内美加は、サンローランパリのグレーのボストンバッグからiPhoneを取り出した。1時間ほどチェックしていなかったので、何らかのメッセージやLINEが入っているかと思ったのに、アプリのアイコンには何のマークもついていなかった。入っていればうっとうしいが、無いとさみしい気持ちになる。「ホントに勝手なんだから」と大きな声で独り言をしても、誰も足を止めない。

孤独を感じるとInstagramを立ち上げるのは、ここ半年くらいの習性だ。4.7インチの明るい画面に映し出される正方形に切り取られた世界に、片っ端から「❤」を押しまくる。指がためらうのは、同期やかつての仕事仲間がアップした、赤ちゃんや夫婦のツーショット写真だ。幸せそうな写真こそ「❤」を押さないと、嫉妬していると思われる。そんなことを考えながら、東京メトロ半蔵門線のホームへと向かった。

最終電車がホームに滑り込んできた。電車の窓ガラスには、HYKEのデニムスカートに、sacaiの白のサマーセーター、beautiful peopleのトレンチコートを羽織った美加の姿を映す。37歳にしては体の線がほっそりしていて、背が高いからモードな服が似合っているはずだ。カルティエのタンクフランセーズは0時9分を指している。25歳の時に購入したステンレスタイプだ。これを一緒に買いに行ったのは、当時交際していた、同期入社の仁志だった。なけなしの40万円をカウンターに積み上げる美加を見ながら、「やっぱり、美加はしっかりものだな。40歳の時に美加と結婚してたら、こっちのゴールドのやつをプレゼントしたいな」と言っていた。

40歳になったら、時計をプレゼントしたいと言った彼は……?

そんな仁志とは28歳のときに別れてしまった。そしてその直後、仁志は3歳年下の短大卒の女性と結婚し、今では2児の父親だ。入社時には仕事がデキないタイプだったが、育ちのよさと人懐っこさで出世階段を駆け上がり、今では広告部の若手管理職として、同期の誰よりも高いポストに座っている。社長ジュニアからも気に入られており、役員候補という噂もある。仁志は人脈も広く、原作を出版した作品の映画化のときは、製作委員会のメンバーにされている。

現場ができる人は管理職に向かない……これは仁志を見ていて感じたことだ。新人時代の彼は、問題になるほど仕事ができなかった。一方で美加は若手のエースとして雑誌畑を生きてきた。自分は職業編集者として現場を駆けずり回っているしかない。締め切りまで時間がなくても、素材が最低でも、腕を見せて誌面に仕立て上げる。ずっとこれを繰り返して、15年間生きてきた。Instagramに出てくる、同年代の女性たちの子供、料理、旅行先、家族、パーティ、女子会、サプライズ、ゴルフ、バンド……さまざまな画像を見ていると、失われた自分の可能性を考えて、自然と涙が出てくる。

美加が住むのは、半蔵門線の清澄白河駅だ。今、東京で話題のエリアということもあり、1年前に三軒茶屋から引っ越してきた。街を満たす水の匂いと、どこか乾いた雰囲気が故郷の新潟県湯沢市に似ているところがあり、ホッとする。

地下から地上に出て空を見上げると、藍を練り込んだように、夜空が冴えわたっている。ボストンバッグの中でクロエのキーケースを探し、家までわき目も振らず歩き出した。

美加は家に帰るとすぐにシャワーを浴びて、ビールを飲む。ここ数年愛用しているのは、ジョンマスターオーガニックのシャンプーとコンディショナーだ。生のハーブを思わせるキレがよく力強く優しい香りに包まれるのがお気に入りだ。35歳を超えたころから、肉体の衰えを感じるようになった。ヨガをしてもマッサージをしても癒されない。この世にたった1人でいることの孤独と胸の痛みが、知らない間に肉体を蝕んでいるのだろうか。

男性と別れるたびに、部屋に花を飾ることが習性になってしまった。美加の一番好きな花は、クラシカルな雰囲気のバラの花。

壮絶ないじめを告白……社会人として強くなるほど、結婚は遠のくのか?〜その2〜へ続く