「人間と動物の違いって何か分かりますか?」――爪切男のタクシー×ハンター【第五話】

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 終電がとうにない深夜の街で、サラリーマン・爪切男は日々タクシーをハントしていた。渋谷から自宅までの乗車時間はおよそ30分――さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、密室での刹那のやりとりから学んだことを綴っていきます。

【第五話】「人間と動物の違いって何か分かりますか?」

 「男なら誰だって忘れられない女性というものが一人はいるものだ」――満面の笑みがカナブンの裏側に似ていると言われた私だって、それは例外ではない。高校時代、ある日の生物の授業で「人間の顔には無数の顔ダニがいる」ということを勉強した。不意に知った顔ダニの存在に生徒たちは自分の顔を触りながら「キャー! キャー!」と色めき立ったものだ。授業の後、全く接点の無かったクラスメイトの女子に屋上に呼び出された。

 その女子は学年でも人気のあるマドンナ的存在であり、美貌と育ちの良さを兼ね備えた、『聖闘士星矢』でいえばアテナの化身である城戸沙織のような女性であった。にわかには考えられないことだが、愛の告白をされるかもしれないという淡い期待も抱いていた私に彼女は言った。少し強めの風が屋上に吹いていた。

「君の顔のダニを殺してあげるね。ダニが多そうな顔してるもんね」

 彼女はそう言い放ち、こちらの了解を取らずに私の顔を思いっきりビンタした。呆然と立ち尽くす私を嘲笑して、彼女は外国製と思われる高級そうなハンカチで、私を殴った手を丁寧に拭いている。そして「また明日ね!」とだけ言い残し、彼女はその場を立ち去った。その日から彼女と私、二人だけの屋上での秘め事が始まった。二人の関係をつないでいたのはビンタという暴力だけではあったが、ビンタの痛さより、美しい女性が醜い私の顔を触ってくれることが何よりも嬉しかった。程なくして、彼女が顔ダニ退治に飽きてしまい、この蜜月も終わりを告げたのだが、彼女は私にとって確かに女神であった。

 メルマガ編集長としての激務をこなしている合間、目の前に座っている同僚のラッパー編集部員に「もし、女に思いっきりビンタされたらどうする?」と不意に訪ねてみると、やけに熟考した後に「マザーファッカーっすね!」という返事が返ってきた。答えになっていないし、熟考してから言う言葉ではない。日本人は日本語をもっと大切に使うべきだと思う。

 前置きがマザーファッカーになったが、ようやく今回のタクシーの話である。

 その日の運転手は、顔のパーツが顔の中心部に寄っていて、目だけがやけに吊り上がっており、すごく不機嫌そうな顔をしていた。ドラクエのモンスターでたとえればギズモのような顔だ。顔はギズモではあったが、話好きの気さくなおっちゃんで、車中は楽しい雰囲気に包まれていた。

 窓の外に、私が過去に行きつけだった蕎麦屋が見えた。運転手さんに店の評判を確かめてみたところ「あそこの蕎麦屋は、私もよく利用します。ドライバーの中でも人気店ですよ」と言われ、私まで嬉しくなった。私はあの蕎麦屋の主人には大きな借りがあるからだ。

 その蕎麦屋は繁華街に位置しながら深夜営業をしているということもあり、深夜になると、店の周りには立ちんぼの韓国人女性がたむろする異様な雰囲気になる。蕎麦屋に出入りする客に「1万円でヘブン行こうよ」と声をかけるのが彼女たちの仕事だ。私はヘブンに行くことはなかったが、足繁く蕎麦屋に通ううちに彼女たちと面識が出来てしまい、軽口を叩き合える関係になっていた。

 ある時、私は勇気を出して彼女達に頼んだ。

「恥ずかしいけど、お願いがあるんだ」
「何? オカネは貸せないヨ(笑)」
「3000円あげるから俺の顔をビンタしてくれないかな?」