熊本市中心街のようす(2016年8月24日撮影)。右側のホテルは外壁修理中だが、注意を向けなければ、震災被害を目に止めることは難しいだろう。しかし「ぱっと見」では分からない被害が、あちこちにある Photo by Yoshiko Miwa

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2016年4月、熊本県を襲った最大震度7の地震から、もうすぐ半年が経過しようとしている。災害時の「住」を含め、日本の災害対策には何が不足しているのだろうか?

東日本大震災から産まれた
「みなし仮設住宅」制度

 2016年4月の熊本地震から、あと2週間で半年が経過しようとしている。しかし、震災による住宅難が解消されているとはいえない。プレハブ仮設住宅の建設などの対策は進められているものの、益城町など被害の大きかった地域には、いまだ避難所生活を余儀なくされている人々がいる。

 2011年の東日本大震災では、プレハブ仮設住宅が約5万3000戸設置された。それだけではなく、既に存在していた空き家・空き室を自治体が借り上げて提供する「みなし仮設住宅」制度も利用され、約6万8000戸が提供された。「自治体からの家賃の支払いが遅れたため、入居者が家主に退去を要請される」といった問題も発生した(参考:http://www.sarex.or.jp/chie/chiebukuro_7.pdf)ものの、「ふつうの暮らし」のために作られた住まいに入居して生活することで、被災からの再起がいくらか容易になった被災者は少なくなかったはずだ。

 この「みなし仮設住宅」制度の事実上の産みの親は、現在、全国賃貸住宅経営者協会連合会(ちんたい協会)熊本県支部長を務める川口雄一郎氏。長年、熊本市で不動産業を営んできた川口氏は、現在、創設した会社の会長職を務めるかたわら、「ちんたい協会」などを通じて、住宅政策に対する活動を展開している。

 2011年、「3.11」のその時、川口氏は「ちんたい協会」の会長だった。川口氏が他の賃貸住宅関連団体とともに「災害対策本部」を立ち上げ、行政が賃貸住宅を借り上げて被災者に提供する「みなし仮設住宅」制度の創設を働きかけたのは、発災2日後の3月13日だったという。

「もともと、ちんたい協会が構築していた、アパート・マンションの空室データベースがあったんです。家主さんたちが、災害時に提供することに同意していた空室のデータベースで『もしもの時の安心住宅』という名称でした」(川口氏)

 かくして、「みなし仮設住宅」は本格的に制度化された。行政が賃貸住宅の空室を借り上げて被災者に提供すること自体は、1995年の阪神・淡路大震災時から行われていたが、戸数は137戸にとどまっていた。東日本大震災時、みなし仮設住宅の「ふつうの暮らし」を前提とした環境で一息つき、被災からの再起がいくらか容易になった被災者は少なくなかったであろう。

「みなし仮設住宅」が産まれるまでの経緯を、もう少し詳しくたどってみよう。

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