■大坂なおみインタビュー@前編

 世界12位のドミニカ・チブルコワ(スロバキア)をはじめとするトップランカーを次々と破り、決勝に達した「東レ パン・パシフィック・オープン(PPO)」の快進撃から、2日後――。インタビューのために都内のホテルの一室に現れた彼女の顔は、少しばかり疲れているように見えた。実はこの日の彼女は、すでに数社におよぶメディア取材を受けたあとだったのだ。

 急上昇するランキングに伴い、増えていく周囲からの注視や期待......。それら加速度的に移り変わる環境に身を置く18歳は、自身が成し遂げたことへの充実感を噛みしめながらも、決して自分を見失うことはなかった。

「まだ日本にいるから、なおのこと嬉しい感情は残っている。でも、またすぐに次の大会があるので、集中力を途切れさせてはいけないとも思っている」と語る彼女の心の張りは、すでに残り少ないシーズンをいかに戦い切るかに向けられているようだった。

 14歳にして"大人の世界"に飛び込んだ少女は、その5年後には、世界の46位へと一息に駆け上がっていった。3歳でアメリカに移り住むと同時に本格的にテニスを始めた彼女は、どのような幼少期を過ごし、いかなる信念を抱いてコートに立ち、今日まで戦ってきたのだろうか?

 自らの言葉で、そして心で、大坂なおみに紐(ひも)解いてもらった。ラケットを握ったばかりの日のこと、家族のこと、そして思い出深い試合の数々を......。

―― テニスを始めたのは、正確には何歳のときでしょう?

「3歳です」

―― 1歳半年上のお姉さんのまりさん、そしてお父さんと一緒にいつもやっていたんですよね? でも子どものころは、お父さんにもお姉さんにも勝てない時期がずっと続いていたと思います。

「そうでもないかな。お父さんは......正直、そんなに上手ではないから」

―― お父さんに初めて勝ったのは、何歳のとき?

「5歳かな?(笑いながら近くにいた父親の顔色をうかがうように覗き込みつつ......)。7歳にしておくわ」

―― では、お姉さんに初めて勝ったのは?

「15歳のとき」

―― えっ、15歳? では12年間もお姉さんに勝てない日が続き、それでも毎日、一緒に練習していたわけですよね。負けてばかりだと、「つまらない、もうやりたくない」とは思いませんでしたか?

「そんなことはなかったですね。きっと、お姉ちゃんのほうがつまらなかったんじゃないかな? だって自分より下手な相手と、いつもプレーしなくてはいけなかったんだから。

 私にとっては、毎回がとても楽しかった。負け続けていたからこそ、相手を倒すための"劇的な方法"を試そうとしていたから。それにいつも負けるたびに、『明日こそ勝ってやる!』とお姉ちゃんに宣言していたし」

―― 具体的には、どんな"劇的な方法"を試みたのでしょう?

「そうね......。たとえばある日は、とにかくほぼすべてのボールをスライスで打ってみたりしたわ。でも、小さいころの私はスライスがとっても苦手だったから、結果はもちろん完敗。あるいは別のときには、ドロップショットを打ちまくったりしたこともあったなぁ。お姉ちゃんも、私と対戦するときは普段のプレースタイルとは異なる戦い方をするのよ。ボールをしっかり返して、ミスを減らすようなプレーになるんだから」

―― あなたは、負けるのは嫌いですよね?

「うん」

―― なのに、お姉ちゃんにはどんなに負けても、挑み続けた。これって矛盾してません?

「う〜ん、そうは思わないわ。いつも負け続けていたから、もうそれが普通の状態で、負けているという感覚もなくなっていたのかもしれない。それに、お姉ちゃんとプレーするときはいつも"トラッシュトーク"もしていたから! 楽しみながら練習していたと思います」

   ◆   ◆   ◆

 1歳半上の姉に挑み続けた幼少期の日々を経て、大坂なおみは年齢上限も国籍も関係ない国際テニス協会(ITF)主催の大会へと参戦するようになる。初めて彼女が公式戦の場に姿を現したのは、2011年10月のこと。

 その初試合から直近の東レPPOに到るまでの全戦績リストを見せると、大坂は、「すごい! これ、私の全部の試合じゃない!」と明るい声をあげた。

「このなかから、印象に残っている試合をいくつか選んでもらえますか?」

 そう頼むと、彼女はアーモンド色の瞳をクリクリさせながら、ページをめくり始めた。

「これは、私の初の公式戦。このときのことは、よく覚えているわ」

 彼女が真っ先に挙げたのは、ITFトーナメントデビュー戦。それは、ジャマイカで開催された賞金総額1万ドル大会の予選であった。

「出場サインをするその日に、雨が降っていたの。だからみんなで、おしゃべりをしていた。みんなが興味を持ったのは、私の年齢。『何歳?』と聞いてくるので、『13歳』と答えると、みんな不思議がっていたわ。だってITFトーナメントに出られるのは、14歳からの決まりだから。でも、試合に出るときには14歳になるから、私は出場できたの」

 この大会の開幕日は、10月15日。大坂の誕生日は、その翌日の16日。彼女の"テニスプレーヤー"としてのキャリアは、14歳を迎えたまさにその瞬間から始まっていたのだった。

「これは本当に、ドキドキした大会だったわ」

 そう言って大坂が次に目を止めたのは、デビュー戦からおよそ1年後の2012年9月、フロリダ開催の大会である。

「この大会でお姉ちゃんと対戦したから......たしか準決勝じゃなかったっけ? うん、やっぱりそうよね」

 毎日のように顔を合わせ、ボールを打ち合っていた姉との公式戦・初対戦。

「この試合で覚えているのは、負けた(2-6、3-6のスコア)という事実。いつもの練習のときと同じような感じで負けてしまった。でも結局、お姉ちゃんは決勝で負けちゃったのよ。『なんで私に勝ったのに、次の試合で負けちゃうの』って思ったことは覚えているわ」

 4年前の試合を、まるでつい最近のことのように振り返りながら、彼女は、「奇妙な感じね。こうやって記録を見ていると、いろんな試合のことが思い出されるんだもの......」と言い、さらに視線を過去から現在へと辿っていった。

 その彼女が視点を止め、「これ!」と嬉しそうに声を挙げたのは、2013年5月のテキサス大会に到ったときである。

「これは、私が初めて決勝に行った大会なの。途中でエリカちゃんにも勝ったのよね」

「エリカちゃん」とは、瀬間詠里花のこと。2回戦で日本人対戦を接戦の末に制し、そして決勝まで勝ち上がった15歳の日のことは、大坂の記憶に深く焼きついていたようだ。

 さらに彼女が、「これこれ!」と指さしたのが、2014年3月のメキシコ大会。「ここで初めて、公式戦でお姉ちゃんに勝ったの」。姉妹対決が実現したのは、2回戦。スコアは6-4、7-6であった。

「試合後は、どんな感じだった? お姉ちゃんに気を遣って素直に喜べなかった?」

 そう問うと、大坂家の二女は、「まさか!」と即答する。

「面と向かって、『勝ったぞ!』って言ってやったわよ」

 テニスキャリア最大のライバルを破った日に想いを馳せ、大坂は無邪気な笑みを顔中に浮かべた。

 やがて試合一覧が"現在"に近づくにつれ、選考基準は懐かしさよりも、自分がいいパフォーマンスをしたかどうかに移行していくようであった。

 その彼女が、「やはり、これよね」と選んだのは、2014年のスタンフォード大会。これは、大坂が予選を勝ち上がり出場した初のWTAツアートーナメントである。しかも、その試合で16歳の少女は、世界19位のサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を破る劇的なツアーデビューを飾ったのだ。

 ただし、「これはキャリアでもっとも嬉しい勝利?」と問われた大坂は、「いえ、これは2番目。一番嬉しかったのは、お姉ちゃんに勝った試合」と即答したのではあるが......。

「岐阜も大切ね。これは私が、日本で初めていいプレーができた大会だったから」

 2015年4月の岐阜大会では決勝まで勝ち上がり、ランキングも200位以内にジャンプアップした。

 その後も、決勝に進んだふたつの大会を「思い出の大会」として挙げた彼女は、最後に「そしてもちろん、東レPPO」と、リストの最後に記された大会を指さす。

「だって最近、決勝に行ったばっかりだからね」

 そう言うと大坂は、口の両端をキュッと上げて目じりを下げる、いつものはにかんだ笑みを浮かべた。

(後編に続く)


【profile】
大坂なおみ(おおさか・なおみ)
1997年10月16日生まれ、大阪府出身。ハイチ出身でアメリカ国籍の父と、日本人の母を持ち、3歳でアメリカに移住。父親の影響でテニスを始める。2013年にプロに転向し、2014年7月のバンク・オブ・ウェスト・クラシックで初のWTAツアー本選出場を果たす。2016年の全豪オープンでは予選を突破してグランドスラム初出場して3回戦まで進出。その後、全仏オープンと全米オープンでも3回戦まで駒を進める。今年9月の東レ パン・パシフィック・オープンで準優勝。180cm・69kg。10月6日現在、世界ランキング46位。IMG所属。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki