ちょっとしたご縁で、筑前琵琶の演奏会に出かけた。いろいろと感じ、考えることがあった。ここでは中国文化と日本文化の接点と、歩む道の違いについて改めて思ったことをご紹介したい。写真は上海市にある琵琶専門の博物館。

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ちょっとしたご縁で、筑前琵琶の演奏会に出かけた。いろいろと感じ、考えることがあった。ここでは中国文化と日本文化の接点と、歩む道の違いについて改めて思ったことをご紹介したい。

筑前琵琶は、邦楽(日本伝統音楽)では「語りもの」に分類される。音楽の要素よりも、物語性が重視されるジャンルということだ。その源流とされるのは盲僧琵琶という、盲目の僧侶が琵琶の伴奏に乗せて経文を語った宗教性芸能だ。

盲僧琵琶は、中国などから日本に渡来した盲人の琵琶法師が伝えたとされているが、私自身は、なんらかの弦楽器をつま弾きながら経文を唱える形式は中国などから直接伝来したにしても、琵琶という楽器そのものは、雅楽の楽琵琶が民間に広まったと推測している。

盲僧琵琶は薩摩(鹿児島県)や筑前(福岡県)など九州で盛んになり、筑前の盲僧琵琶は筑前盲僧琵琶と呼ばれる一派になった。直接の宗教性を離れた筑前琵琶が成立したのは明治期になってからだ。

さて、現在に伝わる日本の琵琶と中国の琵琶を比べてみると、日本の琵琶の方が古い演奏の特徴を残している。すなわち撥(ばち)の使用だ。中国の琵琶ももともとは撥を使っていたが、現在は右手の5本の指に人工的な「爪」を付けて奏する。

中国の現代琵琶の方が、細かく素早いフレーズを均等に演奏することに適していると言える。一方で、日本の琵琶は撥ならではの、独特の効果を出すことができる。ちなみに、中国では三弦と呼ばれる楽器も爪弾きだが、三弦が元になって誕生した日本の三味線は、基本的に撥を使って演奏する。日本では琵琶の影響で、「抱えて演奏する撥弦楽器は撥で演奏するもの」との固定概念が強く、三味線も撥で演奏するようになったとみられる。

さて、中国の古い文化は日本でむしろよく保存され、中国では変化してしまったと評する日本人は多い。たしかに、日本では古い中国文化がよく残されている。しかし日本でも、受容した古い中国文化がそのまま残されている例は、実は多くない。

例えば筑前琵琶でも、使われる音階は、今の民族音楽では「都節(みやこぶし)音階」と呼ばれるものだ。「都節音階」は、日本でそれまでにあった「律音階」と呼ばれる音階のうち「中間音」と呼ばれる音の高さを半音ほど下げた音階で、元禄時代ごろに発生して急速に広まったとされる。

近世邦楽で、この「都節音階」の曲は、圧倒的に多い。つまり、日本の琵琶音楽の重要なジャンルである筑前琵琶も、中国から伝わった音楽をそのまま残しているのではなく、時代時代における日本人の趣味を直接的に取り入れていることになる。ついでに言えば、唐代の宮廷音楽をそのまま保存してきたなどと言われる日本の雅楽も、都節音階の音の使い方を、ところどころ取り入れている。その意味で、雅楽もオリジナルの音楽をそのまま残しているとまでは、言い難い。

考えてみれば当たり前のことで、伝統芸能は演じる人と鑑賞する人の双方が「認めてきた」からこそ、現在まで残っているわけだ。前の世代から伝えられたやり方を「それが最もよい」と思えば、そのまま学んで伝えるだろうし、「もうちょっと、よくならないか」と思えば、変更されていく。

筑前琵琶の演奏会に足を運んで、「古い起源を持つ文化を残していることに誇りを感じるのはよいが、オリジナルのものを全く同じに伝えていたとしたら、それはあまり自慢にならないのではないか」と考え込んでしまった。変更を全く加えていないことは、「何も感じず、何の変更も加えなかった」ということとになってしまうからだ。

かといって、伝統に安直に変更を加えたのでは、それは伝統ではなくなってしまう。そのあたりが、伝統芸能に対する際に、最も難しい点であるかもしれない。なお、誤解のないように書き添えておくが、伝統芸能について総じて言えば、日本の方に「古いものを残す」という意識が強い。中国では「必要があれば、大胆に変更する」との動きが顕著だ。